闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1185
鎌倉には川喜多映画記念館以外に常設の映画館がないのでたまに港南台のシネマコンプレックスで映画をみます。今日の映画は老人ものなので、定員90名の小ぶりの会場のお客さんはほとんどが私たちと同様後期高齢者でいっぱいでした。
映画は愛知県春日市の雑木林の中に住む90歳&87歳の建築家夫婦の自然と一体になった四季折々の日常をゆったりと追いかけます。
2人ともこんな年寄りなのに、300坪の広大な庭にさまざまな樹木と草本を植え、朝な夕なに手入れを欠かしません。私などは猫の額ほどの庭の草取りを30分やっただけで、疲労困憊、もうなにをする気もなくなるのに、この人たちはまるでロビンソンクルーソーとターシャ・チューダーおばさんが合体したごとく、樹木の手入れ、果物の採取から調理、仕込までじつにこまめになんでも楽しそうにやってのけます。
自然と一体などと私らは簡単に口にしますが、それを実行するためには自然への愛情と不屈の意思、それに頑強な肉体力がなければ、こうまで見事にはやりおおせないでしょう。
そして特筆すべきは、若い時から相思相愛で生き続けてきた2人の老人の相貌と醸し出す雰囲気が美しくも典雅なこと。その顔のアップを眺めているだけでああここに人生の桃源郷がある。ゲーテならずとも「時よ止まれ。お前は美しい」と言わずにはいられません。
しかし無情にも人世の別れの時は突然にやってくる。されど夫が手がけた最後の仕事が、彼らと後に続く世代の確かな懸け橋となって、さわやかな6月の風の中に残されるのです。
私ははしなくも正岡子規が母八重のつぶやきをそのまま五七五の調べに乗せた「六月を奇麗な風の吹くことよ」の句を思い出したことでした。
「ちょっと来い」呼ばれて初めて分かるだろう共謀罪の空恐ろしさ 蝶人