照る日曇る日 第1191回
高良留美子というのは、むかし綾部の波多野書店で、いちど見かけたことのある印象的な名前の詩人だった。
けれどもそれ以来、一度も読んだことはなかったので、半世紀ぶりに読んでみたら、とても良かった。
この人は、いつでも心の中に言いたいことがちゃんとあって、そのことを平易な言葉で素直に書いていて、読んでいても、読んだ後も、すがすがしい。啄木の「詩人は一にも二にも三にも「人」でなければならない」という言葉を思い出す。
さいきん詩の朗読会がはやっていて、(私はああいう恥ずかしいことは死んでもしたくないが)、たまにライブ映像なんかを恐る恐る視聴してみると、字で読んでもよく分からないような内容の、それもかなりつまらない詩文を、役者でもないのにカッコつけて独白しているので、けたくそ悪くて耳目をそむけてしまったが、高良さんのこういう柿本人麿みたいな詩なら、いくら長くても、私も抵抗なく聞けそうだ。
少しく長いが、そして著作権の侵害になりそうだが、「戦争の死者」という作品を朗読してみよう。
戦争の死者を 国家で祀るという
靖国神社を 国家で祀るとかれらはいう
いったいなにを祀るというのだろう
死者たちは そこにはいないのに
そこでは空の木箱だけが からからと
冬の風に吹かれて
鳴っているだけなのに
死者たちが戻ってきているのは
ふるさとの 峠や川のほとり
家々の戸口や 路地や 街角の
かれらを想う人びとの近くなのだ
国家は かれらのために
帰りの船も ガソリンも
支給しなかったのだから
国家は かれらを
泥と血と 南の海の果てに
棄てたのだから
新春早々、声に出して気持のよい詩に出会ったなあ。
東京で殺したはずのふるさとの言葉を拾い口にしている 蝶人