
照る日曇る日第950回
2001年に刊行されたこの詩集では、作者が好んで訪れたNYという街と英語という外国語が生み出した新しい生の磁場があざやかに形象化されている。
「世界、よ」という短い詩がある。
はじめて冬のNYにやって来た主人公が、暖かそうなハンバーガーショップの前で佇んでいる。彼女はそこへ入りたいのだが、
「言葉がよくわからなくて
ほんの些細なことが、わたしを怯えさせるから
入れずに
それでも中を覗いているのだった」
そして、歌う。
「世界、よ
わたしは 黄色くて 小さくて 貧しくて たった一人の女だった」
この感じは私にもよく分かる。分かり過ぎて困るくらいによく分かる。
かつて漱石がロンドンで「ムク犬」のような、高村光太郎が「猿の様な、狐の様な、ももんがあの様な、だぼはぜの様な、麦魚の様な、鬼瓦の様な、茶碗のかけらの様な」自分を発見したように、(そして不肖わたくしめが、モンマルトルのテルトル広場で描かれた自画像の絵に、唇が異様に太い痩せたカンボジア人を発見して驚愕したように)、作者はマンハッタンで、「小さくて、貧しくて、黄色い一人の日本人」を発見したのである。
同じアジア人でありながら、西欧に旅をして、「わたしは黄色い女、それだけ」という痛切な認識、作者の言葉を借りるならば“わたし、というマイノリテイ”を獲得できるひとは、それほど多くはないだろう。
この国の息苦しい急迫を逃れてマンハッタン島に脱出し、「何処にいても、わたしはわたしでしかなく、それでいい」という自覚を手に入れた作者は、幸いなことに「おりこうさんのキャシー」と呼ばれた過去のしがらみを一気に相対化することにも成功したらしい。
かくて「何処にも避難する必要がなくなった」彼女は、ここから新しい第一歩を踏み出すことが出来たのである。
みずからのかけがえのない人世の経験を、このような詩の言葉で刻みつけることが出来たひとは幸いである。
空港の至る所に隠されたカメラだけが事件を明かす 蝶人