蝶人物見遊山記第300回&鎌倉ちょっと不思議な物語第407回
旧冬押し詰まってから鏑木清方記念美術館で企画展「水野年方没後110年」(1月14日まで)を見物したことを忘れていました。
清方という方の名前は師の年方からもらったのでしょうが、師匠の作品を見ると横山大観ばりの朦隴体であまり共通項がない。おそらく師を乗り越える清方独自の画境を懸命に切り開いたのでしょう。
その清方の弟子の一人が伊東深水ですがこの2人の作風もおおいに異なっている。出籃の誉という言葉もあるが、その逆もある。弟子の関係とはまあそおゆうものなのでしょう。
新しい年を迎えた昨日は鎌倉国宝館の「源実朝そその時代展」(2月3日まで)を見物しました。源氏にもいいのわるいのいろいろあるが、私は800年前の1月27日には八幡様の銀杏の木の下で非業の死を遂げたこの若き三代将軍がむかしから大好きなので、勇んで駆けつけましたが、冒頭陳列品の信濃善光寺所蔵の古色蒼然とした鎌倉時代制作の木造一木彫の「源実朝坐像」が深く心に刻まれました。
外観は享保雛のような瓜実顔ですが、瞼を閉じて彼岸に遊ぶようなその優美で気品ある表情がまるで小林秀雄の作品に描かれた孤独な魂のありようを生き映しにしているようで、心を奪われました。
実朝が父頼朝の追善のために我が家の近所に創建した大慈寺の軒瓦が展示されているのも驚きでしたが、ともかく800年前に人死にした詩人を、生きてあるかのごとく感じさせてくれる稀有の展覧会です。
「金槐集」読めばたちまち蘇る鎌倉右大臣実朝のこころ 蝶人