照る日曇る日 第1102回
昔は「万葉集」、「古今集」と時代が下るに従って、直情径行の真率と簡素の美質が失われて、殊に「新古今」まで来ると、実感にそぐわない観念的で人工的で空疎な脳内積木組み立て細工の産物としか思えず、長らく捨てて顧みなかった私め、なのですが、今回改めて再読してみると、当然のことながら、けっしてそのような軽蔑唾棄すべき代物ではなかったので、ほっとひと安心しているところです。
「新古今」の特徴は、その構成が一大ニッポン交響詩のように壮麗なプロポーションを保っていることです。
序文から始まって四季折々の歌、賀歌、哀傷歌、離別、羇旅、戀、雑、神祇、釋教に至る展開は、戀歌を脊梁とする美しいアーチ橋のよう。そこには後鳥羽上皇の意(と執念)を体した、定家ら5名の撰者の設計意図が働いているのでしょう。
今回再読してもっとも心耳に響いたのは、ほととぎすを歌った「巻第3夏歌」の連作でした。私は長い間ほととぎすの鳴き声を聞きたくて、ほぼ30年間、朝な夕なに谷戸の奥山に向って耳を澄ませていたのですが、なかなかその機会に巡りあうことは叶いませんでした。
夏草は茂りにけれど ほととぎす などわが宿に 一声もせぬ 延喜御歌
ところが昨年あたりから、その典雅な忍び音に時折遭遇する機会があり、ひとたびそれを耳にすると、「時々」が「折々」に、「折々」が「屡」に転じるという僥倖に接するようになったのでした。おそらくは長年にわたって閉じられていた私の耳が、突如ひらかれたのでしょう。
有明の つれなく見えし 月は出でぬ やまほととぎす 待つ夜ながらに 摂政太政大臣
聞かずとも ここをせにせむ ほととぎす 山田の原の 杉のむらだち 西行法師
ほととぎす 声待つほどは 片岡の もりのしづくに 立ちやぬれまし 紫式部
そしてこの夏、前代未聞の酷暑のなかで本書を開いていると、突然の啓示のように、垂涎の的の夢のような鳴き声が、再三にわたってもたらされ、今から何百年前の人々が、その冥界からの便りを、今か今かと待ちわびたその気持ちが、わが事として追体験されるようになったのでした。
鳴く声を えやは忍ばぬ ほととぎす はつ卯の花の 陰にかくれて 柿本人麻呂
ほととぎす ひと声鳴きて いぬる夜は いかでか人の いを安く寝る 中納言家持
わが心 いかにせよとて ほととぎす 雲間の月の 影に鳴くらむ 皇太后大夫俊成
久保田氏による巻末の解説によって、この本の総合プロデューサーである後鳥羽院が流謫の地にあって最後まで切継ぐ(編集)を続けたことも初めて知りましたが、改めて読むと、その後鳥羽院と崇徳帝の作品が一入心に沁みる「新古今集」なのでありました。
ニッポンの夏みな酸欠の河と化しわれも金魚きみも金魚 蝶人