新幹線の停車駅でもある滋賀県米原市のJR米原駅。こちらの構内では創業安政元年(1855)という歴史ある会社「井筒屋」が弁当を販売している。元は旅籠屋として創業したのだそう。駅弁屋の創業は東海道線の開通と同じ明治22年(1889)。「米原停車場構内立売営業人」という許可で営業を始めたのだとか。その本社は駅のすぐ横にあり、以前にそちらまでわざわざ弁当を買いに行ったことがあるのだが、当時本社は日曜休みで購入出来ず、結局駅に戻って購入したことがある。
最近になって本社内にイートイン・スペースが出来たと知って再訪。社屋に「キッチン井筒屋」という文字看板が出ていた。いかにもな会社の玄関を入ると事務室があり、そこで弁当を注文して先に勘定を済ませる。購入したのは「元祖面構え鱒壽し」と「かけうどん」。案内された社内の奥に入って行くとイートイン・スペースの入口(写真下)があった。
先客はおらず、静かな場所で1人。窓の外には駅舎やプラットホームが見える。そちらで待っていると、工場が隣接しているのだろう、白衣を着た方が弁当とうどんを持ってきて下さった。水はセルフで。テーブル席に腰掛けて弁当を拡げる(写真下)。
鱒寿司は頭から尻尾まで丸っと1匹が開いてある。昭和12年から発売されていて、養殖で有名な醒ヶ井の鱒を使っているのだそう。寿司は8切れ。山椒の粒がのせてあり、醤油とねりわさびの小袋、生姜が添えてある。弁当に付いてくる箸も駅弁と同様のちょっと短いもの。酢締めの具合は強くなくすっきりとした味わい。醤油をちょこんと垂らしていただく。旨い。流石に頭の部分は少し口に残るがいい感じ。「かけうどん」はかまぼこと刻みネギがのっていて、すっきりとした昆布出汁のもの。ここが東海地方でないことを認識する(笑)。うどんのつゆがあるものの、寿司には水でなくて熱いお茶があるとなお良かったな。返却口に鉢を返して工場内を玄関口まで戻った。(勘定は¥1,700)
↓ 岩脇(いおぎ)という地区に残る「岩脇機関車避難壕」◇。こちら太平洋戦争末期に米原駅に停車する蒸気機関車を空襲から守るために掘られ始めたという戦争遺構。直線距離で駅から1.6kmぐらいの岩脇山という山の岩肌に掘られた跡が2つ残っているが(1本は未貫通)、終戦により未完成のまま放置され、近年になって地元の有志の方々の手によって整備保存されたのだそう。まだ到底機関車が入るような大きさにはなっていないが、今の感覚ではこの頑強な岩山を手掘りで貫通させて機関車を隠そうなんて狂気の沙汰にしか…。
↓ 岩脇山の反対側からも見ることが出来る。この壕はずっと長い間ゴミ捨て場のようになっていたらしい。
↓ JR米原駅の東側に古い町並みが少し残る場所がある。そこにある「角田家住宅主屋」(文政~慶応年間・1830-1868・建造)◇。出格子や虫籠窓のある町家の建物。袖壁があるのでもちろん往時はこういう建物が連なっていたのだろう。国の登録有形文化財に指定されている。
↓ 米原市のJR坂田駅近くの琵琶湖畔に温泉(正確には冷鉱泉)が湧き出ている所がいくつかあると知って訪れてみた(世継温泉)。こちらはそのうちのひとつ、田んぼの中にある「南世継外れ温泉」◇。冷泉なので触ってみると冷たい。こちらは何かに利用されている風でも無かったが(農業用?)、こんな場所にぽつんと湧き出ているなんて面白い。
キッチン 井筒屋 (お弁当の井筒屋)
滋賀県米原市下多良2-1
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