あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

自由律詩歌その33

2018-05-15 13:16:30 | Weblog


ある晴れた日に第510回



そそそそそそ

そたそたそた

そちそちそち

そつそつそつ

そてそてそて

そとそとそと

そなそなそあ

そにそにそに

そぬそぬそぬ

そねそねそね

そのそのその

そはそはそは

そひそひそひ

そふそふそふ

そへそへそへ

そほそほそほ

そまそまそま

そみそみそみ

そむそむそむ

そめそめそめ

そもそもそも

そやそやそや

そゆそゆそゆ

そよそよそよ

そらそらそら

そりそりそり

そるそるそる

それそれそれ

そろそろそろ

そわそわそわ

そをそをそを

そんそんそん


  雪ノ下にsous la neigeてふ店ありき巴里のやうな装いなりしが 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加古里子さく/え「だるまちゃんとてんぐちゃん」を読んで

2018-05-14 11:47:08 | Weblog


照る日曇る日 第1065回



老いてなお矍鑠、ついこないだまで藤沢で絵筆をとっておられた加古里子さんの代表作のひとつです。

だるまちゃんを題材にする絵本作者は多いけれど、なんというてもこれが元祖でしょう。

のみならず本作では、てんぐちゃんの持ち物のあれやこれや、すなわち、、を「ほしいよう、ほしいよう」とおおきなだるまどんにおねだりするという図式が、ものの見事に物語を前へ前へと推し進めることに成功しています。

だるまちゃんの要望にこたえて、だるまどんが取り揃えてあげる、うちわ、ぼうし、はきもの、はなのバリエーションはじつに見事で、懇切丁寧に描きあげられたこれらの品々には作者の幅広い民俗的な知見と、この本を手にとる幼い読者への愛情が見て取れるのです。

けっしてだるまどんの親切を無にするわけではないのですが、だるまちゃんは常にこれらの品々ではなく、自分自身であっと驚くような個性的なうちわ、ぼうし、はきものを発見します。

ここには作者によるある種の教育的配慮が働いているかも知れませんが、それが微塵も押しつけがましくないのが素晴らしいですね。

大勢のファンに惜しまれつつ今月の8日に92歳で亡くなった加古里子さん。マレーシアの首相に返り咲いたマハティールさんもおないどしですから、もう少しぐあんばってほしかったと惜しまれてなりません。



 なんとなく我らも勇気づけられる92歳で首相になったマハティールさん 蝶人


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立近代美術館で「横山大観展」&「MOMA最新購入コレクション」をみて

2018-05-13 10:24:49 | Weblog


蝶人物見遊山記蝶人物見遊山記第281回




生誕150年を記念する展覧会だそうだが、その惹句が「画は人なり」となってうるので思わず嗤ってしまった。普通なら「画はあくまで画なり」なのだが、このどこかピカソを思わせる清濁併せのむような複雑怪奇な巨人の場合は、絵そのものより、人物の存在感で見せるのである。

というてもやはり彼の得意中の得意である富士山の絵を探したが数えるほどしかなくてつまらない。おまけに目玉の「群青富士」はすでに静岡に戻ってしまった後なので、ドタマに来た。そういう代物ならなんでポスターの絵柄にするんだ。バカタレ。

その代わりというてはなんだが、長大な絵巻物「生々流転」が並べられ善男善女が群がっていた。黒一色の水墨画であるが、その筆のタッチと黒の濃淡を極限まで生かして、雪舟、宗達、蕪村など先人の達成を貪欲に取り入れながら気合いを入れて暈しなぞをドラマチックに描いている。全長40メートルといううが、その気があれば100メートルでも描いたのではないだろうか。

この春に購入したばかりの現代美術の作品が見られるというので、「MOMAコレクション」を覗いたら、北野謙というカメラマンによる、横山大観の朦朧体のようにヌーボーと暈したような「our face」という題名の肖像写真が並んでいた。

なんでも何十人という大勢の漁師、山伏、キャバクラ嬢、チアリーダーなどの顔を、一枚の印画紙に焼き付けたものだというが、それらが最終的に、最大公約数的なひとつの面容に定着されることの不思議を思う。

それらは生きているというよりは、どちらかというと死んでおり、これこそが柔らかなファシズムの時代を半睡半攪で生きる私らの客体的な容貌にエッセンスなのかもしれない。

なお本展は来る27日まで同館にて賑々しく開催ちう。



 生きとるんかはたまたすでに死んどるんかわいらあよお分からん今も 蝶人

 なにゆえに横山大観は面白い次から次に作風を変える 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新潮日本古典集成新装版「枕草子上」を読んで

2018-05-12 09:38:16 | Weblog


照る日曇る日 第1064回



紫式部の「源氏物語」の背後には、藤原道長と長女の中宮彰子、清少納言の「枕草子」には道長の兄道隆とその長女の中宮後皇妃の定子が控えていて、道隆の死をきっかけに始まった道長派による道隆派(中関白家)へのクーデターが隠然たる影を落としていることを、読者はかたときも忘れてはならない。

もし大酒飲みの道隆と弟道兼が頓死せず、道隆の嫡男伊周とその弟隆家が血迷って花山法皇に矢を射るような不祥事をやらかさなければ、道長全盛時代の到来などありえなかったし、道長によって庇護された彰子やその女房の紫式部のわが世の春もまた、ついに訪れることなどなかった。

しかし、それは清少納言にとっては悪夢のような現実となって現前し、哀れ定子は花の23歳にして、文字どおり美人薄命の悲運を体現する羽目になった。

かくて「枕草子」は、一面では平安時代きっての才女の機智と切れば血が出るような鋭敏な感性の言説であると同時に、儚くも滅び去った王朝の精華、美しく聡明な后妃に捧げる不朽の哀歌となりおおせたのである。

  雀の子メダカかたばみシジミチョウ小さきものはみな愛し 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

都美術館で「プーシキン美術館展」をみて

2018-05-11 16:00:47 | Weblog


蝶人物見遊山記


天気が悪いので止めようかと思ったのですが、せっかく上野に来たんだからと足を運んだら、宝物と出会いました。セザンヌが亡くなる年に描いた「サント=ヴィクトワール山、レ・ローヴからの眺め」です。
彼はこの題材を繰り返し描き続けましたが、最晩年のこの油絵は、それまでの具象的なアプローチがほぼ解体され、色彩が怒涛のように氾濫する一種の抽象画と化しています。
しかしもはや写実も成形も古典的秩序も完全に放棄し去ったその絵はあまりにも美しく、なによりも瑞々しい生命力に輝き渡っています。

それは自らが築き上げたセザンヌ的キュビズムをぶち壊してかち取った、セザンヌ独自のフォヴィズムという新境地のかもしれませんが、そんな下らない名辞を超越して、そのキャンバスだけが光輝いているのでした。

その他、私の好きなクールベの「山の小屋」、ボナールの「夏、ダンス」、大好きなアンリ・ルソーの「馬を襲うジャガー」、モネの「草上の昼食」(登場人物はみな死んでいる!)、おっといけない忘れるところだった、素晴らしい、素晴らしいルノワールの「庭にて、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの木陰」も深く心に留まりました。

なお本展は来る7月8日までパンダが騒ぐ東京上野公園内で開催ちう。


 宝くじに当たってからは伸び伸びと風景画を描いたアルマン・ギヨマン 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブルーノ・ムナーリ著・須賀敦子訳「木をかこう」を読んで

2018-05-10 20:49:32 | Weblog


照る日曇る日 第1063回


須賀敦子の翻訳した絵本だということで読みだしたのですが、そんなことはまあどうでもよくなって、このブルーノ・ムナーリという不思議な人物の、自由自在な創造性と童心に感嘆させられました。

「木をかく」わけですから、最初は木の観察からはじまります。
木から落ちた種から芽が出て葉が出て、葉から緑の枝になって伸びていって、葉が茂ると花が咲いて、実がなって、木から種が落ちて……
という具合に循環していくわけですが、ムナーリはその成長をまるで現代のダ・ヴィンチのようによーく観察しています。

そして木の枝には、いろいろな種類があるけれど、たとえば2本に分かれる木は、どこまで行っても2本に分かれる。そして枝は幹から遠くなるほど、だんだん細くなる。というのです。

そしてムナーリは、そのことを自ら絵を、イラストを描きながら、具体的に図示していくのですが、その絵本的な展開がじつに科学的かつ魅力的でして、あれよあれよと読者を唖然とさせてしまいます。

そんなこれまで見た事も聞いたこともない独特のノリで、あちこち脱線しながらもページはどんどん進んでいくのですが、90ページの本がようやく64ページまでやってきたときに、突如「さあ、木をつくしましょう!」という話になるので、びっくりポンです。

「まず1m40cmの紙を用意してください」「下から50cm残して切り込みを入れてください」という調子で即席図画工作教室がはじまり、言われた通りに切り絵をやっていくと、まさしく立派な木が誕生してしまうのですが、その前提は木を輪切りにしたら幹の総量はどの部位でも同一ではないか、という作者の仮説に基づいているので驚きます。

実際ムナーリは、イタリアのマントヴァの広場で、100人の住民と一緒に、そうやって大きな木を作ったそうで、その折りの写真が載っていますが、そういう挿話も含めた日本最大の回顧展がいま葉山美術館で6月10日まで開催されているというので、これはどうしても見に行かなくちゃ。

なんでも「画家、彫刻家、グラフィック・デザイナー、インダストリアル・デザイナー、発明家、著述家、そして子供と遊ぶ人等々ありとあらゆる肩書きを持つ稀代の表現者」らしいですよ、あらゆる境界線を軽々と越境するブルーノ・ムナーリ選手は。



   この部屋で集団自殺があったとは誰も思わず通り過ぎてゆく 蝶人


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ささめやゆき作「かえるぴょん」を読んで

2018-05-09 10:08:09 | Weblog


照る日曇る日 第1062回



池の中にいる1匹のかえるが、「いけからぴょん」、はっぱにぴょん、おにわにぴょん、という具合にぴょんぴょん飛んで行くが、「おやねにぴょーん」でちょっとびっくり。

ここまでは序破急の序に当たるが、その次の「てっとうにぴょーん」「くものうえ」を経て
「イチ、二 1,2 イチ、二 1,2」という体操が「破」になって、「とぶよ、とぶよお、ヨーイ」と一気に「おつきさまにぴょーん」と大跳躍する「急」展開になる。

「あらあら あと すこしでとどいたのに」というオチのつけ方も見事で、これは構成、言葉、絵が三位一体となった現代絵本の快作といえよう。


 なにゆえに自殺したのかサイトで知り合った見ず知らずの3人 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お仏蘭西製ミュージカル映画ミシェル・ドゥミ&ルグラン2本立

2018-05-08 13:21:55 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1340、1341




1)ミシェル・ドゥミ監督の「シェルブールの雨傘」

1964年仏独共同製作。軍港シェルブールの港町を舞台に繰り広げられる3部構成の、まるで夢のような、そしてあまりにも残酷な恋の物語。
クリスマスイヴの雪の再会と別離のラストシーンが心にひびく。2年が辛抱できず金持ちで優しい男に走った女だが、やはり初恋の男が忘れられなかったのだろう。
私はアメリカのミュージカルよりこういうセリフなしの音楽だけの正統的かつプリミィティヴなのが好き。
この映画をお手本にした名場面がゴダールの昔の映画にあった。それから強烈なブライトカラーによるインテリアやふぁっちょんンのカラー・コーディネイトが強烈!


2)ミシェル・ドゥミ監督の「ロシュフォールの恋人たち」

1967年仏米共同制作のミュージカル映画で「シェルブールの雨傘」に主演したドヌーヴに加え、姉のフランソワーズ・ドルレアック、チャキリス、ジーン・ケリー、ミシェル・ピコリなどが出演している。
ドルレアックは本作の完成直後に自動車事故で25歳で急死したのでこれが遺作となるが、頭部を切断された姉の死体を見たドヌーヴの衝撃はいかばかりだっただろう。後年の彼女の超人的な活躍は、この姉の夭折と無関係ではないだろう。
ルグランとドゥミのミミシェル・コンビは、本作でも快調で、ロシュフォールの町全体を舞台に、素晴らしい歌と踊りが繰り広げる。
この映画には海外進出していたホンダのオートバイが登場するのが妙に印象的だった。


 2010年1月30日近くのアパートで男女3人練炭自殺遂げたり 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩波文庫版「源氏物語三」を読んで

2018-05-07 09:48:32 | Weblog


照る日曇る日 第1061回



本巻におさめられたのは、澪標、蓬生、関屋、絵合、松風、薄雲、朝顔、少女です。

源氏28歳の冬から33歳の春までの物語ですが、そこには明石須磨におけるしばしの流謫からカムバックした光源氏が、たちまち政敵を一掃して最高権力を掌握し、この世をばわがものと思うにいたる黄金時代の人事百般が、紫式部の達意の名文で書きつらねてあります。

諸行無常とは申せ、六条院の東西南北に妻妾に加えて中宮同居の豪壮な邸宅をば、あっという間に完成させた我らが主人公の、誇りかなる心中の満足は、いかばかりであったことでしょう。

広壮無比の地上の楽園の四季折々の草花を、事細かに列挙する紫式部の絢爛豪華な筆の冴えは、けだし源氏物語の白眉というても差し支えないでしょう。

けれどももっと秀逸なのは、編者の一人今西佑一郎氏による解説です。

桐壺帝と醍醐天皇、藤壺と醍醐天皇妃為子内親王の酷似を裏づけ、「源氏」執筆当時、直系の陽成天皇から傍系の光孝天皇に移った背景に陽成=在原業平息という「史書によらない」風説が根強く存在したことを指摘し、この風説を踏まえて紫式部が、本来ならタブーとされる皇統紊乱譚を取り入れたのではないかと推察しています。

紫式部が生きた時代は、すでに傍系の光孝天皇から数えて11代目の一条天皇の御代でしたから、この時点での「風説準拠」は、「不敬」に当たるどころか、傍系を主流に据え直すための新たな政治的材料だったかも知れませんね。


隅から隅まであなたの名前を探したけれどどこにも載っていないのよと教えてくれるヒグチさん 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2冊の絵本を読んで

2018-05-06 10:53:58 | Weblog


照る日曇る日 第1059、1060回



1)ブルーノ・ムナーリ著「たんじょうびのおくりもの」

トラック運転手のお父さんが、3歳の息子の誕生日にプレゼントを届けにいく。
最初はトラックだったのだが、故障したのでそのトラックの中にあったオートバイ、それが故障したので、内蔵されていた自転車、次にスケート、最後は2キロを歩いて到着するという、枚方の菊人形仕掛けのようになっている。

よく考えると、なんでトラックが壊れるのか、その中からいろんな乗り物が都合よく次々に出てくるのか、なんで親子は離れて暮らしているのか不思議だし、作意が鼻につくが、まあそこは絵本の楽しいカラクリということで。


2)ロイス・エイラト著「あかいはっぱきいろいはっぱ」
赤と黄色が美しく映えるサトウカエデの葉。そのカエデの特徴を紹介しながら、少年が父親の手引きで栽培していく。
絵本としては珍しい植物育成法伝授本であるが、私は「枕草子」第三十七段で清少納言が触れているカエデの記述のほうがもっと詩的であると思った。

「鶏冠木(かへでのき)のささやかなるに、萌出たる葉末の赤みて、同じ方にひろごりたる葉のさま、花もいとものはかなげに、虫などの涸れたるに似て、をかし。」

  延べ5千人の大捕り物はカラ振りでもぬけの殻なり尾道の島 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西東三鬼著「神戸・続神戸・俳愚伝」を読んで

2018-05-05 11:48:17 | Weblog


照る日曇る日 第1058回


せんだってこの歌人の全句集を通読したところ、子規、芭蕉よりも面白く、ほとんど蕪村んに匹敵するほどだったので、彼の短編に手を伸ばしたところ、彼のお得意の前衛俳句よりどっちかいうと面白いくらいだった。

新興俳句の旗手として大活躍していた著者は、1941年に「京大俳句事件」で検挙されたが、その翌年の冬、突如妻子も仕事も万事を放擲して東京から神戸に下り、とある洋館(後に「三鬼館」と称される)に身を寄せ、正体不明の外国人や娼婦たちと奇妙奇天烈な共同生活を送るようになる。

「神戸・続神戸」は、その波乱万丈の人世のあれこれを、著者曰く「頑強に事実だけを羅列して述べた」私記なのだが、頁を繰るのももどかしく、全部で15の挿話を一気に読了してしまった。

大戦前夜から戦中、戦後の未曾有の大混乱を国際都市神戸にあって生き、そして登場人物の大半が死んでいく、壮絶な悲劇の物語なのであるが、その生地獄の鍋底にあって生成消滅する森羅万象を見据える著者の眼の、透明かつ晴朗にして、なんと生彩に富んでいることだろう。

とりわけ第7話に登場する夏服の美女の哀れな末路は、忘れがたいものがある。

「俳愚伝」では、著者の俳句とのかかわりが詳しく述べられているが、言論弾圧をくらった「京大俳句」メンバーの作品とは、

  我講義軍靴の音にたたかれたり 井上白文地
  千人針を前にゆゑ知らぬいきどほり 中村三山
  軍需工の列を凝然と見て過ごす 平畑静塔
  憲兵の前ですべってころんじゃった 渡辺白泉

 というような、まあこういうと語弊もあるだろうが、児戯に類するレベルのものであった。

そして私たちは、先般安倍蚤糞が強行した新治安維持法の適用によっても、同様な言論弾圧が簡単にできる時代に生きていることを、けして忘れてはなるまい。


  カメダさん座るなかれ その石に腰かけた人はみな死んでいる 蝶人


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家族の肖像その34

2018-05-04 11:13:18 | Weblog


ある晴れた日に 第509回


耕君ハス好きですか?
好きですお。
耕君は前世でハスの好きなお坊さんだったのね。一生懸命に説教しても誰も聞いてくれなかったのね。
分かりませんお。

お気に入りってなに?
耕君のお気に入りってなに?
ハスですよ。

お母さん、骨髄線維症てなに?
さあ、ガンかなあ。分かりません。
佐々木正美先生、骨髄線維症で亡くなったよ。

お母さん、チョウチョ殺さないようにしますよ。
え、耕君チョウチョ殺したの?
むかし。
どうやって殺したの? えいや、って殺したの?
もう殺しませんよ。

あした何時にカズエちゃん来ますか?
午前中早くに来ると思いますよ。
いいですお。

正美先生、2,3日に死んだの?
2,3日? なに? 2,3日前に、ってこと?
そうだお。

「こころ」のゆうさくさん、死んじゃったの?
死んじゃったね。
死ぬと、お葬式だよねえ。
そうねえ。

お父さん、知ってるの英語は?
アイノウだよ。
知ってる、知ってる。

太田胃酸、お腹の薬でしょ?
お腹じゃないよ、胃だよ。耕君、胃はどこにありますか?
分かりませんお。分かりませんお。

お父さん、連佛さんの番組、録画した?
しましたよ。だから耕君、安心してお仕事してね。
分かりました、分かりました。

お父さん、ぼくの携帯、なくなりました。
エッ、どこかに落としたの?
分かりませんお。分かりませんお。

お母さん、あいまいって、なに?
すっきりしないことよ。

お母さん、非常時って、なに?
大変なときよ。

お母さん「こころ」BSに帰ってきましたよ。BSで再放送だよ。
そうね。再放送してるね。


  鎌倉は中国人多し中国人と日本人とどちらが幸せか 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

すべての言葉は通り過ぎてゆく 第56回

2018-05-03 11:32:57 | Weblog


蝶人狂言綺語輯&バガテル―そんな私のここだけの話op.293


常日頃トランプ帝国にてって的に臣従する「奴隷外交」しかやってこなかったから、東アジア情勢がちょっと錯綜してくると、ツンボさじきに置かれる心配で、安倍蚤糞は夜も寝られなくなるのだ。4/1

税金やら医療費やらがどんどん上がり介護保険料も毎月!6千円以上納めなければならない。このままでは早晩家計が破綻することは明らかだ。いったいどこのどいつが、こんな地獄のような搾取帝国を差配しているんだ。4/2

「福祉は人」という理想を胸に秘めていた管理職が、支援費制度、自立支援法、総合支援法という自民党の制度改悪の中で、「福祉は金」という地獄の淵へと追いつめられてゆく悲劇がある。4/2

古巣のFSBの手下にビルを連続爆破させて恐怖をあおり、それをチェチェン人になすりつけて徹底的に弾圧して人気を獲得し、巧妙に裏金を作り、政敵を次々に暗殺するプーチンほど恐ろしい権力亡者が、またとあるだろうか。4/3

側近を次々に首にし、中国に貿易戦争を仕掛け、北朝鮮には急におべっかを使い、御用テレビ局を傘下に置き、アマゾンを狙い撃ちし、突如メキシコに軍隊を派遣するといいだすトランプ。毎日が楽しく仕方がないんだろうな。4/4

この春は花粉症に苦しんでいたところへ、急に腰が痛くなり、寝返りを打つのもままならなくなってきたところへ、昨夜は猛烈に虫歯が痛み出して、一睡もできなかった。ヘレン・ケラーの三重苦に比べたら、なんのこれしき、桜散る。4/5

清川病院の整形外科で腰のレントゲンを撮って診察してもらう。脊椎と椎間板の間隔、バランスが悪くなっている部位があった。腰ベルトと痛み止めとサロンパスをもらって帰ったが、もっと運動が必要だな。4/6

小澤征爾はいつも自分が「カラヤン先生」と「バーンスタイン先生」の弟子であることを自慢にしているようだが、その音楽に彼らの影響はさっぱり感じられず、かといって彼らを超越するような独創的な音楽世界も創造できていないないのは、じつに不思議だ。4/7

小澤御大はともかく、その後続の世代の指揮者、たとえば佐渡裕なども、やたら「バーンスタイン先生」を錦の御旗のように振りかざして、師匠の指揮姿だけは似ているが、弟子とも思えぬ凡庸な音楽をかき鳴らしているのは笑止千万なり。4/8

NHKの音楽番組「リサイタル・ノヴァ」DJの、どうしようもなくダサい本田聖嗣がやっと首になった。あとは「弾き語りフォーユー」の、トークもピアノもケタクソ悪い小原孝、超マンネリの「きらクラ!」の、ふかわりょう、併せて安倍蚤糞の退陣を望む。4/9

今度は「加計は首相案件である」と首相秘書官が発言したことが、愛知県文書に明記されていたと朝日新聞がスクープ。これは安倍蚤糞直接加担の動かぬ証拠ではないだろうか。4/10

腐敗堕落の極みに達した断末魔の安倍蚤糞に正義の鉄槌を下すのは、いままさにこの時ぞ。この時ぞ!4/11

面会の記録と証言が残っているのに、「面会したことはない」と強弁する元秘書官を「信頼している」と抜かす安倍蚤糞を、もはや全国民が信頼していない。4/12

かつて作家の平林たい子は、中曽根元首相を「カンナ屑のようにペラペラ燃える男」と評したが、安倍蚤糞ときたら、まるで糞コロガシが道端をコロコロ転がっているようだ。4/13

小さな嘘を一度つくと、その嘘を肯定した自分を護持するために、次々に大きな嘘をつく破目に陥り、最後は、あれほど後生大事に死守していた自分を、致命的な破滅の身に追いやってしまうことになる。おい、お前のことだぞ、安倍蚤糞。4/14

人気絶頂の大谷選手が、実力以上の成果を大爆発させているというのに、超ベテランのイチローの最近の不振は目を覆うばかり。出してもらえる間に早くヒットを打たないと、キューバ人外野手のエレディアに完全にお株を奪われてしまうぞ。4/15

能の公演中にシテが死んだら、後見が死体を「切戸口」から出して、代わりに舞うことになっているそうだ。「切戸口」は老子のいう「玄牝の門」(子宮口)であり、その対極線にある目付柱がファロス(男性器)である。内田樹4/16

能は、死霊たちが出現する芸術である。能舞台とは、ラカンがいう、「穴のあいた三間四方の無限宇宙」であり、生(性)が、死霊と激しく交感するエロスの殿堂なのであった。内田樹「日本の文脈」より4/17

トランプは、今回は安倍蚤糞を貿易問題でひっぱたいて譲歩を引き出せばいいと思っていたが、何の手土産も呉れてやらないと、帰国してからさらに窮地に立つことが分かったので、なんとか色をつける手練手管を考案ちう。4/18

財務省の次官の辞任は当然のことだが、当のセクハラ被害者は、なんで勤務するテレビ局ではなく、胡散臭い週刊誌に情報を漏らしたのだろう。ジャーナリストの立場からすれば、実に不可解な遣り口なり。4/19

昨日の続きだが、不可解なのは女性記者ではなくテレ朝だった。彼女が勇を賭してセクハラ被害を訴え、報道せよと迫ったにもかかわらず、上司は握りつぶし、あまつさえ情報の外部流出を非難している。こんなテレビ局は解体すればいいのだ。4/20

瀕死の重傷に喘いでいた断末魔の安倍蚤糞は、北朝鮮を核放棄に追い込んだ「外交成果」なるものを強調することによって、これまでに仕出かした諸悪の追及からの逃げ切りと延命を図ろうとするだろう。4/21

安倍蚤糞主催の桜見物にのこのこ出かけて、握手したり、写真を一緒に撮ってⅤサインなどをしているアホ莫迦芸能人たち。彼らは、彼奴の専制悪政に抗して欠席する、という選択肢があることすら、思い浮かべないのだろう。4/22

BSの「ブレイブ勇敢なる者-冤罪裁判官」という番組をみて感銘を受けた。刑事裁判の99.9%が有罪なのに、今村核氏はこれまでなんと14件の無罪を勝ち取ってきた。欧米と違ってこの国の裁判で勝つためには、弁護側が検察の論拠を崩すだけでなく、無罪を立証しなければ勝てないというのである。4/23

そのためには多額の費用と膨大な時間と手間暇がかかるし、万が一勝っても弁護費用はたかが知れているから、誰もやろうとしない。しかし万難を排して正義の道を驀進する今村弁護士。科学的知識と実験を駆使して、みごと被告の無罪を勝ち取った!4/24

テレビをつけたらミネヤとかいう、いかにも野卑な顔つきをした男が、奇妙なアクセントのやたらカン高い声を張り上げて、どうでもよい話をペゃくちゃ喋り続けるので、急いでチャンネルを変えたが、こういう人物を起用する局の見識を疑う。4/25

朝日新聞の夕刊で連載されている谷川俊太郎翁の月並詩の、文字通りのつまらなさよ! 頭の中でこさえた干物のような小理屈を、ただ並べているだけではないか。せめて赤田康和という男の、愚にもつかぬ解説らしき駄文を、即刻やめてほしいものだ。4/26

いよいよ板門店で、いわゆるひとつの歴史的会談が行われようとしている。はてさて鬼が出るか、蛇が出るか、怖いような楽しいような。歴史とは、やはり人間によってつくられるのだな。4/28

板門店における南北朝鮮首脳の歴史的対面は、あるいは「一場の夢」に終わるかもしれないが、今日だけはその夢に酔っていたい。解決不能に見えるいかなる現実的難問も、その突破口は、当事者の「奇跡を夢見る力」であるからだ。4/28

淀長さんは、「映画は心を潤おす効用がある」というておった。思うに、映画やドラマをみても泣いたことがない人が、人殺しをしたりするのではないだろうか。4/29

山口誓子の「夏の河赤き鉄鎖のはし浸る」について、金子兜太が「思想がない」というのは、「金子兜太に睾丸がない」というのと、同じ位にまちがっている。西東三鬼「俳愚伝」4/30

   回覧板は今頃どこを回っているのか組長の私の初仕事だが 蝶人


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なにゆえに第51回~西暦2018年卯月花鳥風月狂歌三昧

2018-05-02 10:49:28 | Weblog


ある晴れた日に 第508回


なにゆえに耕くんエアコンなんかつけてるの朝から花冷えしてるから

なにゆえに世界中で悪がはびこる神々は人類の終焉を願っている

なにゆえに安倍蚤糞は核廃絶に反対する米帝の核を舐め舐めしたい

なにゆえに文語体に固執する古色蒼然なれど伝統護持か

なにゆえに床から起き上がれない右腰に激痛が走るので

なにゆえに町内会は存続する上意下達の統治システム

なにゆえに佐伯の「イロン」は下らない常に安倍蚤糞万歳の視点

なにゆえにトランプタワーが炎上するトランプを燃やしたい連中がいるんだろう

なにゆえに92歳の老婆は怯える 訪問者には悪者がいるから

なにゆえに文書が消えたり現れたりする軍人どもの魑魅魍魎

なにゆえにトランプはシリア政府軍攻撃をためらう口ほどにもない弱虫男め

なにゆえに安倍蚤糞は元秘書官をかばうこいつが吐いたら終わりなので

なにゆえに大阪地検は及び腰安倍蚤糞への司法忖度

なにゆえに大谷の顔ばかり映し出すテレビも安倍蚤糞が嫌になった

なにゆえにこの世の悪は裁かれぬ神も仏も見て見ないふり

なにゆえ巨悪の横暴に知らん振りしてるまだ「他の内閣よりよさそうだ」とでも

なにゆえに古典の蔵書に塵積もる新刊ばかりに手が伸びて

なにゆえに八代亜紀が出るシルビー・ヴァルタン・ラストコンサートに

なにゆえに「港の見える丘」に旗はためくこれぞ「コクリコ坂」の家なるを

なにゆえにセクハラ不祥事が勃起する下半身がいつでもズブズブ

なにゆえに麻生は海外に逃げ出すお前も安倍も帰って来るな

なにゆえに麻生はかくも非常識にして傲慢なるや親の躾がなされなかった

なにゆえに錦織は突如あらわれる「僕のことも忘れないでね」

なにゆえに安倍園遊会に鴈首揃える権力者への阿諛追従ずら

なにゆえにエンゼルスは負け込んでいく大谷オオタニと浮かれているから

なにゆえにどこが傷むか君は教えてくれない絶対虫歯になっているのに

なにゆえに腐った膿をなお垂れ流す安倍蚤糞こそ膿の親なり

なにゆえに人はアルコールに魅せられる弱さにつけいる毒蛇なるを

なにゆえにしっかりしっかりと繰り返す口先だけでやる気がないとき

なにゆえに小林理髪店はガラガラなのか連休初日だというに

なにゆえに駐車場が千円になる鎌倉の地主は連休で稼ぐ

なにゆえにトランプに縋ることしかできないそのトランプからも袖にされて

なにゆえに300円しか当たらない7億円が出た宝籤売り場で

 
   年寄りと侮り寄せし羽斑蚊ただ一撃で退治してんげり 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西暦2018年卯月花鳥風月狂歌三昧

2018-05-01 10:56:42 | Weblog


ある晴れた日に 第507回


歯が痛いああ歯が痛い歯が痛い歯が痛い時は行くキシモト歯科へ

あかねさすバベルの塔を攀じ登る九十翁の姿遥けし

「辞任などは考えない」という麻生あ、そう、じゃあい今すぐ考えろよ

地を蹴りて大空高く舞い上がり陽に溶け入りし君はイカロス

空の果て光遍く天目指し勇気凛凛イカロス翔びぬ

老ゆるともカラスはカラス鶴の声宇宙の彼方にさえざえと響く
 
君知るやカラスの後にカラスなくひばりの後にひばりなきこと

こないだからずっと探している斎藤磯雄訳ヴィリエ・ド・リラダン「残酷物語」

財務省防衛省安倍内閣木っ端微塵に解体すべし

手を叩けば金魚が顔を出すように躾けたいといううちの奥さん

真夜中にカッコントオを飲みました喉が痛くてどうしようもない

「んなこたあどおでもいいだろ糞して寝てろ」と言い放つ麻生財務大臣 

トイレまであと一歩というところでパンツにぶちまけられたビチビチうんこ

釈迦牟尼はこの末世をなんとみる4月8日はやっとせえのせえ

次々にあっちこっちが壊れてゆく年をとるとはこういうことか

歯が痛い歯が歯が痛い歯が痛いなのに歯医者に行けないゆえになおなお歯が歯が痛いのである

おらっチは全く信じられまへん丁寧に説明しますと語る男

百害はありても一利なき男豚の顔にてぺらぺら語る

ピアニスト逝き同い年と知りたれど演奏の評価は改めず

「佐々木様でよろしかったでしょうか?」と聞く電話佐々木様はよろしくないぞ

朝っぱらからソングポストにて画眉鳥がウグイスの真似をして呵呵大笑す

「お母さんを6時までは寝させておいて」と頼んだので5時59分に電話してくる施設の耕君

1%のセレブな人が世界中の8割の富を独占している

「そういえば新聞の歌壇に出ないわね」「最近ちょっとスランプなんです」


 結局は何もしないで待っているまた震災がやって来る日を 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする