照る日曇る日第999回
わが敬愛する歌人、奥村晃作氏の最新作にして第16番目の歌集が刊行されました。タイトルのごとく著者の満80歳の1年間に詠まれた歌の中から精選された482首を、著者の健在を寿ぎつつ拝読しました。
凡人には日常の茶飯と映るあれやこれやに、思いがけない角度から光を与えて、物事の普遍的な真実を照らし出すのは、作者の十八番ですが、まず驚くのは詠まれる対象の広さです。
例えば上野で開催される多種多様な展覧会、音楽会のスケッチ、若狭小浜や諏訪湖や箱根、岩手渋民村など全国各地への旅行での見聞、作者の趣味である囲碁や野球や大相撲などのスポーツ観戦の感想、現今の政治や社会動向などなど、作者の森羅万象に対する関心はその則に従って全天候・全方位に向いつつあり、さながら「傘寿を超えた少年」のように積極的です。
特に注目したいのは、作者が熱烈な好奇心を燃やしている鳥類の観察で、多忙なスケジュールを縫って通う光が丘バードサンクチュアリ、井の頭公園、不忍池を遊弋するカルガモ、コガモ、オカヨシガモ、オナガガモ、カイツブリなどの生態の仔細なレポートは、作者と「カル君」、生きとし生けるもの同士の共感であり、愛情の発露でしょう。
「ただごと歌」と称される著者の作風は、森羅万象のあるがままを直視し、その直視した姿かたちをそのまま詠み下したもの、と解釈されているようですが、なかなかそんな生易しいものではありません。
歌人の山田航氏は「当たり前のことをあまりにも当たり前に歌うがゆえに当たり前に思えなくなってしまう歌」と定義しておられますが、あるいはそうかも知れません。
例えば本書は、エスカレーターを詠んだ歌から始まるのですが、
一瞬の判断でわれ右側を歩いてのぼるエスカレーター
疲れてるわれは左の列につきエスカレーターに運ばれて行く
と同じページに縦に左右に並べられた2首を眺めていると、縦書きの2行が2台のエレベーターのように見えはじめます。
やがてエレベーターが同時に上昇をはじめると、右には残された人生を力強く生きようとする精力的な男、左には人生に疲れてその場に茫然と佇んでいる老人という、同じ姿かたちをした人物の2つの後姿が光と影のように対比され、さながらエドワード・ホッパーの現代絵画のような無音の孤独な世界が現前してくる。
ここでは奥村晃作氏の「ただごと歌」は、「静謐の絵画」に転化しているといえそうです。
あるがままをあるがままに詠むことがホッパーの絵に変わる奥村氏の歌 蝶人