照る日曇る日第948回
大正9年に刊行された「女人神聖」「恐怖時代」「天鵞絨の夢」の3冊の単行本を軸にした若き日の力作である。「女人神聖」とはいかにもフェミニスト谷崎らしいタイトルであるが、その名の通り主人公の兄はさいご淪落し、妹は才色兼備の貴婦人に成りあがるのである。
「美食倶楽部」は今でいうグルメ、それも極めつけの食道楽人間の究極のレシピが続々登場し、藝術と食を同じ位階に並べた谷崎の面目が躍如としている。
「恐怖時代」は時代物の戯曲であるが、著者得意のピカレスクと残虐趣味が横溢している。
「ある少年の怯え」も悪漢小説で、主人公の気弱な弟は邪悪な医師の兄の為に毒注射を打たれて死んでいくのだが、すべてを諦め、すべてを犠牲にして生き誇る悪のために従容と滅びていくナルシシズムに動かされるのであるが、その心境はかの山背大兄王の最後の瞬間の悲愴を思わせる。
「嘆きの門」も悪に屈する弱き善を描いて執拗極まりないが、惜しむらくは未完に終わった。大谷崎は確かに偉大な作家であったが、惜しむらくは「細雪」を含めたほとんどすべての作品において結末が弱い。
「天鵞絨の夢」もその例に洩れず、7人の奴隷の物語を描くはずが3、4人でなかば放り投げている。恐らく面倒くさくなったのだろうが、そんな野放図で自儘なところは同時代の他の作家にはあまり見慣れない特質かもしれない。
一瞬の沈黙にすら怯えつつアナウンサーは必死に喋る 蝶人