坂本龍一が亡くなってもう3ヵ月にもなる。すぐに何か書こうと思っていたが、なかなか書けないでいた。自分はよくあるパターンでイエロー・マジック・オーケストラ(Yellow Magic Orchestra、以下YMO)期から彼の音楽を聴くようになったのだが、当時は今ほど色々な情報や音源に気軽にアクセスすることが出来ず、YMOより以前に彼が気鋭のアーティストとして注目されていたことはほとんど知らなかった。YMOが話題になってくると関連作品とかがラジオで紹介されるようになり、特集番組とかをエアチェック(死語)して、安いカセットテープに録音して繰り返し聴いていたことを思い出す。でも小学生の自分には良さはあまりよく分からず、結局それらを聴くようになったのはずっと後になってからだった。
一番よく聞いたのはやっぱり「千のナイフ」(1978)(ジャケット写真上)。YMOもライヴやオリジナル・アルバムでカヴァーした「Thousand Knives」「The End Of Asia」が収録されていて、そのちょっとオリエンタルな雰囲気を持った電子音楽っていうのが自分のYMOのイメージそのままで聴き易かったっていうのもある。同時期にはフリクションのファーストをプロデュースしたりもしていて(これも後から知った)、このジャケットの写真の通り”ニュー・ウェーヴ”的な雰囲気が満載。でもYMOのメンバー曰く、坂本はファッションももっとバンカラな感じだったらしいし、寡黙な印象と違って結構トガっていたのだとか。
YMO全盛期を経て、忌野清志郎との「いけないルージュ・マジック」や、映画「戦場のメリークリスマス」辺りまではフォローしていたが、YMOの解散前くらいからは興味が薄れ、その後の坂本のソロ・アルバムや参加曲、作曲して名声を得たサントラもあまり熱心に聴いたとはいえない。むしろNHK教育でやっていた「Schola」とか、彼の音楽的知識を知り得るコンテンツの方をよく観たりしていたかな。彼は病状を公表していたし、最期と称してライヴ配信もしていたので覚悟はしていたが、やっぱり若い頃から入れ込んだアーティストが亡くなるのは寂しい。合掌。R.I.P.
坂本龍一 ( 1952 - 2023 )
>YMOから遡って
ひろしさんもそうでしたかー。当時はメンバー3人の人脈なんて全然情報が少なかった
ですもんね。はっぴいえんどやサディスティックミカバンドのメンバーといえば
(業界では)鳴り物入りだったでしょうが、一般の、ましてや小学生にはその辺りは
全然分かりませんでした。
>ルーツは福岡
ほう、そうですか。それは全然知りませんでした。意外な感じもしますね。
実家にLPレコードがあります。
私もそうですが多くの方がYMOから
遡って聴いてその才能を認識されたと思います。
某ファミリーヒストリーや福岡の番組でも
採り上げられたことがありますが
坂本さんのルーツは福岡の甘木だそうです。
(御母方のルーツは長崎だそう)
受け継がれてきた何かがあるのでしょうね。