あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

自選「大岡信詩集」を読んで

2016-07-15 09:39:39 | Weblog


照る日曇る日第878回


大岡信は水の男であり、水の詩人である。

かつて私は彼が生まれ育った静岡県三島市を訪れたことがあるが、町中の至る所に富士山から湧きだした透明な伏流水が日夜滔々と流れ、その流れと共に人々が営んでいる温和な暮らしをある種の桃源郷のように思いなしたものだった。

生涯にわたる膨大な詩篇の中から編まれたこの1冊の中で、質量ともに最も大きな比重を占めるのは「水の生理」「三島町奈良橋回想」などに代表される水の歌であろう。

これらの詩は、朝も昼も夜もこんこんと湧きだす清冽な水の流れのなかでおのずと生まれてきた天来の調べなのである。


    右左一糸乱れず舵を切る十尾のハヤのリーダーは誰 蝶人
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ディック・リチャーズ監督の「さらば愛しき人よ」をみて

2016-07-14 14:10:53 | Weblog


闇にまぎれて cyojin cine-archives vol.1050



人世にくたぶれたやさぐれ探偵ロバート・ミッチャムの心の隙につけこむのは触れればおちなん臈長けた元娼婦現市の金持ち実力者の妻のシャーロット・ランプリングずら。

こういう魔性の女の手にかかったら、男は身も心もずたずたにされちまうだろうな。

しかし哀しいことにはいくら惚れても凶悪犯だから、探偵は終生忘れられなくなってしまった女を、泣く泣く殺す。んでさらば愛しき人よと呟くわけだ。


  にしても戦争で平和を作ることなんてできやしないと思いませんか? 蝶人

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林望謹訳「平家物語三」を読んで

2016-07-13 15:12:45 | Weblog


照る日曇る日第877回


本巻では巻第七の「清水冠者」から巻第九の「小宰相身投」までを例によって達意の名文で現代語訳している。

思えばつい最近まで都で安倍蚤糞のように偉そうに威張り返っていた覇者平家が、源三位頼政の一点突破発作的突出によってたちまち雪崩を打ってがたがたになる。

さうしてそれまで全国各地に雌伏していた源氏の末裔たちが、陸続と武装蜂起していくさまは、まさに絵に書いたような軍事革命そのものであり、一門の総勢が家に火をかけて西国めざして都落ちしていく悲惨な道行きを、林望は琵琶法師になり変って咽び泣くように物語るのである。ベンベンベベベーーンン。

源平相撃つ肉弾戦は残虐であり悲劇的であるが、この時代の戦はまだのんびりしたところもあって、一の谷の戦いの一番乗りを目指す熊谷次郎直実と平山季重の行状などはかなりユーモラスで、先に崖っぷちに到着した熊谷次郎直実が名乗りを上げても味方は誰も知らないし、崖下の平家からも無視される辺りは笑える。そしてようやくライヴァルの平山季重が到着したので、これで少なくとも一人は自分の一番乗りを証明してくれると喜んだ直実が改めてもう一度名乗りを上げるくだりは、歴史ドキュメンタリーとしての平家物語の真骨頂ではないだろうか。

ひよどり越えに挑む義経、薩摩守忠度が右腕をすぱっと斬り落とされるところ、南都を焼き討ちした重衡が生け捕りにされるところ、敦盛の最期もじつにリアルに、生々しく物語られていくのである。

   東京駅の地下三階の須賀線のホームの下でうごめく鼠 蝶人


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ハワード・ジーフ監督の「マイ・ガール」をみて

2016-07-12 09:03:43 | Weblog


闇にまぎれて cyojin cine-archives vol.1049


タイトル通りにヒロインの女の子が主人公なのだが、私はあんまり好きになれなくて、むしろ初恋役の男の子のほうが心に残った。

彼は蜂に刺されてアレルギーで死んでしまうのだが、何を隠そう私も彼と同じ蜂アレルギーで、あともう一回刺されたらアナフィラキシーショックで死ぬぞと医者から脅かされているのである。

そこで極力かのエピペン注射器を持って外出するようにしているのだが、安倍蚤糞ファシスト全盛のこんな時代に生きているよりいっそスズメバチに刺されていち早くあの世へ行った方が仕合わせかなあと思いながら、この葬式屋家族の映画をみていた。


 日本死ね北朝鮮死ね中国死ね偽イスラム国死ね米露死ね 蝶人
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ケン・アナキン監督の「バルジ大作戦」をみて

2016-07-11 13:44:53 | Weblog


闇にまぎれて cyojin cine-archives vol.1048



1944年12月、敗色濃厚になった独軍がアルデンヌの森で起死回生の反攻大作戦をおっぱじめるがやっぱりみじめに敗退してしまう第2次大戦余話ずら。

前半は格調高い展開だが、終わり際では独軍戦車指揮官がクレージーになり、結局燃料不足で自滅するという情けない話になり、そんなこたあ最初から分かっていたんじゃないかと言いたくなる。

        カンナ燃ゆ本土の民は愚かなり 蝶人
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アレクサンダー・マクラウド著小竹由美子訳「煉瓦を運ぶ」を読んで

2016-07-10 10:18:39 | Weblog

照る日曇る日第876回


本書にはカナダの若い作家が10数年に亘って書きためた7つの短編がおさめられている。

陸上競技のランナーの勝負に生きる厳しさと孤独を鮮やかに切り取った「ミラクル・マイル」、表題の「煉瓦を運ぶ」の青春の光と影の一瞬の暗転も、まるで良質な映画のエンデイングをみているようにわが瞼に残る。

しかしもっと私の心につき刺さったのは、少年の出会いと唐突なわかれを描いた小品「良い子たち」だった。

主人公の「僕」には3人の兄弟がいるのだが、そこに突然よそものの少年レジーがやって来る。

はじめはなかなか仲間入りできなかったこのちょっとトロい少年は、やがて兄弟にとってなくてはならない5人目の兄弟になるのだが、予想されたとおりある真夜中に突然の別れが訪れる。

あらすじをかいつまんで取り出せば、ただそれだけの短い話で、作者がこれと同じ体験をしたかどうかは知らないが、この小説を本邦の「竹取物語」などのある種の貴種流離譚と見立てることもできそうだ。

私自身もこれに近い体験をしたのだが、感じやすい少年にとっては生涯忘れらない大事件になって、心の隅の小さな傷のようにながく残るのである。

最後に置かれた「三号線」は自動車事故の悲劇を扱っているが、タカタのエアバッグの事故をさきどりしているようで心が痛む。


    餓鬼迷走分裂孤立野党陣営共産党だけがなぜだか大人 蝶人

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独グラモフォン盤「ドビュッシー選集」全18枚組CDを聴いて

2016-07-09 10:58:03 | Weblog


音楽千夜一夜 第369回


管弦楽曲はピエール・ブーレーズとクリーブランド管による2度目の録音であるが、最初の鋭角的な切り込が消えて全体的にまろやかな仕上がり。

人はそれを円熟というかもしれないが、これではブーレーズらしさがまるでない。

ピアノ曲ではミケランジェリの「映像」と内田光子の「エチュード」、とりわけ後者が聞きごたえがある。

私がいちばん好きなドビュッシーの作品はオペラ「ぺリアスとメリザンド」であるが、ここではクラウディオ・アバドがウィーンフィルを振っている。いかにもアバドらしい愚直な演奏であるが、あまりにもタメと外連味がなさすぎてドビュッシーらしくない。

この曲はやはりCDならアンゲルブレシュト、映像ならブーレーズだが、私が最も感動したのは70年代のマゼール&パリ管のシャンゼリゼ劇場でのライヴ演奏だった。

あの頃のマゼールはカラヤンの牙城を突く崩すほどの輝かしい演奏を世界中で繰り広げていたものだったが、その後メータ、小澤共々期待を裏切って伸び悩み、長い停滞と低迷の道を辿っていったのである。


ワルターがクレシェンドオ!と怒鳴ると即座にクレシェンドするコロンビア交響楽団 蝶人
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マーティン・スコセッシ監督の「エイジ・オブ・イノセンス」をみて 

2016-07-08 14:49:30 | Weblog


闇にまぎれて cyojin cine-archives vol.1047


なんとなくビスコンティを思わせる悠揚迫らぬ格調高い語り口に引き込まれて珍しく最後まで一気にみてしまった。

スコセッシも少しはビスコンティを意識しているのだろうが、主人公のダニエル・デイ=ルイスはまあいいとして、肝心のヒロインのミシェル・ファイファーが問題じゃ。健闘してはいるもののファム・ファタールにしては軽すぎていまいち。他に誰かいなかったものか。

相思相愛の男女が一緒になれなかったのは可哀想だが、そもそも恋とは病気であり狂気なので、こいつに見舞われたら運命と諦めるより仕方がない。

病気であり狂気である心身の状態を、傍からロマンチックだとか、野卑だとか、純情だとか評しても、当事者はどうしようもないのであるが、この映画は必ずしもそういう視点から描かれてはいないので、とても立派な作品ではあるが、わたくし的には少しく不満であった。



  赤白の躑躅が私に言うのです「撮ってください、撮ってください」 蝶人
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鎌倉文学館で「生誕130年萩原朔太郎マボロシヲミルヒト展」をみて

2016-07-07 11:15:38 | Weblog


蝶人物見遊山記第212回&鎌倉ちょっと不思議な物語第369回




萩原朔太郎(明治9年1886年~昭和17年1942年)は鎌倉を3たび訪れています。

最初は大正2年1913年5月10日から14日の4日間で、27歳の朔太郎は妹ユキを同伴して、彼の初恋の人ナカが入院していた療養所を探して江の電の旧七里ガ浜駅周辺を尋ね歩いたようですが、とうとう見いだせず引き返したようです。

同じ年に手作りされた世界でたった1冊の歌集「ソライリノハナ」は彼女への思慕に貫かれた423首にのぼる唯一のそして最後の短歌集で、その中には「きちがひになりたくて爪屑を火ばちにくばてみて居やるかな」という中原中也が中学生の時の歌に似た作品もあります。

2回目はちょうど漱石が49歳で死んだ大正5年1916年12月のことで、詩人は坂の下の海月楼という旅館に翌年の2月まで滞在し、詩集「月に吠える」の編集に従事していますが、たまたま鎌倉にいた日夏耿之介と意気投合し大いに詩について語りあったようです。

最後は大正14年1925年に妻稲子の療養のために材木座の借家におよそ1年間滞在しています。朔太郎は幼いころから写真が好きで、焦点が合っていても焦点がそこにはないような茫洋とした写真を撮っていますが、彼が材木座で海岸に向かって撮影したモノクロームの映像にはいまも営業を続けている遠藤酒店が映っています。

詩人にとって最大の心残りは、彼自身が「無良心の仕事をはじめてした」と丸山薫に語ったように、昭和12年1937年に「南京陥落の日に」という詩を東京朝日新聞に発表したことでしょう。

「(中略)あげよ我らの日彰旗 人みな愁眉をひらくの時 わが戰勝を決定して よろしく萬歳を祝ふべし よろしく萬歳を叫ぶべし」というのが結びであるが、最後のリフレインがいかにも哀しい。後悔先に立たず、とはこのことでしょう。

なお本展は7月10日迄同館にてギリギリ開催中。


  大一番に善戦空しく敗れ去りその翌日から戦い始まる 蝶人

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ロッポンギにルナちゃんがやってきた~国立新美術館で「ルノワール展」をみて

2016-07-04 10:31:26 | Weblog


蝶人物見遊山記第204回~これでも詩かよ第179番&ある晴れた日に第387回



印象派は大好きで、昔はなんでもかんでも見に行っていたのだが、だんだん飽きてしまひ、ゴッホ以外はもういいやと思っていた。ゴッホ、ゴッホ、ゴホゴホ。

ロッポンギにルナちゃんがやってきたとか、風の便りに聴いてはいたが、ルノワールといふ淑女が番茶で傅く高値キッチャテンのやうな名前を耳にしただけで、あのぶたぶた女のふわふわモワレ像のあともすふぇーるが浮かんでは消え、消えては浮かんでしまふ。

「まず、よさう」と思っていたんだが、たまたま御成通の金券ショップで割引入場券を衝動買ひしてしまったので、けふ仕方なく初夏の昼下がりのロッポンギくんだりまでやってきたんだよ、オネイちゃん。

ところが結果的にはこれが良かったずら。行かなければ一生後悔したにちげえねえくらい良かったんである。あるん、あるん、コンコンチキのコンチクショウめ。

おらっちは遅まきながら、ぬあーんとルナちゃんの真価に目ざめてしまったんである。あるん、あるん、おらっち、コキ過ぎて。古稀過ぎて。

入り口にさりげなく置かれていた「猫と少年」にいきなり目がいった。と思いねえ。

猫をネコかわいがりしている少年は、まるで童貞少年プルーストのようで、映画「バーディ」の主人公と同じように、素っ裸で無防備なお尻を、おらっちの前におどおどと晒していた。

そのおどおどをば、ルネちゃんはあざやかにえぐっていた。
お、これがルナちゃんか、なかなかやるじゃんかと、おらっちは思った。

じゃんか、じゃんか、ルナちゃん、なかなかやるじゃんか。

お次は肖像画のコーナー。点描の大家シスレー選手や詩人テオドール・ド・バンヴィルの澄ましきった御影なんざどうでもよかったけど、「読書する少女」にはちょっと心が動いた。やっぱ描くなら少女なんだなと、心が揺らいだ。チラ、らちもなく。

次の次は風景画なんだけど、セーヌ川のなんてこともない風景がじわじわ胸に染みてきたではないか。

じゃんか、じゃんか、ルナちゃん、なかなかやるじゃんか。

「アルジャントゥイユのセーヌ川」の河原には、蒼穹の下で雲雀が日がないちんち歌っており、童貞プルースト少年が全裸で水浴しているのを、心配そうに眺めている。

白いパラソルをさした彼の母親、それからモネの奥さんや娘たちが「草原の坂道」をゆるゆる下ってくるのが見える。

そしておらっちの心がいきなり鷲摑みされたのは、これまでよくみたこともなかった「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」だった。じゃった。
午後二時半の巴里モンマルトルの広場で、老若男女のシトワイヤンとシトワイエンヌが、ジンタの響きに合わせてワルツを踊っている。

ジン、ジン、ジンタン、ジンタタタッタアタアア*
ダンス、ダンス、ダンス
一寸の光陰軽んずべからず
泣くも笑うもこのときぞ このときぞ*

燦々と輝く午後の日差しは、恋人と我を忘れて踊る若い女性の白いシフォンドレスの上にほのかな樹影を刻印している。樹影、じゅえい、Joue joue jouer

画面の中央では、箱入り娘が青年の、そして左隅では、ジルベルトがプルースト少年のダンスの申し込みを待っている。

ジン、ジン、ジンタン、ジンタタタッタアタアア
ダンス、ダンス、ダンス
一寸の光陰軽んずべからず
泣くも笑うもこのときぞ このときぞ

あ、と思えば、つ、と過ぎ去ってゆく、我らが祝祭の日。
その一瞬の仕合わせを、ルナちゃんはキャンバスのうえに、かそけく、あわあわと描く。かそけく、かそけく、あわあわ、あわあわと

あたかも次の瞬間には、束の間の宴がうたかたのごとく儚く消え失せ、けたたましい軍歌軍靴にとって代わられる日が来ることを予期しているかのやうに。

ジン、ジン、ジンタン、ジンタタタッタアタアア
ダンス、ダンス、ダンス
一寸の光陰軽んずべからず
泣くも笑うもこのときぞ このときぞ

そして満を持して最後に姿を現すのは、草上にごろりと横たはる巨大な裸婦たち。そはかのギリシア神話のニンフか、はたまたアマゾネスか。

いな、否、Nein 、それは、かつての「麦わら帽子の少女」、「本を読む少女」。
ムーラン・ド・ラ・ギャレットでダンスに興じた少女は、やがて「ルノワール夫人」となり、「横たわる裸婦」となり、最晩年の傑作「浴女たち」となった。

燦然と光り輝く午後三時の太陽の下、もはや男どもが死に絶えたエデンの園で、
恐竜のようにあどけない原始女性たちが、地表のあらゆる因果律を無視して、未来永劫戯れている。

*「ジン、ジン、ジンタン、ジンタタタッタアタアア」は仁丹の広告に拠る。
*「泣くも笑うもこのときぞ。このときぞ」は、中原中也の「古代土器の印象」の「泣くも笑うも此の時ぞ」に拠る。
*括弧内の表記の多くは、今回の「ルノワール展」の掲出作品名である。
*「ルノワール展」は8月22日まで国立新美術館にて開催中。

   ハルジオン花弁日毎に赤らんでヒメジオンとの違い現す 蝶人
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水原一校注「平家物語上」を読んで

2016-07-03 10:53:17 | Weblog


照る日曇る日第875回

古典の注釈本はたくさん出ているが新潮日本古典集成新装版の最大の特色は、その校注もさることながら、文末に置かれた解説「平家物語への途」の素晴らしさにある。

氏はまず、この物語が「将門記」、「陸奥話記」に始まり、「保元物語」「平治物語」と進化してきた仏教的色彩を帯び、王朝文学の抒情美の伝統を吸収した中世古典の最高峰であると位置づける。

そして氏は、源平両氏の氏族としての系譜に遡るのであるが、清和天皇の皇子経基王に始まる「清和源氏」と桓武天皇の皇子葛原親王を祖とする「桓武平氏」を氏祖とする諸流派の動向を、巻末に掲載されている皇室貴族相関表や林望の「謹訳平家物語」に付された源平系譜図を眺めつつ走り読めば、この物語の主人公である武士飛躍の歴史的背景を十分に理解することができるだろう。

例えば源平の戦いでは最終的に源氏が平家を滅ぼして鎌倉幕府を創建し勝利を収めたことになっているが、まだその先がある。頼朝一族を根絶やしにし政権を乗っ取ったのは伊豆に蟠踞していた北条時政とその一族であったが、悪辣非道な北条氏を打倒してリベンジしたのは他ならぬ河内源氏の足利氏であった。

いずれにしても新興勢力の源平の武士は、白河院、鳥羽院が領導した院政の「番犬」として、じょじょに力を蓄えていくわけだが、七一代の御三条帝以降八一代の安徳帝に至る一代毎に、院政は天皇を藤原摂関家から奪い去り、院と三流の下級貴族が、外戚として権力を行使できる自由な政治空間が生じた。後白河院の番犬平家は、これに目をつけて巧妙に割り込み、遂に一時的な覇権を確立した、と氏は考えているようだ。

「院政の沼」に陰美な華を咲かせた美貌の皇后待賢門院璋子と美妃美福門院徳子が、政治を私して、無実の崇徳帝と藤原頼長を陥れるくだり、「保元の乱」で父と弟を処刑した源義朝が、「平治の乱」で絶望的なゲバルトに自爆するあたりの描写は、まるで後白河時代の傭兵の「決死の実存」に寄り添った同時代の物語作家のような筆致で、感動的ですらある。

氏が説くごとく、平氏も源氏も、明日なき今日に生き、そして死んだのだ。

このように本書は、「時代の勝利者平家の栄光は、武家の貴族化という逆説的な方法で達成されることになる」と結ばれる23ページの名解説を読むために購われるにふさわしい価値を持っているのである。


 「力強くこの道を行きし」男あり「希望ゆきわたる国」にて姿消したり 蝶人


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なにゆえに 第28回

2016-07-02 11:03:38 | Weblog


西暦2016年水無月蝶人花鳥風月狂歌三昧


ある晴れた日に第386回


なにゆえにおむつ代だけで1月5万もかかるのか貧乏人は入院できない

なにゆえに鼻や口に乱暴にノズルをつっ込むもっと患者を優しく扱え

なにゆえに意識があるのに手足が動かぬこんなに酷いことがあるだろうか

なにゆえに内閣支持率が上昇する安倍蚤糞のトリックに簡単に引っ掛かって

なにゆえに安倍蚤糞が生き延びるみんな政治に絶望しているから

なにゆえに朝も早よからじゃんじゃん電話今日は施設から帰宅する日なのに

なにゆえに子供は森で生き延びる親のシゴキを見返す躾に応えるために

なにゆえにTPPは不可なるか食料自給と皆保険を崩壊させるから

なにゆえに3つの奥歯ブリッジがガバと取れるそろそろ年貢の納め時なり

なにゆえに都民代表として突っ込まないPCに入力ばかりしてる記者

なにゆえにあくまで椅子にしがみつく利権専権の特等席ゆえ

なにゆえに参院選の争点が経済なんだ本音は憲法改悪なのに

なにゆえに耳をふさいで死んだふりそのうち嵐も通り過ぎるだろ

なにゆえに今日も私は生きている「浜風文庫」には原稿締め切りがある

なにゆえに「サンデー毎日」なんか買って来る読みもしないでゴミ箱に捨てるくせに

なにゆえに息子は施設へ出かけない今日は朝から雨降りなので

なにゆえに自民の走狗となり果てた公明の名が恥ずかしい 

なにゆえに争点は経済と叫んでいるほんとの狙いは改憲にあるゆえ

なにゆえにとうとう辞表を出しちまう死んでもかじりつくと思ったのに

なにゆえに千円札を10円玉にくだく100人に3分間電話できるから

なにゆえにまむしに弁護士が務まるみさかいなしに喰らいつくので

なにゆえに黒木メイサはテレビから消えた耕君が待ち望んでいるのに

なにゆえに沖縄だけがつんぼさじきやまとんちゅうは見捨てているから

なにゆえに戦争加担の自公に加担するあんた自身が戦争に加担しているから

なにゆえにアホバカ自公に投票するあんた自身がアホバカだから

なにゆえに明日から1週間休むと宣言する施設にいやな職員がいるからか

なにゆえに英国だEUだと大騒ぎするあと半月で運命が決まるのに

なにゆえに自公勝利と予報するなんの根拠もないくせに

なにゆえに選挙に投票に行かぬこんな世の中を良しとしている

なにゆえに小池百合子が知事選にでる同じ小池なら栄子がいいな


  なにゆえに臭いものに蓋をする憲法改悪年金運用損 蝶人

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西暦2016年水無月蝶人花鳥風月狂歌三昧

2016-07-01 11:05:50 | Weblog


ある晴れた日に第385回


二十四の高齢男子の一人とて三色丼に取り組む料理教室

デジカメが向けられるたびにVサインしている愚かな男よ

英国がEUを離脱するというので大騒ぎ私は朝からフルニエを聴く

EUを離脱したる英国と同盟結んで米から離脱

「争点」議論はどうでもよろし参院選は護憲改憲の決戦関ヶ原
 
ともかくも辞めてくれれば満足で闇に消え去る疑惑の数々

マスゾエよりも反省すべきは投票したる211万都民

消費税を延期すれば大喜び安倍に与する愚かなやつばら

大変だあ世界経済リーマンショック安倍蚤糞一人で大騒ぎィ

増税を止めたらすぐに支持率跳ね上がるさすが安倍ちゃんさすが臣民

改憲の主張を封じとくとくと安倍蚤糞の成果を誇る日本のイトレル

原爆を落とした国の大統領頭は下げず両目を閉じる

レトリックの限りを尽くしたオバマ氏の高踏的な哲学を聞く

「アジアには絶対旅行したいです」とほざく日本人お前はアジア人ではないのか

この国では可愛ければすべて許される可愛くなければ可愛くなりなよ

ぐちゃぐちゃの老婆が嫣然と頬笑んでいるテレビに登場往年の大スタア

韓国のTVドラマを好きな人は嫌韓派ではないのだろうが

「おい孝壽!俺だ!佐々木だ!」と叫べば寝たきりの友はぎょろりと両眼を開きたり

もはや眼でしか意思を表せないその友の眼をじっと見つめる

地上では行き場失いしクライバー眠れよわれらの記憶の底に

「よく生きた」などと思うは傲慢で「十二分に生かされてきた」のである

人はみな自爆装置を付けられて神様がスイッチを押す日を待っている

原宿の本社ビルの踊り場に捨てられていたレッテラブラック

「東洋のスイス」が突如生まれいで「中東のスイス」と手を握る夢

頭では新しさを受け入れているのだが肝心の身体の方が拒んでいる

あまたある草木の中から野菊を選ぶ神奈川県の大和市うるわし

消したはずの電気は朝まで煌々と点いていたわが海馬深々と眠りこけて

ツバルよりキリバスより先に粛々と沈んでいくのはこの国ニッポン

民草は今日もなんとか生きているかつかつかつかつがつがつがつがつ

死ぬ死ぬ死ぬわれひとともに死んでゆく夢も希望もなき国の民

最新作が最後作にして最高作思い新たに詩作に取り組む

幻は鷹か川端康成か 

ゼフィルスが樹冠を越ゆる桜桃忌 


     舛添も福一熊本Brexitも忘却の彼方六月尽 蝶人
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