あまでうす日記

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「ドナルドキーン著作集第6巻 能・文楽・歌舞伎」を読んで

2013-03-17 02:09:57 | Weblog


照る日曇る日 第573回

 
私は西洋音楽が好きで、殊にモザールのオペラを愛していて、電脳上のあざ名を「あまでうす(あざーす)」と名付けているくらいだが、その大好きなモザちゃんの遥か高みを天駆けるのが浄瑠璃と江戸歌劇場の下座音楽である。ちなみに三島由紀夫の最愛の音楽は「人形抜きで演奏される浄瑠璃」だったが、さすがと膝を打たずにはいられない。

よしんばそれがどんな下らない演目、下手くそな演奏であろうとも、その最初の太夫の一声、三味線の撥の一撃、太鼓の一打を耳にした途端に全身が蕩けて陶然となってしまうこと、かのエーリッヒ・クライバーの棒の一閃による「フィガロの結婚」の序曲の開始のエラン・ヴィタールの比ではなく、これこそ私たち日本人の原始心母に先天的にうがたれた天然情動装置の仕業に違いない。

さて本書には、最近晴れて日本人となられたキーン翁が若きアメリカ人時代から孜々と筆を進めた能と歌舞伎と人形浄瑠璃に関する論文やエッセイが粛々と一巻にまとまられているが、かくも私たちを理屈抜きに感動させる古典芸能の成立史やその魔術の謎、世界に冠たる芸術の特性についてきわめて精緻に解き明かされている。

例えば能の役に応じて使用される衣装の色彩の「位」や、文楽の人形を操る三人の人形遣いの実際の仕事がこれほどきめ細かく具体的に記述されたことが、かつてあっただろうか。

また翁が若き日にものされた「文学的主題としての継母の横恋慕」と題する論文では、聖書、古代エジプト・インド神話と文学、ホメロス、エウリピデス、ラシーヌ、今昔物語、源氏物語、大唐西域記、宇津保物語、摂州合邦辻などを縦横無尽に引用して、東洋と西洋におけるヒッポリュトス的三角関係を見事に論じ切って去っている。

この本は読んで為になるばかりか、読者に一刻も早く能や浄瑠璃が上演される舞台や劇場に駆けつけたいと思わせる不思議な魅力に満ちているが、その原動力とは翁が本邦の古典芸能に寄せる無類の尊崇と愛情だろう。

さあて木が入り太鼓が吼えて幕が開く。つま弾く三味に野太い太夫の声がして、 さあさ浄瑠璃のはじまりはじまり 



春一番御所人形のごとき童かな 蝶人

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