
照る日曇る日第951回
第2部では、謎は謎を呼び、主人公とそれを取り巻く内面と外面の両世界が混迷を極めつつめくらめく壮大なファンタジーの全面展開となる。
第1部で盛大にまき散らされた種子を急いで育て、開花させ、その果実を収穫しなければならないのだが、ちょっと急ぎ過ぎたのではないだろうか。物語の本当のエンディングまでには、ちと紙幅が短すぎた、という印象がありますね。
冥界のエウルデーチエを探すオルフェオのように、行方不明の美少女を取り戻そうとする主人公の現実と空想の次元を超越した大冒険は、老画伯と主人公の出会い、主人公による騎士団長殺しをハイライトに延々と続きます。
そもそもが奇想天外な噺、あるいは電脳ゲームなのですが、それをさほど奇想天外と感じさせずに平然と物語る作者のお筆先は、さすがノーベル賞候補作家だと唸らせるほどの凄さだが、それが主人公の地中探検あたりから、だんだん白熱の度合いが醒めてくるように感じられるのはなぜだろう。
恐らくそれは、美少女が主人公が大好きだった亡き妹の分身だとしても、なぜ騎士団長を人身御供にしてまで命懸けで救いだそうとするのか、よく分からないからではないでしょうか。
まして彼女は、その間、謎の男の謎の洋館に迷い込んでいただけなのだから。
穴に始まって穴に終わる。大山鳴動してみみずく1羽。
主人公の遅まきながらの自己投企と漂流の時代は終わり、物語は急速に自己再生のブルダングスロマンの色彩を帯びてくるのですが、わたくし的にはそれが非常につまんない。面白くないのです。
ホラーファンタジーから、因果律と輪廻と恩寵が支配する運命ドラマへの転回など、竜頭蛇尾、興ざめ以外の何物でもないからです。
幸か不幸かまだしぶとく生き延びている2人の悪の分身との熾烈な戦いを描く続編を期待してやみません。
それにしてもこの作家はいつの頃からか、吉本ばななほどではなくとも、精霊のさざめき的な要素を物語の中に大胆に取り込むようになった。スエーデンボルク流の心霊探訪は、ゲーテ以降いくたの文学的遺産をもたらしてきたのであるな。
観念が顕現しようが引喩が流動しようがどうでもいいが村上春樹は直喩の作家 蝶人