照る日曇る日 第1098回
著者は師と仰ぐ岡井隆の顰に倣って、短歌や俳句とその註解、エッセイ、メールの文章などが混然一体となった短詩型文学のFusion、融通無碍なる交通融合形態に挑んだようだが、保守的で旧態依然

しかしこのように構成要素の中でデザインと装丁が全面に出てくると、視覚上の混乱が生じる結果、相対的に短歌自体の存在感が希薄になり、従前のようにじっくり鑑賞する余裕がなくなってくる。
よって、前作「噴水塔」後の著者の作歌的現況をつぶさに把握したいと願っていた私の希望が、十全には叶えられなかったことは残念だった。
しかしながら著者の社会詠は、鋭い踏み込みを示しているし、詩人の野村喜和夫氏との対談においては著者の戦後詩や短詩型文学に対する並々ならぬ見識に圧倒される。
巻末に添付された「詩型融合のクロニクル」では、鉄幹、晶子、鴎外、子規から江田浩司にいたる古今の作家たちの「詩型横断のありよう」を3つのタイプに具体的に分類して示しており、実に価値のある新資料だと思った。
余談ながら、例えば広告制作においてもディレクターがデザイナーまかせにしていると予期せぬconfusionが生じ、コピーを台無しにしたり、本来のメッセージを的確に伝えられない結果に陥ることがあるが、今回は稍それに近い混乱を示しているような気がする。
次回は、たとえばこの種の編集工学&図版レイアイトの第一人者である戸田つとむ選手など起用して、著者との二人三脚でさらなるfusionの高みに飛翔して頂きたいものである。
ともかくもこの七月をくたばらず生き延びることだけが余の願いなり 蝶人