蝶人物見遊山記第301回&鎌倉ちょっと不思議な物語第408回
穏やかな快晴の日、連れ合いと連れ立って冬の半日を歩きました。まずは八幡様の源氏池の周りに咲いているぼたんの見物です。画眉鳥と同様、牡丹はどうも中国の過剰さが鼻につく植物であまり好きではないのですが、たまたま無料の券があったので、散歩がてらに見物しました。花そのものよりも花を風と寒さから防ぐための白川郷の合掌造りのような藁囲いに目が行きました。
若宮大路を右折するところは連日観光客で大混雑するのですが、今日はまだ早いのですいすい歩けます。小町通りの入口では今月いっぱい伝北条時房邸跡の発掘が行われていて、大量の土が積みあがっています。鎌倉では近年の開発で市内の到る所で発掘調査が行われていますが、若宮大路の東側では2米も掘ればすぐに鎌倉時代の地層にぶち当たるのに、ここ西側では震災後の盛り土があるので、7米以上掘らなければ到達しないそうです。
私は子供の頃から考古学に興味があったので、リーマンをリストラされた直後に遺跡掘掘業に従事したいと先輩を訪ねたのですが、「あんた、何考えてんの!この仕事は土方ですよ、体力勝負の土方!」とチコちゃんに説教され、虚弱体質の私は諦めてフリーライターに転身したのですが、今でも発掘現場を見ると血が騒ぐのです。
ここ「伝北条時房邸跡」には子供用の下駄が出土していましたが、丹波の下駄屋の三代目たる私は恐らく時房の家人か使用人の子供が履いたであろう小さな可愛い下駄をいとしく眺めたことでした。
お馴染みの「鏑木清方記念美術館」ではいつ行っても同じような作品を飽きもせず展示していますが、2月24日までの「佳人をゑがく」展では、カルメンや北朝鮮から来日した女優の美人画などを展示していて目新しいところをみせていました。
げんざい「災害と復興」展(来る5月18日まで)を開催中の「鎌倉歴史文化交流館」は、銭洗い弁天の近所にありますが、地元民もましてや観光客も殆ど訪れない空虚なたてものです。鎌倉時代の無量寺跡にノーマン・フォスターが設計した洋館を、ユネスコ世界遺産獲得運動に狂奔する鎌倉市が、莫大な税金を投じて転用しているなくもがなの施設です。
「災害と復興」展ではさきほど紹介した膨大な埋蔵文化財コレクションの中から、中世の火事、地震の痕跡を探り当て、その証拠写真や破壊された瓦等の現物が陳列されていますが、そんな遠い時代の胡乱な物件よりも関東大震災で全滅した数々の寺社仏閣の記録写真のほうが生々しい。その教訓から公共施設では対宸工事を急いでいますが、何の備えもない我が家などは、まもなく鎌倉を襲うであろう次期大震災では全滅の憂き目に遭うことでしょうが、それもまた700年前と変わることなき運命の悪戯ということやろねえ。
扇ガ谷の無量寺跡の崖下に見る人もなく白梅咲きおり 蝶人