
照る日曇る日第953回
「出口すみとその時代」という副題がついているように、2代目教主すみの苦難に満ち満ちた足跡と大本教団の軌跡を、足と聞き取りを惜しまず、つぶさに辿っている。
1921年(大正10年)と1935年(昭和10年)の国家権力による大本弾圧はそれこそ徹底的なもので、特に2回目のそれは、教主すみと聖師出口王仁三郎以下、主だった幹部など150名以上を不敬罪と治安維持法違反で逮捕し、執拗に拷問し、無実の民に社会転覆の計画の自白を強要するという言語道断の非道苛酷なものだった。
特に次代の後継者として嘱望されていたすみ・王仁三郎の養子、出口日出麿を、小林多喜二と同じ残酷な手法で拷問し続け、廃人同様に至らしめた。2大宗教拠点の綾部と亀岡の施設や住居は完全に破壊され、土地建物などの所有権も取り上げられた。
左翼を壊滅に追い込んだ国家権力は、返す刀で、「社会改革を目指す不穏な宗教団体」と思われた大本を、その総力を挙げて血祭りにあげたのである。
著者が説くように、1935年(昭和10年)12月8日の一斉検挙に始まった第2次大本襲撃は、1945年(昭和20年)の終戦を経て9月8日の大審院での治安維持法の確定と10月17日の大赦令公布による不敬罪解消によって、ようやくすべて終結したが、物心両面で徹底的な被害を受けた大本は、まったく零からの再出発を余儀なくされたのである。
大本事件の原因は、教団自身に内在する反権力、世直し志向を、天皇制解体、国体転覆の野望と意図的にねじまげた国家権力と警察の下衆の勘繰りと強権発動によるものだったが、現在安倍蚤糞と自公両党が血道をあげている治安維持法(共謀罪)が国会を通過すれば、ふたたび大本襲撃のような不当な宗教団体弾圧がやすやすと日の目を見るに違いない。
大本と同じ綾部生まれの私は、出口すみと王仁三郎の宗教家としての偉大さについてはおのずと感得していたが、本書を読んで、すみのおおらかな人柄と王仁三郎と信者間の卓抜な調停者としての役割、そして王仁三郎の耀盌を凌ぐ天衣無縫な書の素晴らしさに圧倒されたことだった。
救急車で運ばれゆくは何者か近所の人は背伸びして見る 蝶人