どこにも出掛けられず燻っている高齢の母を連れだして出掛けたのは岐阜県養老町にある歴史ある宿「千歳楼(せんざいろう)」。以前にも建物を観に出掛けたことはあるが、折角なので泊まってみようと予約を入れた。創業は宝暦年間(1764)。建物は国の登録有形文化財にも指定されている。コロナ禍とはいえ、一応ゴールデンウィークを避けて予定を組み、HPからすんなり予約を取ることが出来た。ただ残念な事に予約を入れた日の天気予報は雨。しかも100%予報という運の悪さ。仕方なく宿でゆっくりすることにして、母には好きな本でも持ち込むよう伝えて車を走らせた。
「養老の滝」に寄ったりしてから宿に向かう。ちょうど新緑の時期だったので雨に濡れた緑がとても綺麗。緑の中に佇む宿に到着し、脚の弱くなった母を先に女将に託し、自分は車を駐車場に停めて、傘を差して玄関先へ。正面玄関に掲げられた「千歳楼」の文字は日下部鳴鶴によるもので、玄関を上がった所にある書幅(しょふく)は幕末の剣豪、山岡鉄舟によるもの(「餘象杣」※カッコ内は書かれている文字)だそう。
今回予約して泊まらせてもらったのは、建物の一番奥にある「袖の間」。部屋の意匠は全て戦前の日本画家「竹内栖鳳(せいほう)」によるものという贅沢な部屋だ。天井が高く(3mあるらしい)、縁側もある素晴らしい造り。欄間から書幅(「翠嵐香」)から襖の扇面の絵から、全て竹内栖鳳によるものらしく、この部屋だけでも文化財級の素晴らしい空間。襖の手掛は笹や鶴の形を象っていたりと細かい部分の意匠も凝っていて、観ているだけで楽しい。ましてや泊まれるなんて。二方向に廻る縁側に立つと目に飛び込んでくる雨に濡れた一面の新緑が眩しい。
館内は玄関口からフロントとサロンを過ぎ、長い廊下で各部屋に繋がっている。風呂はクラウドファンディングで新しく造ったというもの(窓枠などは古いものを利用している)。窓を開けると緑が見え、熱めの湯で気持ちがいい。玄関の方にあって部屋から遠いので、母はどう帰ったらよいか分からなくなって宿の方に連れて帰ってもらっていた(笑)。
夕食は部屋でいただく。先付に始まり、造り(3種)、焼魚(鮎)、飛騨牛、と馳走が続く。豪華な部屋でお大尽になったつもりで脇息にもたれかかりつつ舌鼓を打った。酒は「滝ビール」なる地ビール、瓶ビール(アサヒスーパードライ中瓶)、日本酒(美濃菊)を。廊下が長いのでお運びも大変だろうと、久しぶりにぽち袋で心付けを渡した(←最近そういう作法はとんとご無沙汰)。食事はたけのこご飯と蛤の吸物、デザートと、しっかりいただいて満腹。母もしっかりと食べて呑んで、堪能したようでなにより。少し寝酒をして、雨音を聞きながら床につく。
分かってはいたが、残念ながら翌日も雨。しかもかなりの降りだ。仕方がないので朝食をたっぷりといただき、この機会にと館内を散策したり、部屋で朝風呂にも入って窓の外を眺め、雨音を聞きながらゆっくりと過ごした。
帰り際には女将に2階の大広間を案内していただいた。2階への階段は昔の建物らしく急勾配(よって母は上がれず)。大広間での酒宴で酔って階段から落ちた人は多いんじゃないかナ(笑)。正面の書幅は有栖川宮熾仁親王によるもの(「千歳楼」)。もうひとつは三条実美によるもの(「千歳楼」)。それにしても、掛かっている書幅が教科書に出てくるような名だたる人物の筆ばかりで凄い。
建物は以前に立ち寄った時にも女将から説明を受けたことがあるが、傷みのひどい部分が多く、修繕にも莫大な費用がかかるので大変だとのこと(その為に今回の風呂の改修にはクラウドファンディングという策を使ったようだ)。特に台風が来襲するとヒヤヒヤだそう。実際、裏手には崩れていてシートで覆ってある部分もあるし、雨漏りがある箇所や、軋んでいる所、傾いている所があったりと苦労が伺える。
実際に泊まってみても、明治・大正時代の建物とあって決して便利に慣れた現代人にも都合が良い訳ではない。段差はあるし、襖は建て付けが悪くなっていたり、部屋の照明スイッチはなぜか廊下にあったり(笑)、窓の木枠の隙間から虫が入ってきたりもする。それでも建物をなるべく昔のまま維持しようと苦労されているとのこと。かつて様々な文化人が泊まっただろう歴史と風情のある建物を堪能することが出来て、満足して宿を後にした。(勘定は¥40,000程/2人)
文化人ゆかりの宿 千歳楼
岐阜県養老郡養老町養老公園1079
( 養老 ようろう せんざいろう 旅館 国登録有形文化財 近代建築 )