照る日曇る日 第973回

芭蕉を、俳諧の永久革命者、幕府の隠密、凄腕の水道工事専門家という角度から考察する嵐山芭蕉論の総決算で、随所に卓論卓説がちりばめられている。
たとえば「古池や蛙飛び込む水の音」であるが、普段カエルは飛び込まない。猫や蛇に襲われるような緊急時に限って飛び込む、と著者は観察結果を披露し、この句にはあの「八百屋お七大火」で類焼した芭蕉庵から、目の前の小名木川に命からがら飛び込んだ芭蕉自身の死に損った災害体験が反映されている、というのである。
名句「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の主役はセミであるが、その鳴き声の中に若き日に近習役として仕えた主君であり、俳諧の恩師でもある蝉吟(25歳で病没した藤堂良忠)の声を聞いている、と著者は言う。「情景描写の句が、主君への絶唱となった」のである。
芭蕉は、幕府から日光東照宮大修理を命じられた幕府最大の主要敵、仙台藩に対する偵察を命じられ、念願の東北旅行を果たす。そんなナマ臭い渡世の生業の痕跡をことごとく抹消しつつ改稿を加え、帰還5年後に完成された「おくのほそ道」は、近世文芸史上燦然と輝く句文融合の優品となった。
神祇・釈教・恋・羇旅・無常・述壊という流れで構成する歌仙形式は、斬新な文学的挑戦であり、「不易流行」の俳諧的実践でもあった、と著者は説く。
それはいいが、「芭蕉という修羅」なるタイトルは、いかがなものだろう。
古来修羅を搔い潜ってきたのは、ひとり芭蕉だけではない。明日をも知れぬ平成の世紀末を生きる我々すべてが、彼と同じような、あるいはもっと過酷な修羅を生きつつあるのではないだろうか。
たまさかに夢に出てくる少年よ両手を広げて戦車を止める 蝶人