あまでうす日記

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新潮日本古典集成版・木村正中校注「土佐日記 貫之集」を読んで

2018-07-26 13:59:43 | Weblog


照る日曇る日 第1104回


「土佐日記」は土佐守になった紀貫之が、その赴任先からの帰還をあえて女の視線で叙述してみせた紀行文の傑作と思っていたのだが、どうもそれだけの単純な代物ではなさそうだ。

木村正中氏の解説によれば、貫之が土佐滞在中に醍醐天皇、藤原兼輔をはじめとする彼の有力な庇護者や友人知己の多くが亡くなってしまい、帰京した貫之は過去の歌檀的声望とは裏腹に、不如意と喪失感、鬱勃たる孤独と悲傷のうちに晩年を迎えなければならなかった。「土佐日記」はそんな貫之の「どうしようもない人生の喪失感を癒すべく、まさに自慰的な行為として」書かれた、というのである。

それはともかく「土佐日記」でいちばん読む者の胸を打つのは、京で生まれ、土佐で亡くした女児の記述である。

 なかりしもありつつ帰る人の子を ありしもなくて来るが悲しさ

 生まれしも帰らぬものをわが宿に 小松のあるを見るが悲しさ

京では子がなかったのに、土佐で生まれた子と一緒に帰る人もいるというのに、伴ってきた愛児を死なせて帰らなければならない悲痛を、あえて女の視線で詠んだ貫之の歌には、物語の修飾を突き抜けた悲嘆が感じられるが、その悲嘆こそが、土佐守時代以降の貫之の生のむなしさを象徴しているのである。

「土佐日記」の中の歌も、「貫之集」の中の歌も、彼の歌いぶりは例えば「新古今集」の主な歌人たちのように求めて技巧におぼれることもなく、明快真率で好ましい。

  「土佐日記」は紀貫之の示威でなく爺の自慰とはつゆ知らざりき 蝶人
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