照る日曇る日 第972回
今全集の編者は、昭和10年代から40年代にかけて書かれた20の短い作品をその時系列でならべて、この国の近現代文学の成果を照らし出そうとしているが、時系列などはまあどうでもよい話で、冒頭の武田泰淳の「汝の母を!」などやはり凄いものは凄いなあと頭を垂れるほかはない。
これは作家が中国で従軍したおりの実体験で、スパイと疑われた母と息子を兵の監視のもとで性交すれば命を助けてやると偽り、彼らがそれを果たしたにもかかわらず焼き殺してしまうという、神仏をも恐れぬ非道で残酷な話なのだが、作者が母子に成り変ってモノローグを記すとき、それが単なる日本軍の蛮行の記録を超えた神話的な光芒を放っている。
長谷川四郎の「駐留軍演芸大会」に続く里見弴の「いとおとこ」はブーゲンビル島上空で米軍機に撃墜された山本五十六の死のある日の挿話であるが、花柳界の女主人公の魅力が生き生きと描かれ、里見弴ってこんな見事な小説を書く人だったのかと驚嘆のほかはない。
その他、太宰治の「ヴィヨンの妻」は言うまでもないが、安岡章太郎の「質屋の女房」、中野重治の「五勺の酒」、、井上ひさし「父と暮らせば」、井伏鱒二「白毛」、吉行淳之介「鳥獣虫魚」、久保田万太郎「三の酉」、川端康成「片腕」など、死ぬまでにどうしても読んでおきたい名品が続々登場する見逃せない一冊である。
魚屋は死んだ魚を肉屋は死んだ動物を八百屋は死んだ植物を売る 蝶人