照る日曇る日 第1095回
「インスクリプト」から、長きにわたって細々と刊行され続けた全10巻の選集がようやく完成しました。今後本シリーズが中上作品参照のスタンダードとなるに違いありません。
余りにも発売が間遠なので、資金不足で中絶するのではないかと危ぶんだりしましたが、なんとか無事に最終巻にまで漕ぎつけた版元、編集者の努力に改めて敬意を表したいと思います。
さて本巻では、1970年台中盤から80年代の初頭にかけて発表された短編集の「熊野集」、「蛇淫」、短いエッセイを集めた「化粧」などで構成されていますが、著者が無限の吸引力を感じた「熊野」という地の魅力、「路地」の誕生の秘密などについて率直に物語っている個所が印象に残ります。
私にとっては、熊野も路地もなんの変哲もない場所と言えば場所ですが、そこに世界文学的な意味を見出し、不断の努力と精進によって壮大な物語をいわばでっち上げていった蛮勇とド根性、途方もない浪漫主義こそが、中上文学の真骨頂ではないでしょうか。
しかしいくら文学作品とはいえ、主人公が妻や愛人たちを理不尽に殴ったり蹴ったりする場面に何度も接すると、じつに不愉快な気分になってしまい、もしかすると中上本人も主人公同様のDⅤの常習犯ではなかったかと思わされて、また嫌な気持ちになるのです。
末尾ながら月報に掲載された水上勉の心の籠った弔辞が著者と水上の人柄をあざやかに伝える達意の名文で、これだけでも本書を購う値打ちがあるのではないでしょうか。
青白きインテリ群れる文学界殴り込みたる孫悟空一匹 蝶人