あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

内田百閒著「東京焼盡」を読んで 

2019-08-05 13:19:07 | Weblog


照る日曇る日 第1284回


本格的な空襲が始まった昭和19年11月1日から昭和20年8月21日までの米軍機空襲化の帝都での日常を克明に描いた戦災日記である。

ともかく朝から晩、真夜中まで日夜来襲するB29などの空襲警報と焼夷弾投下に命辛々戦戦恐恐するみずからの悲惨な姿を淡々と書き記すのであるが、さすがに麹町の自宅が焼盡した手昭和20年5月25日の記録は軽軽に読み飛ばす訳にはいかない。

けれども3月10日の大空襲や8月6日の広島原爆投下などは地域が隔離していることと、情報が管理されているために直後にはその深刻さが伝えられていないことがかえって当時の実情を伝えているように感じられる。

広島長崎が終わっても列島への空襲は止まず、8月15日の終戦詔勅の玉音放送も著者にとっては寝耳に水といえばそうであるが、むしろそれ自体もある種の自然現象のように受け止められている。

ともかく自分の足もとに焼夷弾が落ちて「アノトキヨク死ナナカッタト思ウ」というような毎日を「見届ケテヤラウ」と決意して、その通りを実行するのだから物凄い人物である。

自宅を焼かれても疎開することなく、知人の2畳敷きの掘っ立て小屋に寝起きしながら、見渡す限りの焼け野原を前にして思わず笑ってしまうことはあっても、直接戦争を引き起こした者への怒りをぶつけることはなく、さながら市井の隠者のような冷静な態度を崩そうとはしない。

今度もし戦争になって東都が灰燼に帰すとも、内田百閒のような人物は現れないだろう。



 「この女優さんは8×10でビシッと撮りましょ」と篠山紀信氏のたまう 蝶人
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