あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

マーティン・スコセッシ3本立て

2017-03-15 13:56:12 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1139,1140,1141



○マーチン・スコセッシ監督の「タクシードライバー」をみて

病める社会は病める人間を生みだす。
あこがれの美女とやっとデートできたというのに、ストリップに連れ込むアホ馬鹿男は、しかし悪の道に落ち込んだ少女のために命を投げ出す善き心の無法松でもあった。
デニーロ、ジョディ・フォスターが好演。ハーヴェイ・カイテルはどんな映画に出ても素晴らしい。


○マーティン・スコセッシ監督の「グッド・フェローズ」をみて

ヤクザに憧れてヤクザだかマフィアになった青年(レイ・リオッタ)の稼業と青春を骨太に描いた犯罪映画の傑作。
結局麻薬ビジネスに手を出してボスや兄貴分を獄に送るのだが、FBIと取引した自分は69歳まで生きてこの映画の原作をものしたという。
良き仲間たち?と組んでいわゆるひとつの酒池肉林の楽しくスリリングな生涯を送ったわけだ。


○マーティン・スコセッシ監督の「ディパーテッド」をみて

ギャングの親玉ジャック・ニコルソンに警察から送り込まれた警官ディカプリオと親玉が警察に送りこんでいる内通警官のマット・デイモンの区別がつかないので、頭の中がごちゃごちゃになって何が何だか分からなかったずら。
紅一点のヴェラ・ファーミガには魅力がない。



    菊五郎は音羽屋時蔵は萬屋とあやまたず大向こうから掛け声が飛ぶ 蝶人


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半蔵門の国立劇場で通し狂言「伊賀越道中双六」をみて

2017-03-14 10:49:08 | Weblog
半蔵門の国立劇場で通し狂言「伊賀越道中双六」をみて


蝶人物見遊山記 第234回


2014年に上演した本興行の再演を見物しました。あの豪傑荒木又右衛門の上野伊賀鍵屋の辻の有名な敵討ちをベースにした5幕7場の通し狂言ですが、そのハイライトはもちろん四幕目の「三州岡崎・山田幸兵衛住家の場」です。

前回と同じく中村吉右衛門、中村歌六、中村雀右衛門の愁嘆場が再現されましたが、右隣の女性があまり涙を絞るので興を削がれてしまいました。

考えてみれば、いくら仇討ちに必要な敵の情報を得るためとはいえ、遥々訪ねてきた細君を極寒の屋外に放置したり、蹴りだしたり、あまつさえ愛児を刺殺して投げ出したりする唐木政右衛門(吉右衛門)の態度には、現代人としては大いなる疑問を覚えるのですが、その封建的なところを超越して観客を泣かせるのが演技の力というものなのでしょうが、今回は月曜日の公演の所為かやや隔靴掻痒の感がありました。

今回は舞台に近い席だったために前回よりは台詞が聴き取りやすかったものの、吉右衛門の高音部の細身の発声は依然として耳に通らず、歌六や菊之助にくらべていささかひけをとるようです。

けれども佐々木丹右衛門と奴・助平の両役を演じた中村又五郎は、それらを補って余りある出色の出来でした。三幕目「三州藤川の 裏手竹藪の場」で、漆黒の闇の中、奴・助平と捕り手たちが、スローモーションのパントマイムで繰り広げる捕り物劇は何度見ても楽しいですな。

  バタバタバタバタバタバタ「ツケ打ち」はすぐにツンボになっちまうだろうな 蝶人


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DOCUMENTS盤「ハンス・ホッター・ベスト10枚組」CDを聴いて

2017-03-13 18:49:20 | Weblog


音楽千夜一夜第384回

お馴染み独廉価版のDOCUMENTSによる超お買い得10枚組ずら。ただし全部モノラルですけど、バスバリトンの奥深い音色はいつ聞いても胸にズンと沈みますなあ。

ワーグナー、ヴェルディ、モザール、シュトラウス、プフィツナーのオペラの全曲とはいかぬまでも聴かせどころの抜粋を、次々に唄ってみせてくれまする。

しかいちばん聴きごたえがあるのはやっぱしワーグナーの6枚で、「指輪」「オランダ人」「トリスタン」「ニュルンベルグ」のいずれをとってもいわゆるひとつの本場芸とやらを堪能させてくれます。

  世界中の最も裕福な8人が最下層36億人分の資産を持つという 蝶人
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早瀬圭一著「大本襲撃」を読んで

2017-03-12 12:56:54 | Weblog


照る日曇る日第953回

「出口すみとその時代」という副題がついているように、2代目教主すみの苦難に満ち満ちた足跡と大本教団の軌跡を、足と聞き取りを惜しまず、つぶさに辿っている。

1921年(大正10年)と1935年(昭和10年)の国家権力による大本弾圧はそれこそ徹底的なもので、特に2回目のそれは、教主すみと聖師出口王仁三郎以下、主だった幹部など150名以上を不敬罪と治安維持法違反で逮捕し、執拗に拷問し、無実の民に社会転覆の計画の自白を強要するという言語道断の非道苛酷なものだった。

特に次代の後継者として嘱望されていたすみ・王仁三郎の養子、出口日出麿を、小林多喜二と同じ残酷な手法で拷問し続け、廃人同様に至らしめた。2大宗教拠点の綾部と亀岡の施設や住居は完全に破壊され、土地建物などの所有権も取り上げられた。

左翼を壊滅に追い込んだ国家権力は、返す刀で、「社会改革を目指す不穏な宗教団体」と思われた大本を、その総力を挙げて血祭りにあげたのである。

著者が説くように、1935年(昭和10年)12月8日の一斉検挙に始まった第2次大本襲撃は、1945年(昭和20年)の終戦を経て9月8日の大審院での治安維持法の確定と10月17日の大赦令公布による不敬罪解消によって、ようやくすべて終結したが、物心両面で徹底的な被害を受けた大本は、まったく零からの再出発を余儀なくされたのである。

大本事件の原因は、教団自身に内在する反権力、世直し志向を、天皇制解体、国体転覆の野望と意図的にねじまげた国家権力と警察の下衆の勘繰りと強権発動によるものだったが、現在安倍蚤糞と自公両党が血道をあげている治安維持法(共謀罪)が国会を通過すれば、ふたたび大本襲撃のような不当な宗教団体弾圧がやすやすと日の目を見るに違いない。

大本と同じ綾部生まれの私は、出口すみと王仁三郎の宗教家としての偉大さについてはおのずと感得していたが、本書を読んで、すみのおおらかな人柄と王仁三郎と信者間の卓抜な調停者としての役割、そして王仁三郎の耀盌を凌ぐ天衣無縫な書の素晴らしさに圧倒されたことだった。

     救急車で運ばれゆくは何者か近所の人は背伸びして見る 蝶人


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笹井宏之歌集「ひとさらい」を読んで

2017-03-11 15:07:38 | Weblog


照る日曇る日第952回


2009年の1月に26歳で夭折した若き歌人の歌集です。

はねとばすばすはねとばすばすはねとばすはねとばすばすばすはねとばす
 ―蛇が蛇のしっぽを喰らい尽くすような楽しい言葉遊びは楽しそう。


吊り革に救えなかった人の手が五本の指で巻き付いている

右うでに左うでが生えてしまってせっかくだから拍手している

 ―なんかダリの絵みたいだな。


パジャマ着たままで沈んでいく人を失礼しますといってなでている

つけものの真空パックあけるとき祖母とはげしく抱きあうひつじ

「1500円になりたてですよ」って自覚する間もないカレーたち

 ―これはマン・レイの映画みたいだ。


三番線漁船がまいりますというアナウンスをかわきりに潮騒

野菜売るおばさんが「意味いらんかねぇ、いらんよねぇ」と畑へ帰る

 ―赤塚不二夫の漫画のようなシュールなブラック・ユーモア。


ひたいから突き出ている大きな枝に花を咲かせるのがゆめでした

 ―これはアニメーション映画の傑作「頭山」を想起させないか。


こういう夢の自動表記マシーンからよどみなく生まれてくるような斬新な感覚いっぱいのTANKAを、我らが牢乎たる短歌界へ送りこむことしばし、期待の俊才は須臾にして不帰の人になってしまったのであった。

嗚呼!


最後まで歯磨きチューブを使いなさいうちは貧乏なんだからと息子に注意す 蝶人


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村上春樹著「騎士団長殺し・第2部遷ろうメタファー編」を読んで

2017-03-10 15:10:42 | Weblog


照る日曇る日第951回


第2部では、謎は謎を呼び、主人公とそれを取り巻く内面と外面の両世界が混迷を極めつつめくらめく壮大なファンタジーの全面展開となる。

第1部で盛大にまき散らされた種子を急いで育て、開花させ、その果実を収穫しなければならないのだが、ちょっと急ぎ過ぎたのではないだろうか。物語の本当のエンディングまでには、ちと紙幅が短すぎた、という印象がありますね。

冥界のエウルデーチエを探すオルフェオのように、行方不明の美少女を取り戻そうとする主人公の現実と空想の次元を超越した大冒険は、老画伯と主人公の出会い、主人公による騎士団長殺しをハイライトに延々と続きます。

そもそもが奇想天外な噺、あるいは電脳ゲームなのですが、それをさほど奇想天外と感じさせずに平然と物語る作者のお筆先は、さすがノーベル賞候補作家だと唸らせるほどの凄さだが、それが主人公の地中探検あたりから、だんだん白熱の度合いが醒めてくるように感じられるのはなぜだろう。

恐らくそれは、美少女が主人公が大好きだった亡き妹の分身だとしても、なぜ騎士団長を人身御供にしてまで命懸けで救いだそうとするのか、よく分からないからではないでしょうか。
まして彼女は、その間、謎の男の謎の洋館に迷い込んでいただけなのだから。

穴に始まって穴に終わる。大山鳴動してみみずく1羽。
主人公の遅まきながらの自己投企と漂流の時代は終わり、物語は急速に自己再生のブルダングスロマンの色彩を帯びてくるのですが、わたくし的にはそれが非常につまんない。面白くないのです。

ホラーファンタジーから、因果律と輪廻と恩寵が支配する運命ドラマへの転回など、竜頭蛇尾、興ざめ以外の何物でもないからです。
幸か不幸かまだしぶとく生き延びている2人の悪の分身との熾烈な戦いを描く続編を期待してやみません。

それにしてもこの作家はいつの頃からか、吉本ばななほどではなくとも、精霊のさざめき的な要素を物語の中に大胆に取り込むようになった。スエーデンボルク流の心霊探訪は、ゲーテ以降いくたの文学的遺産をもたらしてきたのであるな。


 観念が顕現しようが引喩が流動しようがどうでもいいが村上春樹は直喩の作家 蝶人
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長田典子著「おりこうさんのキャシー」を読んで

2017-03-09 10:37:33 | Weblog


照る日曇る日第950回

2001年に刊行されたこの詩集では、作者が好んで訪れたNYという街と英語という外国語が生み出した新しい生の磁場があざやかに形象化されている。

「世界、よ」という短い詩がある。

はじめて冬のNYにやって来た主人公が、暖かそうなハンバーガーショップの前で佇んでいる。彼女はそこへ入りたいのだが、

「言葉がよくわからなくて
ほんの些細なことが、わたしを怯えさせるから
入れずに
それでも中を覗いているのだった」

そして、歌う。

「世界、よ
わたしは 黄色くて 小さくて 貧しくて たった一人の女だった」

この感じは私にもよく分かる。分かり過ぎて困るくらいによく分かる。

かつて漱石がロンドンで「ムク犬」のような、高村光太郎が「猿の様な、狐の様な、ももんがあの様な、だぼはぜの様な、麦魚の様な、鬼瓦の様な、茶碗のかけらの様な」自分を発見したように、(そして不肖わたくしめが、モンマルトルのテルトル広場で描かれた自画像の絵に、唇が異様に太い痩せたカンボジア人を発見して驚愕したように)、作者はマンハッタンで、「小さくて、貧しくて、黄色い一人の日本人」を発見したのである。

同じアジア人でありながら、西欧に旅をして、「わたしは黄色い女、それだけ」という痛切な認識、作者の言葉を借りるならば“わたし、というマイノリテイ”を獲得できるひとは、それほど多くはないだろう。

この国の息苦しい急迫を逃れてマンハッタン島に脱出し、「何処にいても、わたしはわたしでしかなく、それでいい」という自覚を手に入れた作者は、幸いなことに「おりこうさんのキャシー」と呼ばれた過去のしがらみを一気に相対化することにも成功したらしい。

かくて「何処にも避難する必要がなくなった」彼女は、ここから新しい第一歩を踏み出すことが出来たのである。

みずからのかけがえのない人世の経験を、このような詩の言葉で刻みつけることが出来たひとは幸いである。


   空港の至る所に隠されたカメラだけが事件を明かす 蝶人


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夢は第2の人生である 第40回 

2017-03-08 11:26:43 | Weblog


西暦2016年弥生蝶人酔生夢死幾百夜




かつて友人だった男が脳こうそくで倒れたので、その代理に私が呼ばれて彼が復帰するまで名前だけの社長を務めることになった。3/1

海水浴を楽しんでいたら、大きな箱がプカプカ浮かんでいたので、その上にイスと机を置いてくつろいでいたら、各国の軍艦が見物にやってきた。3/2

A男とB子が、私を銀座の料亭で接待してくれるというので、喜んで出かけたのだが、酒や料理はそっちのけで、やおら販促物のパンフレットを持ちだして、「これについてなにか意見を述べろ」と強要する。

その口調が変なので、よく見ると彼等はもう完全にきこしめて、ぐでんぐでんに酔っぱらっているのだ。こんな連中と打ち合わせなんてとんでもない。想定外のコンコンチキだ、と捨て台詞を吐いて料亭を飛び出したが、2人はどんどん後を追ってくる。

瞬く間に追い付いた男の顔をよく見ると、なんと前の会社にいた日隈君ではないか。彼は「佐々木さん、そんなに大急ぎで逃げ出さなくてもいいじゃありませんか。せっかくあなたの昔の恋人を連れてきたのに、一言も言わずにほおっておくんですか」という。

じぇじぇ、それではあの酔っ払い女がそうだったのかと思わずその場で立ち止まると、「ほおら、急に態度が変った。それじゃあ僕たち先に東京タワーに行っていますからあとから来てくださいな」といいざま姿を消した。3/5

地下道ですれ違おうとした男が、いきなり私の腰に腕をまわしてエイヤとぶん投げようとしたので、そうはさせじと、こっちも彼奴の腰に腕をまわして、ナンノナンノとこらえていると、いつのまにか周りに人だかりができた。3/6

すると男は急に力を抜いて「いやいやこれは失礼つかまつった。ほんの冗談、冗談。許されよ、許されよ。アラエッサッサア」と言いながら一礼しすたこらさっさと立ち去った。3/6

「私A-dogの田村ですが」という電話が掛かってきたので、いったい誰だろうと訝しく思ったが、すぐに先週名刺を交換した取引先の女性だと分かった。

「なにかご用ですか?」と尋ねると「送って頂いた企画書の件で直接お目にかかりたい」というのだが、私はそんな企画書を送った覚えはないので、はてどうしたものかと思い悩んだ。3/6

小高い丘の上で、黄揚羽と戯れながら、巨大な水色の蝶が飛びまわっている。翅の色はクスサンに酷似しているが、これはこれは新種の揚羽に違いないと確信した私は、薄絹の採集網を一閃してそれを捕獲し、部厚い胸部を一気に押して、窒息させた。

まだ生温かいその大きな蝶を三角の硫酸紙に折りたたんでいたとき、私は突如急な便意に襲われたので、三角紙に包んだ蝶をその場にそっと置き、近くの草むらで用を足してすぐに戻ったが、蝶がどこにもない。いくらあちこ探しても影も形も見当たらなかった。3/7

大阪のデザイナーたちは、みずからのデザインのダサさを棚に上げて、「東京のデザイナーなんか最低。はよなんとかしてえな」と声を揃えて、新社長の私に迫るのだった。3/7

私は超多忙だった。まず所属するカルテットの演奏会が目前に迫っていたが、委嘱した新曲がまだ出来あがっていないから練習さえできないでいたのである。3/8

次に新雑誌の創刊号に64ぺージももらっていたのだが、その中身をどうするのか何ひとつ決まっていなかった。恐ろしいことに、自分が監修するふぁちょんブランドの次期シーズンのデザインがノーアイデアだった。

にもかかわらず月日は矢のように飛び去っていくので、私は仕方なく3つ目の仕事部屋全体を大きな布で覆って外から見えないようにしたので、まったく気にならなくなった。3/8

「只今から26種の植物の植え込みを行います」と宣言したサトウ君は、私の弁当箱の中に無秩序に散らばっていた多種多様な苗を、26の棚田のように整然と区画整理して綺麗に植えこんだので、みんな拍手喝采した。3/9

25歳の処女の大活躍の御蔭で、宿願の用水が切り開かれたのだが、不幸なことに彼女の過去の罪業が暴かれ、逮捕監禁されることになったが、功罪相半ばすると判定されたので、無罪放免されることになった。3/10

ふと周りを見渡すと、第1章に出てきたサーカスの親子と、第2章で登場したじいさんばあさん、第3章でSMに耽っていた男女が、いずれもこの巨大な木の下の青い草の上で、憩うているのだった。3/11

彼が起きると朝の7時半で、女も起き上ったが、彼は「疲れただろうから、君はもっと寝ていなさい」と言い残してベッドを離れた。3/12

私たちが乗った世界一大きな風船が、熱帯夜の赤道上空に差し掛かったので、窓を開けると、月の光と共にわずかばかりのそよ風が吹き、極彩色の鳥が舞い込んできた。3/13

どういう風の吹きまわしか、アレがだんだん硬くなってきたので、「オオ、イイゾ、イイゾ」と驚いて様子を見守っていたのだが、やっぱりみるみる凋んでいった。3/13

燃えるゴミ、燃えないゴミのほかに、燃えるか燃えないか分からないゴミがあるので、我が家では3番目のカテゴリーを新たに設定して、土曜日に出したのだが、市役所のゴミ車は引きとってはくれなかった。3/14

わが社が冷果会社を吸収合併した途端、トランプそっくりの顔をした社長が、「すぐそこにオフィスを作って仕事をしろ」というので、氷と氷の間にブースを作ってイヌイットのような生活をしている。3/15

私はその大学の寄宿舎に住んでいたのだが、ある日同級生の山口君が「君の誕生日はいつだ」と聞くので「じつは今日なんだ」と答えると、「それは目出度い。実は私の映画俳優の伯父も今日が誕生日なんだ。今から連れてくるからここでお祝しよう」と行って出かけたきりいつまで経っても帰ってこなかった。3/16

うちの事務所は、新進気鋭の男女の作曲家を抱えているのだが、いくら新曲を書いても楽譜出版や演奏の見込みは皆目ないので、ここ10年間は演歌の編曲でなんとか食っていた。3/17

その時、大きな幕がざっくりと切り開かれて、蒼ざめた馬が嘶き、地は大きく震えたので、我われは第7の封印が解かれたことを知った。3/18

野球賭博をやったと噂されている巨人の生意気な若手選手が、バッターボックスに出て来たので、大きく振りかぶった私が、顔すれすれのビーンボールを投げると、彼奴はバットを投げ捨てて、ダッガウトへ逃げ出した。3/19

私は役満の「九連宝燈」をてんぱっていた。たぶん9面待ちだと思うのだが、もしかするとそうではないかもしれない。そう思うと、額に脂汗が玉のように滲みだし、雀荘に居たたまれずに、一刻も早く逃げ出したくなるのだった。3/19

私が要塞に入って最初にしたことは、3.7インチ高射砲の砲身に右手で触ったことだった。私は、手に入れたばかりの自分の武器を自らの手で触れて、ぢかに確かめたかったのだ。3/19

夜になると7時間立哨せよと命じられたが、だんだん眠くなってきた。立ったまま眠っているとオオカミに喰われるので、私は皆と同じ寝袋に潜り込んで、朝までぐっすり眠ってしまった。3/19

私は原子炉だが、長い間使われていなかったので、技術者が恐る恐る「出力は30ぐらいでよろしいでしょうか」と聞くので、「大丈夫、とりあえず45までならいけそうだよ」と教えてやると、嬉しそうな顔をして「では、どうぞよろしくお願いします」と頭を下げた。3/20

本邦の代表的なテノール歌手は、先日の健康診断でガンの宣告を受けたにもかかわらず
昨日はモザール、今日はバッハ、明日はヴェルディを国立劇場で歌うことになっているというのですぐに手術をするように勧めたがガンとして言うことを聞かない。舞台で歌いながら死にたいそうだ。3/22

5年前に会社を辞めた吉田君が突然やって来て、「ただ同然の値段で高級別荘地が手に入るからいますぐ現地へ行きましょう」とせっつくので、「いまから会議があるんだ」と断ると、「この絶好のチャンスを逃したら、もう二度と手に入りませんよ」となおも勧誘する。3/22

某国の宰相に良く似た男が暗い部屋の中にいたので、私は静かに背後に回って彼奴のそっ首をかいた。3/23

「戦争が始まったので、今日からネットの物販はできなくなる」と通達にやって来た役人が、たまたま昔の部下だったので、私はぎりぎりで「しきみ」の実を買うことができた。3/24

ジェームズ・ボンドの私は、新幹線が停車している高架線路の下にあるカフェでコーヒーを飲んでいたのだが、誘拐犯がドアを出て線路に降りた瞬間に、立ちあがってマグナム弾を連射すると、そいつはあとかたも無くなった。3/26

小泉首相は、閣議で「立憲主義てふ言葉をこの国から追放しよう」と演説しただけではなくて、実行したのであった。3/27

せっかく寄席に行ったのに、誰一人客が来ていないので、私は万やむを得ず高座に上がって、自分自身のために一席伺う羽目になってしまった。3/28

いつまでも胸に秘めているのが心苦しくなってきたので、私はこの絶好の機会に、むかしむかし黄色い花のような連中を殺してしまったことを告白した。3/28

さすが日本を代表する大手メーカーの大展示会だ。広大な空間をフルに生かした様々な物販ブースが何百と設営され、人だかりができている。私たちもすぐに入場したいと思ったが、なんせ招待状を持っていないからどうしようもない。3/29

必死でもぐりこむ口実を考えていたら、O社の吉田氏が通りかかったので、これ幸いと大声で呼び止め「吉田さん、吉田さん、ちょっと中へ入れて下さいよ。生憎記者招待券を社に置いてきちゃたんで困ってるんですよ」と頼み込んだ。

すると吉田氏は「なんだ佐々木か。お前なんか、ウチの社にとってなんのメリットもない奴だからなあ」と嫌みを言うので、「おや、そんなことないですよ。なんならおたくがいま喉から手が出るほど欲しいものを言ってみなさいよ。たちどころに希望を叶えてあげるから」と返した。

すると吉田氏は声をひそめて「じつは渋谷の専門店百貨店情報が入ってこないんで弱ってるんだ」というので、「なんだ、そんなことなこたあお安いご用ですよ。手元に渋谷流通協会の報告書が手元にあるんでよろしければお貸ししますよ。リース代はお任せしますからそちらで適当につけてもらえばいいですよ」というと、吉田氏はこちらへすっ飛んできて中へ入れてくれた。3/29

L社の宣伝部へ行き、次シーズンのテーマを尋ねたらアリゾナ州のイメージだという。アリゾナ州のどんなイメージなんですか、とまた尋ねたが、ただアリゾナ、アリゾナとオウム返しに答えるだけで、具体的な内容がある訳ではないことが分かった。

「だいたいアリゾナ州ってどこにあるんですか?」と聞いたが、それすら理解していないようなので、あきれ果てた。「いったい誰がそんなテーマに決めたの?」と尋ねたら、カンという人物だという。

「カン氏はどこにいるの?」と聞いたら、「あそこです。あそこでふんぞり返っています」というので、見るとどこかの国の官房長官そっくりだったので、私はカン氏には会わずにL社を出た。

L社を出たら、そこはアリゾナ州だった。見渡す限り荒涼とした砂漠が広がり、風がヒューヒュー吹きすさんでいる。ふと見ると大勢のインデイアンの子供たちが私を取り囲むようにして迫ってくる。

怖くなった私は、彼らから逃れて、どんどん高い山に登っていくと、円陣を組んだリトル・インデイアンたちも、どんどん私を追って、高い山のてっぺんまで登ってくるので、困ったなあ、どうしよう、と立ち往生している。

すると大正時代の着物をきたおばさんたちが、やはり円陣を組んで、リトル・インデイアンたちの円陣にまともにぶつかっていくので、「嗚呼助かった!」と喜んだ私は、その間に沖縄の亀甲墓のような建物の中に入り込んだ。ここならきっと安全だろう。3/30

ウィキで「第9」を検索すると、直ちにその男の猛烈に下手くそな「おお、フロイデ!!の野太い一声がユーチューブの映像で出てくるのだが、その下手くそさが並外れているので、あっという間に世界的な人気を博し、近々ベルリン・フィルに呼ばれるそうだ。3/31


   教育勅語を暗記させる幼稚園に愛児を入れる親心とは 蝶人


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村上春樹著「騎士団長殺し・第1部顕れるイデア編」を読んで

2017-03-07 11:21:45 | Weblog


照る日曇る日第949回


これはぜったいモザールのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」が出てくるぞ、と思って、楽しみにページを繰っていったら、その前に絵描きが主人公だったので、興味津津となりにけり。

身内に売れない絵描きがいたり、「騎士団長殺し」を飛鳥時代風の日本画で描いた老画家、がどことなくうちの近所に住んでいた故小泉画伯に似ているので、ますます個人的に親近感を覚えて、夢中で読み終えてしまったずら。

貧乏画家が生き延びるために絵画教室は常道だが、肖像画で稼ぐという抜け道もあったかあ、と膝を打ちましたね。

今回の村上春樹は、絵画、美術という穴をもうけて、そこからいつものような謎の人物や、女性とのたび重なる都合のよいエロエロや、反ナチ運動や、正体不明の穴ぼこや、クラシックの音楽や、リトリピープルもどきのイデア爺ちゃんを巧みに出入りさせる。

その手際はまことに周到というべきなのだろうが、まことに思わせぶりな大中小の伏線を300ページにわたってばらまき続けて、いったいどうやって後篇で決着をつけるんだろう。他人事ながら、ちょっと心配になるずら。

しかし世の中嫌な事ばかりでお先真っ暗なのに、それらを全部忘れさせてくれるこんな面白い小説、久しぶりに読みました。さすが村上春樹は、谷崎の衣鉢を継ぐ正統的なストーリーテラーだ。早く「メタファー編」に移ろうっと。


   トランプが大統領になったけど何も変らぬ我が家の暮らし 蝶人

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国立能楽堂で「若手能」をみて

2017-03-06 11:55:27 | Weblog


蝶人物見遊山記第233回

春の訪れも間近な日曜日の昼下がり、千駄ヶ谷の能楽堂で第26回の能楽若手研究会による東京公演を観劇しました。

演目は能が宝生流の「吉野静」と観世流の「須磨源氏」、その間に和泉流の狂言「文蔵」が挟まれました。

能は演目はもちろんシテやワキの謡や舞も大事ですが、それ以前に大小の鼓の演奏と発声が宜しきを得ていないと、周りで地謡などが何をやっても後の祭りです。
逆に言うと、この2役と笛がちゃんと演っていれば、役者のいない空舞台でも成立してしまうのが能だ、とド素人の私は思っています。

この日の「吉野静」では小鼓が森貴史、大鼓が大倉慶乃助でしたが先日の「逗子能」のコンビに劣ること数等で、あまり楽しめませんでした。
シテ静の和久荘太郎やワキ佐藤忠信の御厨誠吾も、そもそも擦り足の基本がまだ完成されていないようで、見物していて能特有の美を感じるには至りませんでした。

「須磨源氏」の小鼓は田邊恭資、大鼓は佃良太郎でしたが、こちらはまずまずの出来。クライマクスで太鼓を乱打する(逗子でも出演していた)大川展良、笛の成田寛人との協業も見事に嵌って、若手ならではのエネルギッシュな演奏を繰り広げていました。

ただしアイの里人、竹山悠樹の発声は問題。高音部になると声が上がり過ぎて耳触り。一日も早く改めてほしいものです。

やや期待外れの2つの能の代わりに健闘したのは、狂言「文蔵」のシテを演じた高野和憲選手。京で御馳走になった料理の名前を太郎冠者に思い出させるために「源平盛衰記」を音吐朗々と名調子で諳んじて、満座を湧かせてくれました。

それにしてもリアルな現代小説としても通用するこの盛衰記の「石橋山の合戦」の血沸き肉踊る名場面を、どうして「平家物語」がカットしてしまったのか理解に苦しむところです。

ところで4時間になんなんとする公演を終えて、帰路についたところ、会場の国立能楽堂のすぐ近くに「文蔵」という居酒屋があったのは村上春樹の小説のような思いがけない暗号で、ちと驚きました。

なお能楽堂の資料展示室では「能絵の世界」展を来る3月17日まで開催しており、各流派ごとの舞台演出の違いなどが分かって面白いです。

江戸初期の絵を見ると、観客は酒を飲んだり煙草を吸ったりしながら見物している。現在とは違って、当時は能も歌舞伎のように気軽に楽しんでいたことが分かります。


    能舞台の仕舞を肴に呑んでいた江戸の庶民の心根や良し 蝶人
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中公版「谷崎潤一郎全集第7巻」を読んで

2017-03-05 13:09:50 | Weblog


照る日曇る日第948回


大正9年に刊行された「女人神聖」「恐怖時代」「天鵞絨の夢」の3冊の単行本を軸にした若き日の力作である。「女人神聖」とはいかにもフェミニスト谷崎らしいタイトルであるが、その名の通り主人公の兄はさいご淪落し、妹は才色兼備の貴婦人に成りあがるのである。

「美食倶楽部」は今でいうグルメ、それも極めつけの食道楽人間の究極のレシピが続々登場し、藝術と食を同じ位階に並べた谷崎の面目が躍如としている。
「恐怖時代」は時代物の戯曲であるが、著者得意のピカレスクと残虐趣味が横溢している。

「ある少年の怯え」も悪漢小説で、主人公の気弱な弟は邪悪な医師の兄の為に毒注射を打たれて死んでいくのだが、すべてを諦め、すべてを犠牲にして生き誇る悪のために従容と滅びていくナルシシズムに動かされるのであるが、その心境はかの山背大兄王の最後の瞬間の悲愴を思わせる。

「嘆きの門」も悪に屈する弱き善を描いて執拗極まりないが、惜しむらくは未完に終わった。大谷崎は確かに偉大な作家であったが、惜しむらくは「細雪」を含めたほとんどすべての作品において結末が弱い。

「天鵞絨の夢」もその例に洩れず、7人の奴隷の物語を描くはずが3、4人でなかば放り投げている。恐らく面倒くさくなったのだろうが、そんな野放図で自儘なところは同時代の他の作家にはあまり見慣れない特質かもしれない。


    一瞬の沈黙にすら怯えつつアナウンサーは必死に喋る 蝶人

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「逗子能」をみて

2017-03-04 08:56:09 | Weblog


蝶人物見遊山記第232回
 

もう先月のことで旧聞に属しますが、逗子文化プラザの「なぎさホール」で開催された
能狂言公演に行って参りました。

3つのプログラムがありまして、はじめは仕舞「花筐狂」。これは同名の世阿弥の能の一部だと思うのですが、観世淳夫、谷本健吾、長山桂三、鵜澤光の地謡のバックの下で、円熟の観世銕之丞が謡い、舞いましたが、特にどうこういうべきものではありませんでした。

次はシテ野村万作、アド中村修一、小アド石田幸雄による夫婦喧嘩がテーマの「貰聟」です。
酒飲みの亭主と喧嘩して実家に戻った嫁がはじめは絶対に戻らないと舅に誓っていたのに、夫が迎えに来るとすぐに軟化して、夫婦で舅に対抗するのが面白い。しかしこの亭主は酒乱なので、またこういう漫画を繰り返すのではないでしょうか。
舅役の野村万作がすっかり好々爺に変身していたのにはびっくりでした。

トリは能の「安達原」です。陸奥国安達原に辿りついた熊野那智の巡礼僧(ワキ山伏、森常好、ワキツレ供山伏、森常太郎)が野中の一軒屋を見つけて、老婆に一夜の宿を求めます。

一行を快く招じ入れた老婆(前シテ、柴田稔)が、夜寒に暖を取るための薪を拾いに行った隙に、野村萬斎扮するアイ能力(下級僧)が老婆の閨を覗きこんだところ、そこには誰とも知れぬ死骸が累々!びっくりぽん!!

驚き慌てふためいているところに、鬼女(後シテ、柴田稔)の正体をあらわにしたくだんの老婆が戻ってきて死闘になるが、巡礼僧の法力によって、辛うじて祈り伏せることができました。ジャンジャンというお話です。

山伏の武器はというと、これがなんと数珠でして、二人の山伏が殺到する鬼女に向かって必死に数珠をジャラジャラ擦り合わせる。

そしてそのジャラジャラが、この場面で初めて参加する太鼓の原岡一之、大活躍の笛の松田弘之、大鼓の大川展良、小鼓の大山容子のカルテット、「花筐狂」に出演していた地謡の6名のヴォーカルに伴われて、ホール狭しと謡い、舞い踊り、吹き鳴らし、叩きに叩くめくるめく大パフーマンスには、完全に圧倒されてしまいました。

お能というと、訳の分からぬ長台詞に、ついついあくび連発のうえ居眠りしてしまう観客も多いのですが、能に突然狂言が乱入したり、出演者のゲバルトが繰り広げられるというこれくらい劇的な展開ですと、ハラハラドキドキの連続で、退屈している暇はありません。

けれども圧倒的に圧倒されつつも、私がじっと見つめていたのは当日の出演者の紅一点、眉目秀麗なる大山容子嬢の花も恥じるうるわしきかんばせでありました。
彼女の叩く小鼓の優美さ、そしてお隣の大鼓から発せられる鋭い高音の叫びこそが、この日のハイライトであったことは間違いありません。

タカラジェンヌの美貌を遥かに凌ぎ、超絶的に美しい大山嬢をかぶりつきから見物しながら、ふと思ったのは、かの世阿弥の失墜の理由でした。

足利義満に身も心も寵愛された当時の世阿弥は、今夜の大山嬢さながらの紅顔の美少年だったことでしょう。しかし義満とその後継ぎの義持が亡くなり、若き足利義教の代になると、すでに世阿弥は貫録のあるおじさん芸術家になっていた。

そこで義教が自分の思いのままになるお稚児さんに選んだのが、世阿弥の長男元雅よりも若くて、より美しい従兄弟の観世元重(音阿弥)だった。のではないでしょうか。

それは、その夜私の視線を釘付けにしたのが、あの有名な野村親子ではなく、紅一点の美女であったことからも、十分にガテンして頂ける仮説ではないかと思う次第であります。
ハッ、ポポポーン!

蛇足ながら野村萬斎の演技はいつも通りであったが、顔色の悪さは心配。過労なのか花粉症なのはかたまた悪質な病気なのか分からないが、あの様子は唯事にあらず。
好漢自重されよ。

  不都合はぜんぶ人になすりつけ自分勝手な屁理屈を言う 蝶人

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宮崎駿監督の「もののけ姫」をみて

2017-03-03 21:40:42 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1138


アニメーションの原義のアニマには「生命・魂」「霊魂」という意味があるが、この作品には登場人物とその舞台となっている森に精霊が宿っている。

人は人と対立し、自然と対立し、神々とも対立する。

物語はこうした輪廻の宿命的な回転を宇宙創成の物語のように描いていくのだが、ときおり風景や闘争や人物の表情に霊魂が宿り、父母未生以前の生命の輝きが画面から放射されるのはなぜだろうか。

このたぐいまれな瞬間あるがゆえに、アニメーションは実写と実世界を超越するのであろう。

  ウォシュレットのノイズより噴出する温水が私のイボジを洗う快感 蝶人

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すべての言葉は通り過ぎてゆく 第44回

2017-03-02 13:46:13 | Weblog


西暦2017年如月蝶人狂言綺語輯&バガテル―そんな私のここだけの話 op. 249


安倍蚤糞がまだ政治家のはしくれで、まだ米国を同盟国と思っているなら、トランプに対して「あんたの入国禁止令を撤回しなさいよ」と首脳会談で迫るべきだ。2/1

いつも、ほうろう。by細野晴臣 2/2

最大の同盟国に冷たく突き放された極東の島国は、はじめて己の拠って立つ基盤がいかに脆弱なものであるかに気付き、できれば気付かずにいたほうがよかったと後になって後悔するような危険な第一歩を踏みだすかもしれない。2/3

たとえ下手糞であっても、1篇の詩が出来ると、嬉しい。もちろん短歌が1首できたときも嬉しいけれど、それよりも百層倍も嬉しいのは何故だろう? そして結局そのようなささやかな喜びだけが、わが人生の数少ない生甲斐なのである。2/4

TBSのお昼の情報番組の中で「井戸端ランキング」というのをやっている。キャスターの橋本選手は、他局の下劣なミヤネヤとかアホ豚伊藤などに比べるとまっとうな紳士なので、あまり悪口はいいたくないが、その題名の古めかしさに呆れる。あえてアナクロにこだわって命名したのかもしれないが、もう少しましなタイトルを考えてみたらどうだろう。2/5

行政権が司法権に優越すると妄想する点では、安倍猪八戒蚤糞も狂犬大統領もまったく軌を一にしている。2/6

悲しいことに、言葉はついつい走り過ぎてしまう。例えばNHK「日本百名山」のさだまさし作詞作曲のテーマソング。サビの「僕は空になる」は唄の言葉としては見事に壺にはまっているが、そこまでイッチャアおしまいよ。登山家の実感とはかけ離れているし。2/7

これは驚いた。ジェシー・ノーマンて音がぶら下がるんだ。サティーの「あなたが欲しい」をFM番組で聞いての驚き。2/8

今日は寒くて心が暗いので、なにも言う気がしない。2/9

いやしくも一国の大統領とあろうものが、自分の娘の商売について一店舗にかみつく。アメリカ第一主義なんかほんのお飾りで、実はてめえの家族第一主義なんだな。2/10

ワンワン。狂犬とその奴隷犬が仲良くゴルフをしたってさ。そのワンンワンで思い出したが、屑共がすぐに口にするウインウインてなんか嫌な言葉だな。そもそもにんげんというのは、四六時中勝ち負けを争っている存在ではない。2/11

去年の暮れにMETから22年前に破門されていたキャスリーン・バトルがようやく復帰したがすでに68歳。リハを無断欠席したり、事あるごとに御大レヴァインに逆らわなければきっといい仕事をしたろうに、本当に馬鹿な歌手だ。2/12

結局日米首脳会談の第1ラウンドはニコポン肩透かしに終わり、本当の対決は麻生ペンス交渉にゆだねたということか。麻生大丈夫かねえ。2/13

二期会のオペラの録音を聞いていたら、ソプラノの音程があまりにも酷いので、ネットで調べてみたら幸田浩子という歌手だった。彼女は絶対音感があるそうだが、たとえそれがあっても、自分の音程を客観的に操作できるとは限らない。音楽に限らずよくある話だ。2/14

ゴルフ外交でのぼせあがった安倍蚤糞が、頼まれもしないのにアホ馬鹿トランプの御用聞きとして、「ドイツのメルケル首相に周旋を図る」などと口走り、ますます米国の忠実な奴隷犬としての使命に殉じようと眦を決しているのは笑止千万であり、この国の恥辱以外のなにものでもない。2/15

60年代にパリでオルランド四重奏団のライヴを聞いたことがあるが、滅茶苦茶に音程をはずずので吐き気がして1曲目で退場したのだが、同じ曲をフィリップスの録音で聞いたらちゃんと合っていたので驚いた。2/16

今日は大和市鶴間の健康福祉センターで開催された「県央福祉会第6回人権報告会」に出席したのだが、質疑応答でなすべき発言が出来なかったことが悔やまれる。そのかわりといってはなんだが、早急に1篇の詩を書かなければならない。2/17

漱石の「自己本位」も、90年代の「ミーイズム」も、昨今の「自分ファースト主義」も、基本的には同工異曲の社会的意識形態であろう。2/18

構えて詩を書こうとすると、詩は書けない。腹の中でむずむずと蠢く一物を、おもむろに口先から吐露すれば、それが詩になったり、ならなかったりするんだろう。2/19

世間の物騒な物音に耳目を奪われていると、ついついおのれを失う。全世界がぶッ壊れようが、私の知ったことではない。2/20

トランプや安倍蚤糞を一国の指導者にするくらいなら、長屋の御隠居ならずとも熊さん八さんを選んだほうが百層倍も千層倍もマシだった、と声を大にして言いたい。2/21

悪夢というのは夢の中での話かと思っていたら、当節では白昼堂々と次々に実行されるのであった。2/22

もしも金正男選手が首領に選ばれていたら、北朝鮮の政治体制は現在とどれくらい異なっていただろうか、などと考えながら、執拗に繰り返されるクアランプール空港の映像を眺めている。2/23

社長が引退しても社長そっくりの声音で叫んでいるタカタの広告は、安倍蚤糞の醜い日本語とトランプの汚らわしい悪罵と並んで堪え難い。2/24

いまどき教育勅語を尊重する教育を奉じる人間や教育機関なんて、時代錯誤もいいところだ、いったいこの国がなんのために15年戦争を戦う羽目に陥ったのか、胸に手を当ててよーく考えてみてほしい。2/25

集団で踊りながら歌う、あるいは音楽に合わせて集団で踊るのがこの国のいまのCMのスタンダードになってしまったが、「これってかなり異常だ」とか、「馬鹿みたいだ」と誰も思わないのだろうか?2/26

有力政治家や役人どもの秘密取引がなければ、9億円の国有財産をたった1億円で入手することなどできやしない。この際野党は徹底的に追求するべきだ。2/27

国会答弁で周章狼狽している安倍蚤糞をみていると、こいつが森友ファシスト学園の汚職に加担しているのではないかという嫌疑が日一日と濃厚になってくる。早急に蚤糞夫人を国会に呼んで証人喚問するべきだ。2/28


   横須賀のヴェルニー公園の大砲よ薔薇に囲まれ余生を送るか 蝶人

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なにゆえに第36回~西暦2017年如月蝶人花鳥風月狂歌三昧

2017-03-01 11:01:57 | Weblog


ある晴れた日に 第436回


なにゆえに日本もアメリカも最悪男を指導者に仰ぐ有権者が最悪だから

なにゆえに歯医者の時間を間違える狂犬の言動に気をとられているから

なにゆえにトランプの影に怯える自分がないから主体がないから

なにゆえに本音を吐くとき浅ましい建前こそが文化だから

なにゆえに今年は夏蜜柑がよく生った樹下の愛犬の恩返しかしら

なにゆえに偉そうに全世界を見下す俺様はナポレオンだと思っているから

なにゆえに晴れた日なのに布団を干せないもうスギ花粉が飛びまわっているので

なにゆえにあと500円の差で負けてしまういやなにまたしてもヤフオクの話

なにゆえに飛行機雲の写真を撮らない空の秩序を乱すものゆえ

なにゆえに飛行機雲の写真を撮らない天然自然のものにはあらず

なにゆえに人工知能に投資を委ねるそれで儲けてもうれしくないのでは

なにゆえに歌舞伎より文楽、能の値段が高いその順番で客が減るから

なにゆえに息子の電話がじゃんじゃんかかる早く施設から帰宅したいので

なにゆえににっこり笑っていちゃいちゃしてる厳しい注文は後からつける

なにゆえに北朝鮮はミサイルを打つ安倍トランプがうざったいので

なにゆえに三男が長男を殺す王朝存続の邪魔になるから

なにゆえに共謀罪に執念を燃やす自由も民主も根絶やしにする

なにゆえに組織を作れば腐敗する量的拡大が質を毀損す

なにゆえに台湾栗鼠は蜜柑を喰うた息子のために残しておいた最後の1個を

なにゆえに大親分の言いなりになる子分はそれしかできないので

なにゆえに白より黒が好きなのか黒いパンティはセクスイなので

なにゆえにシューベルトはあんな早く死んだのか悪い女を買うたので

なにゆえに源泉徴収は面倒くさい税務署前は長蛇の列だ

なにゆえに金正男ばかり取り上げる安倍蚤糞夫人の土地払い下げを放置して

なにゆえに英国製スピーカーは好ましい剥き出しの実音を巧みに避ける

なにゆえにJUNONなんかを買う1ページも読まずに捨ててしまうのに

なにゆえに気に喰わないメディアは排除する度量の狭いドナルド・トランプ

なにゆえに人の心は傷つきやすい人の心はとても弱いから

なにゆえに安倍蚤糞は過剰に反応する後ろ暗いことがきっとあるのだ


 なにゆえに安倍蚤糞夫人を証人喚問しない極右夫婦の共謀を暴け 蝶人

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