ハリーの「聴いて食べて呑んで」

日々増殖を続ける音源や、訪問した店、訪れた近代建築などの備忘録

金万 @長野県飯田市

2023年07月26日 | 長野県

長野県飯田市散策。市街地や郊外の古い建物を探訪した後、飯田市を離れる前に夕飯代わりの食事を済ませて発とうと寄ったのは創業が慶応元年(1868)という150年以上の歴史がある天ぷらの店「金万」。現在6代目だとか。店を目指して商店街に戻って来た。店は昼に立ち寄った和菓子の「和泉庄」や郷土料理の「満津田」にほど近い路地にある。暖簾をくぐると落ち着いた雰囲気で、手前がテーブル席になっている。奥はどうなっているのか分からないが座敷でもあるのかな。1人なので一番手前のテーブル席に案内された。お願いしたのは「天丼」。天丼にも色々な種類があるようだったが一番シンプルなものを。

しばらくして盆にのった「天丼」が運ばれた。塗りの鉢に盛られていて蓋は最初から外して伏せてある。これに吸物と漬物が付く。「天丼」の天ぷらは薄衣。まだ衣は張りを残しているが、たれにさっとくぐらせてあるんじゃないかな(自分は天丼の時はくぐらせてある方が好み)。たれは甘辛く、鰻丼のたれのような味の組立。タネは海老が1本に白身魚が2つ。この3つっていう組み合わせは珍しいかも。海老は少し開いてあって平らな断面をしているのが面白い。もちろんこの組立てのたれには抗えない旨さがある。ただご飯にかかったたれはちょっと多いかな。濃いめの味付けではあるが、七味などの薬味は何も置いていない。綺麗に平らげ、吸物も飲み干して箸を置いた。古い店ではあるが持ち帰りの「金むすび(天むす)」や「天ぷら万十」などもやるようになったのだとか。機会があったら次は買って帰りたいな。(勘定は¥1,600)

 

 


 

↓ 市街地から10分程離れた座光寺地区にある「旧・座光寺麻績(おみ)学校校舎」(明治6年・1873・建造)。小学校の校舎でありながら、歌舞伎の舞台が設けられているという珍しい建物。中は2階建てで広い板間になっており(←ここに机を並べたのかな)、地下の展示と物置になっているスペースには、どこに使われていたのか立派な彫り物のある扉(写真下8、9枚目)がいくつか横倒しになって無造作に置かれていた。

 

 

 

 

↓ 高森町にある「旧・下市田学校校舎」(明治21年・1888・建造、移築)。何といっても正面2階バルコニーの唐破風の屋根が特徴。1階奥の部屋に灯りが点いていたので何かに使われているのだと思うが、見学が出来るかどうかは不明(時間の都合で訊けなかった)。

 

 

↓ 喬木村「縄文の丘フルーツパーク」辺りからの眺め。丘から市街地を挟んで遠くに山々が見渡せる広大な素晴らしい景色。

↓ 川下りでも有名な景勝地、天竜峡を通ってみた。さすがに夕方近くになって人がまばらでひっそりとしていたが、こちらも景色は素晴らしい。

↓ 天竜峡駅の駅舎(建築詳細不明)は形からひょっとして古いのかなと写真を撮ってみたが、後で調べてみるとかつての面影を残して改築された建物のよう。古い写真と見比べてみても屋根の形を似せている程度。

 


 

 

天ぷら 金万

長野県飯田市主税町27

 

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三ツ輪 @長野県飯田市

2023年07月23日 | 長野県

長野県飯田市散策。飯田市といえば馬肉が名物。今回、店でいただくか土産で買って帰ろうと計画していたのが「馬のおたぐり」。下処理した内臓を塩茹でにしたものだそう。いくつかの店でも扱っていたが、酒無しでは味気ないと買って帰ることに。訪れたのは通り町(大横町)にある「味の三ツ輪」。店内でもいただけるようだが、持ち帰りだけでもOKのようだ。暖簾をくぐるとテーブル席がいくつか並んでいる。壁に貼った品書きを見ると「キムチ」「チャンジャ」「唐辛子」「マッコルリ」なんてあったので朝鮮系の料理がメインなのかな。女将さんがいらっしゃったので持ち帰りであると告げ「馬おたぐり」を400gお願いした。包んでもらったものを保冷ケースに入れて家に持ち帰る。

家に帰って包みを開けてみた。茹でられたホルモンは”そのままでも”と書いてあったので特に調理せずにつまんでみる。少し黄色い脂身が残っているが丁寧に処理されていて、少し鼻に抜けるクセはあるものの旨い。冷蔵庫で冷やしてあったが特に硬くなったりもしない。一味をかけたりしてパクパクとつまんだ。他の調理もどうかなと、自己流で醤油、味醂、酒、ニンニク、唐辛子で適当に味付けして火入れしてみる。出来上がりをつまむと、意外にもそのままの時より臭みが増幅されて鼻と喉の間に独特の風味が残る。うーん、これは火入れしない方が好みだな。それも時間が経って冷めるとクセが和らぐのが不思議なもの。地元の人達はどうやって食べるのがポピュラーなのかな。(勘定は¥1,200)

 

 


 

↓ 「旧・飯田測候所庁舎」(大正11年・1922・建造)。入口の車寄せの屋根は反り返った「照り屋根」と膨らんだ「起り(むくり)屋根」を組み合わせていて「照り起り」と呼ばれるのだそう。昔は窓が上げ下げ窓だったが、現在は引き窓に替えられているそう。屋内は展示室となっていて見学出来る。国の登録有形文化財に指定されている。

 

 

 

↓ 建物横の観測用の「測風塔」(昭和35年・1960・建造)。その前は木造の測風塔だったそう。

 

 

↓ 追手町の飯田城跡にある「柳田國男館」(昭和2年・1927・建造、昭和63年移築)。元々は世田谷区に書斎「喜談書屋(きたんしょおく)」としてイギリスのコテージ建築様式で建てられたのだそう。柳田の祖先は旧飯田藩士だったとの縁でこちらに移設されたとか。こちらも国の登録有形文化財に指定されている。

 

 

 

 


 

 

味の三ツ輪

長野県飯田市通り町3大横20

 

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満津田食堂 @長野県飯田市

2023年07月19日 | 長野県

長野県飯田市内を散策。登録有形文化財に指定されている学校校舎を歩いて見て周った後に訪れたのは、主税町(ちからまち)にある食事処「満津田(まつだ)」。創業が明治20年(1887)で現在5代目だという長い歴史がある店だ。定食や丼物の他に鯉料理や馬刺し、蜂の子など飯田の名物料理を扱っていて、外壁にも”名物・鯉めし”とある。店先のショーケースにもサンプルがいくつも並んでいた。勇んで暖簾をくぐり中へ。開店してすぐの時間だったが先客はもう5組も。テーブル席の他に小上がり席もあり、2階にも座敷があるようだ。もうビール瓶を立てている客も(いいなァ…)。

こちらでの食事をメインにするつもりだったので、定食の欄から一番上に記載されている沢山の飯田名物(馬刺、鯉甘煮、蜂の子、山菜、野沢菜)を盛り込んだ「伊那香定食」を注文。しかし給仕の女性曰く、定食の中の「鯉甘煮」が予約だそうで、それを他の品に変えれば出来るとの返事。しまった…下調べして予約を入れておくんだった…。それが食べたかったので急遽方針を変更して「馬刺定食」をお願いした。地元客に運ばれる定食のフライ物が大きい。あれもいいなァ…。

しばらくして「馬刺定食」が登場。馬刺しは平皿に赤身が15切れ程も並んでいる。付け合わせはスライスした玉ねぎにパセリ。この他になめこと豆腐の入った信州味噌の味噌汁、飯碗に多めのご飯が付く。馬刺しをたれにつけていただく。旨い。たれは酸味がありスッキリとした味わい。すり生姜が付いているのでそれをつけたり、たれに溶かしたりしていただいていく。玉ねぎのスライスがよく合っていい感じ。ただ、旨いがさすがに一本調子で飽きてくる。それに馬刺しがご飯に合うかというと(酒呑みには)…ちょっと微妙。ここに泊まって単品を色々頼んで酒をやりたいところ(笑)。次に機会があったら是非予約を忘れないようにしよう。(勘定は¥1,350)

 

 


 

↓ 交差点に立った時からもう佇まいが素晴らしい「飯田市立追手町小学校(旧・飯田尋常高等小学校)」(昭和4年・1929・建造)。現役の学校校舎だ。コンクリート校舎は一区画を占めていて重厚。区画の両側に設けられた入口もかっこいい(現在使っている入口は東側のみの様子)。南に下っていく木々に覆われた坂道があるのだが、そこも素晴らしい雰囲気。

 

 

 

 

 

 

 

↓ 裏手のグラウンドに出ると、その先に「追手町小学校講堂(旧・講堂兼体操場)」(昭和6年・1931・建造)があった。格天井の板張りでこちらも現役の素敵な建物だ。

 

↓ 校舎の道を挟んだ向かいにある「飯田市立中央図書館」の敷地にあるのは「飯田城桜丸御門(通称:赤門)」(宝暦4年・1754・建造)。塀の内側には図書館の古い門柱(写真下4枚目)や井戸の跡(写真下5枚目)も残っていた。

 

 

 


 

 

満津田食堂 (お食事処 満津田)

長野県飯田市主税町1

 

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和泉庄 @長野県飯田市

2023年07月14日 | 長野県

南信州、長野県飯田市内を散策。少し汗ばむぐらいの陽気の中、歩いて近代建築を訪れたりして歩く(訪問5月末)。アーケードのある商店街にある和菓子の「和泉庄」へ。創業は文政元年(1818)という200年を超える凄い歴史のある店だ。現在は8代目だとのこと。こちらの名物は暖簾にも大書きされている「大きんつば」。店内のガラス・ショーケースを覗くと他にも色々な菓子が並んでいるが、購入したのはもちろん「名代大きんつば」。包んでもらったが、包装に”要冷蔵”とあったので、車を停めてある市営駐車場まで戻り、用意した保冷ケースに入れておいた。

帰ってから体調が思わしくなくて一緒に来られなかった母に1つ渡し、自宅で妻と分けっこ。「名代大きんつば」は厚さが2㎝強ほどもあって、”大”の字に恥じないしっかりとした重量感がある。皮はごく薄く、ほとんどがつぶ餡といった感じだ。これで甘さが強いとさすがに持て余してしまうだろうが、食べてみると甘過ぎないちょうどいい塩梅で旨い。店にはビニール袋入りのきんつばの餡だけも売っていたけれど、無類のあんこ好きな妻にそれも買って帰れば良かったかな。(勘定は¥600)

 


 

↓ 日本画家の菱田春草の生誕地ということから「春草通り」と名付けられた通りを歩いていると古い建物に人が群がっている。何事かと覗いたのは仲ノ町の「安東邸」(大正末期頃・建造)。”空き家再生”と称して大学生がリノヴェーションを試みる為に一般公開をして清掃をしているのだとか。中も見せてもらったが50年程倉庫としてしか使われていなかったそう。中には昔のプラモデルの箱とか雑誌もそのまま置いてあった。貴重な物もあるんじゃないか?(笑)。そこに昔ここで間借りして住んでいたことがあるという年配の男性が現れてびっくり。

 

 

↓ 同じく仲ノ町の道を挟んだ向かいにある「飯田中央キリスト協会(旧・高野医院)」(昭和4年・1929・建造)。木造の擬洋風建築。かつては産婦人科医院だったのだとか。敷地内には別の洋館も建っているが、伸びた庭木で建物が見えづらいのが残念(写真下5、6枚目)。

 

 

 

↓ こちらも同じ通りにある「下伊那教育会館」(昭和13年・1938・建造、のち改修)。「下伊那教育会」の本拠地として戦前に建てられた建物。何といっても見ものは玄関扉上の「館會育教」(逆読み)と漢字で描かれたステンドグラス。国の登録有形文化財にも指定されている。

 

 

 

 

 


 

 

和泉庄本店

長野県飯田市銀座2-11

 

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三河家 @長野県飯田市

2023年07月10日 | 長野県

早朝から家を出て南信州の飯田市までドライブ。本当は老母を連れて行く予定だったが早くに電話があり、体の調子が悪いので見合わせるとのこと。どうしようか迷ったが晴天なのは分かっていたので1人で出掛けることに。中央高速を走って飯田へ。郊外の「杵原學校」を観賞した後、市街地へ。市営駐車場に車を入れて、近代建築を探しながら歩く。何も食べていなかったので、まず軽く腹に入れようと常磐町の麺類食堂「三河家」へ。正確な創業年は分からないが120年の歴史があるとのこと。現在5代目だとか。

店内はまだ新しい感じなので建て直しているだろう。カウンター席の他、テーブル席が4つに小上がり席もある。正面には古い壁掛時計の振り子がちゃんと動いていた。晴天で歩いて周ると暑いくらいだったし、まだ”朝食”なので(笑)軽くと「冷やしたぬきそば」をお願いした。自分の後にも次々と地元の客が入ってくる盛況ぶり。

しばらくして木製の塗り鉢に盛られた「冷やしたぬきそば」が運ばれた。そばの上の具材は、天玉、刻みネギ、大根おろし、刻み海苔。鉢の縁にはわさびが付けてある。そばは細打ち。さすが信州、麺類食堂で出てくるそばの域を超えてなかなかのもの。冷たいつゆと一緒に喉を通るそばが気持ちいい。つゆはすっきりとした味わい。そばともよく合っていて旨かった。他の客に運ばれた丼物も旨そうだったし、酒の肴になりそうな一品物も、地元の名物料理も色々あるようだ。次に機会があったらそういうので一杯やってみたいナ。(勘定は¥800)

 


 

↓ 多分初めて訪れた南信州の飯田市内。高い位置にあるので街中からでもこんな感じで素晴らしい眺望。彼方に見えるのが南アルプスの山々。

↓ 「銀座通り」にあった店舗を3つに分け合った建物(建築詳細不明)。軒部分や柱部分はモザイクタイルで装飾されている。

 

↓ 同じ銀座通りの印章店「北澤信陽堂」(建築詳細不明)。こちらも建物の特徴的な上部もモザイクタイルで装飾されている。「自慢の深彫」の文字が力強い。

 

↓ 商店街の外れの消防詰所の敷地にあった蒸気機関車「D-51 402号機」。傷みが激しく、塗装もちょっとみすぼらしい状態になっていて残念。全国的にそのようだが、展示機関車の維持って大変なんだなァ。

 

↓ 飯田市内に入る前に郊外の木造校舎「杵原学校(旧・山本中学校)」(昭和24年・1949・建造)。廃校になったのは昭和60年。廃校(統合)にあたっては地域で諍いが生じたらしく20年間も手つかずだったのだとか。現在はしっかり整備されていて状態も良く、校舎内も極力当時のままで維持されている様子。国の登録有形文化財に指定されている。訪れた時には校舎周りやグラウンドでクラフト・マーケットが開催されていて盛況だった。

 

 

 

 

 

 

 


 

 

三河家

長野県飯田市常盤町1

 

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食堂 中村 @長野県木曽郡木曽町

2023年01月07日 | 長野県

紅葉の長野木曽路ドライブ(訪問11月)。木曽福島の街中を巡った後、19号線を中津川方面に戻って来た。往路は東側の「越前屋」で蕎麦を手繰ったが、復路はその向かいにある食事処「中村」に立ち寄る。創業は昭和42年(1967)だとか。こちらでは五平餅をいただこうと車を停めた。店先で焼いたりもするようだが、この日はやっていなかったので店内へ。土間にテーブル席が並んでいる。品書きには麺類、丼物が揃っている。「五平餅だけでもいいですか?」と尋ねると「どうぞどうぞ。」とテーブル席に座らせてくれ、お茶と漬物を出して下さった。1本だけなのに申し訳ない。出して下さった野沢菜がめっぽう旨い。

焼き上がった「五平餅」が皿にのせられて置かれた。こちらの五平餅はわらじ型だがふっくらとした形。外側はしっかりと焙ってあり、飯粒もしっかりと潰れている。たれの量は多くなく、味わいは甘め。旨い。やはりくるみやごまを使っているのかな。大きくないのでもう1~2本あっても軽くいけたな。次に寄ったら山菜そばとのセットか、他の丼物をいただいてみようか。「五平アイスクリーム」っていうのも気になるナ。(勘定は¥220)

 


 

↓ こちらも木曽川の他の発電所の例に洩れず電力王・福澤桃介によって造られた「須原発電所」(大正11年・1922・建造)。本館に塔屋が突き出ているのが面白い。経産省の近代化産業遺産に指定されている。

 

 

↓ 下の「読書(よみかき)発電所」への導水路「柿其(かきぞれ)水路橋」(大正12年・1923・建造)。鉄筋コンクリート製で全長は142.2m。現存する戦前の水路橋の中では最大規模だそう。国の重要文化財に指定されている。

 

 

↓ 到着が遅くなって残念ながら写真が陰ってしまった「読書発電所」(大正12年・1923・建造)。建造当時日本最大の発電量だったそう。建屋の裏手まで普通に車で入って行けてビックリ。「水槽・水圧鉄管」(写真下3枚目)と共に本館が国の重要文化財に、そして近代化産業遺産にも指定されている。

 

 

 

 


 

食堂・中村

長野県木曽郡上松町大字小川2343-1

 

( 長野 ながの 木曽町 なかむら 中村食堂 食堂中村 中村五平餅店 ごへいもち 福沢桃介 近代建築 産業遺産 よみかき発電所 すはら発電所 )

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宝来屋 @長野県木曽郡木曽町

2023年01月03日 | 長野県

紅葉の長野ドライブ(訪問11月)。木曽福島の街中を散策し、帰路につく。妻のお土産に甘いものをと寄ったのは創業元禄元年(1688)という和菓子屋「宝来屋」。店は街道沿いにあって、その建物は長い歴史に反してまだ真新しい感じ。店先に”栗”、”栗子餅”と幟が立つ。店内はガラスケースに色々な菓子が並んでいるが、意外にも洋菓子もやっているようだ。選んだのは幟にもあった「栗子餅」。妻と母と自分で3つ。少量で申し訳ないが袋に入れてもらう。

家に持ち帰っていただく。それぞれは蓋付きのプラスチック容器に入っている。岐阜市だと「栗粉餅」と書いて餡はこし器を通して粉吹いたような見かけだが、こちらはしっとりとした栗の餡がおはぎのように餅をまとっている。しっかりとした甘さがある栗餡。旨い。熱いお茶を淹れていただいた。もういくつか買って帰ればよかったかと後悔したが、こういうものってひと口かそこらあるぐらいがちょうどいいんだよナ。木曽福島には他にも賑わっていた和菓子屋があったので、次に来たらそちらも寄ってみよう。(勘定は¥630)

 

 


 

↓ 本町通と山側を結ぶ「大手橋」(昭和11年・1936・建造)。当時日中戦争などで鋼材の入手が困難だったことから鉄筋コンクリートで造られたそう。ローゼ橋という様式で、鉄筋コンクリート製としては世界で初めて、ローゼ橋としても日本で初めてのものだったのだとか。土木学会選奨土木遺産に認定されている。

 

↓ いかにも山間の長閑な駅といった風情のJR「須原駅」(明治42年・1909・建造)。中山道39番目の宿場町「須原宿」にあり、創業時そのままの姿を残しているという。

 

↓ 同じく「須原宿」にある「定勝寺」(慶長3年・1598・建造)。本堂と山門と庫裏が国の重要文化財に指定されている。こちらには日本最古の「蕎麦切り」に関する文書も発見されているのだとか。素晴らしい紅葉だったがもう陽が落ち始めていて、燃えるような色には間に合わず。

 

 

 


 

御菓子司 宝来屋

長野県木曽郡木曽町福島5076

 

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七笑酒造 @長野県木曽郡木曽町

2022年12月30日 | 長野県

紅葉の長野県木曽ドライブ。木曽福島の街中を散策して立ち寄ったのは「七笑(ななわらい)」のブランドで有名な「七笑酒造株式会社」。創業は明治25年(1892)とのこと。以前から馬籠宿(岐阜県中津川市)の酒屋や、岐阜県各地の酒屋で買って馴染みのある酒。はっきり言って手に入れるのは容易いが、そこは”本店主義”(笑)なのでここまで来て寄らない選択肢は無い。引き戸を開けて中に入るとまだ若そうな主人(?)が迎えてくれた。店内の棚を眺め、購入したのは「七笑・純米酒」。結局いつも呑んでいるやつなのだった。

 

酒造好適米は美山錦、キヌヒカリ。精米歩合(※元の玄米からの重さの割合)は60%だそう。古いタイプの酒にありがちな重さや甘さはあまりなく、ひやでも燗でもいける飲み易い口当たり。日常の食中酒としてとても使い易い酒だ。ある意味現代的。自分の普段呑みの好みは結局この辺りに落ち着くのかな。(勘定は¥1,320/4合瓶)

 

 


 

↓ 店のすぐ隣の「中村屋精肉店」(建築詳細不明)。現役の店かどうかは分からなかったが、なかなか渋い建物(←数年前に閉店されているようです)

↓ 店と同じ通りの並びにある「眞岡薬局」(建築詳細不明)。塗り直してあるので最初は新しい建物かと思ったが、よく見ると窓枠は木製だし波ガラス。きっと古い建物に違いない。こちらも休みだったが店の中も見てみたかったな。

↓ 同じ通りにある「小林商店」(建築詳細不明)。こちらも休みだったが外看板からいくと食料品店だろう。通りからは奥が見えなかったので看板建築かどうかは分からなかったが、後から裏手に回ってビックリ。

 

↓ 通りから見ると普通の2階建ての建物に見えたが、裏手に回ると河川敷に張り出して3階建てにも4階建てにも見えるカオスな建物。こういうのを「崖屋(がけや)造り」と呼ぶのだそうだ。隣とも完全に繋がっているようだが、何でも表の狭い本町通りが自動車社会になって拡幅し、河川敷側に後退したのだとか。もちろん現在の建築基準法には適合していないので、修繕は出来ても建て直しは出来ないのだそう。並びには旅館もあるので一度泊まってみたいなァ。

 

 

↓ 七笑酒造の横や裏手には人がやっと1人通れる幅の細い径が何本も。こういうのを見付けると必ず歩いてみたくなる性分。まるで下呂市金山町の「筋骨」のようだ。

 

 

↓ 旧中山道の福島宿・上の段地区。通りには随分手直しが入っているが古い建物が残っている。後から調べてみると、この一帯は昭和2年(1927)の大火で大半の建物が消失したが、この「上の段地区」だけは大火を免れたのだとか。

 

↓ 福島宿の通りを曲がったところにひっそりと残る「福島宿・高札場」は、青い空に紅葉と銀杏のコントラストが素晴らしかった。

 

 


 

 

七笑酒造株式会社

長野県木曽郡木曽町福島5135

 

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ゆき @長野県木曽郡木曽町

2022年12月26日 | 長野県

紅葉の長野県ドライブ(訪問11月)。南木曽で近代建築を観賞した後は19号線を北上して木曽福島へ。昼前に軽く蕎麦を手繰っただけだったのでもう1軒どこかへと街中を散策。以前に中津川で寄った「くるまや」の本店があったが待ちが出ているようだったので避け「レストランゆき」という店に入ってみた。事前に調べた訳ではないのでどんな店かよく分からない。喫茶店風の店内に先客は1組居たが、店の方は誰も出てこない。調理場は奥にあって死角になっているようだ。BGMはムード歌謡と演歌(笑)。しばらくテーブル席のひとつに座っていると先客の調理を終えた年配の主人が出ていらした。ステーキやフライ物、スパゲッティーなどの洋食が中心。中から選んだのは「カツカレー」。

フレンチドレッシングのかかった野菜サラダと一緒に「カツカレー」が運ばれた。白い平皿に盛られていて茶色の福神漬が添えてある。カレーは玉ねぎの多いポークカレー。メニューには”手造り””辛口”とあったが、ほどほどの辛さ。旨い。上にのったカツにはソースがひとたらししてある。やや薄め小さめだが、カツカレーとして食べるにはちょうどいいサイズ。卓上にも同じだろうソースがあったので少し味わってみたが酸味が独特。メニューには「ソースカツ丼(特製ソース掛)」というのがあったので、そっちも味わってみたいナ。(勘定は¥950)

 

 


 

↓ 南木曽町にある「福沢桃介記念館」(大正8年・1919・建造、2階は昭和35年の火災後再建)。福沢諭吉の娘婿で電力王、福沢桃介の別荘として建てられた建物が記念館として公開されている。木曽川流域の7つの発電所を手掛け、この別荘で女優を引退し実業家だったパートナーの川上貞奴と政治家や外国人技術者をもてなしたのだそう。資料や遺品などが展示されている。

 

 

 

↓ 「福沢桃介記念館」に隣接し、渡り廊下で繋がっている「山の歴史館(旧・御料局名古屋支庁妻籠出張所)」(明治33年・1900・建造、移築)。以前は妻籠宿本陣跡地にあったのだとか。尾張藩が管理していた木曽の山林を明治政府が御料林として管理。勝手に伐採したり取引した者を厳しく取り締まったので留置場や職員の宿直室がある。移築されたが当時から改変が少ない貴重な建物だそう。天井の換気口も菊の御紋。

 

 

 

 

 

 

↓ 1km下流に計画された「読書(よみかき)発電所」の建設資材を輸送するために架けられた「桃介橋」(大正11年・1922・建造)。土地買収が困難で川幅の広い場所に架けられ、当時国内最大級の吊り橋だったのだとか。にしても自分の名前を付けるとは当時の権力者って圧が凄いナ。この辺りの河川敷は岩が白っぽく大きい。

 

 

 

 


 

喫茶・食事 ゆき (レストランゆき)

長野県木曽郡木曽町福島5068-1

 

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越前屋 @長野県木曽郡上松町

2022年12月22日 | 長野県

新しい車の慣らしを兼ねて紅葉を愛でに長野県へ。妻も老母も誘ったが予定が合わず、結局1人で向かうことに。天気も良かったので道中の素晴らしい紅葉を眺めつつ国道19号線を北上する(訪問11月)。途中で立ち寄ったのは「壽命そば」の看板を掲げ、創業寛永元年(1624)という400年もの長い歴史のある「越前屋」。何でも”日本で二番目に古いそば屋と言われて”いるのだとか(※)。店は景勝地の「寝覚の床」近くの国道沿い。駐車場に車を停め暖簾をくぐる。もう満席の盛況で、1組出るのを待って土間のテーブル席に案内された。お願いしたのは「盛りそば(2枚)」。貼紙があったので”新そば”になっているようだ。調理は奥の広い調理場で行われている。給仕や手伝いの女性は5人程も居るが、調理は男性が1人でやっているようだ。麺上げは大きな平笊でやっている。

※ちなみに一番古い蕎麦屋と言われているのは京都の「本家尾張屋」で、創業は寛正6(1465)年(ただし蕎麦屋としての開業は元禄15年・1702)

しっかりと時間がかかって「盛りそば」が供された。朱(あか)い塗りの木製のせいろに盛られた蕎麦は、更科とまでは言わないが麺肌が白い蕎麦だ。新そばだからかな。つゆは徳利に入っており、刻みネギと練りわさびが別で付いている。早速手繰っていく。蕎麦は細切りで喉越しの良いもの。勝手にボソッとした”田舎蕎麦”かもと思っていたのでイメージを覆された。つゆは濃いが甘味は少ないもの。甘いと2枚はキツいが、するすると手繰っていける。2枚を食べ終えると蕎麦湯が置かれた。さらっとしたタイプ。いつも刻みネギは蕎麦湯の時だけ使うが、こちらのは粗くて硬く口当たりが悪そうだったので使わず。店の方に品書きに載っていた旧店舗の建物の事を尋ねると、横の坂を上がった所に残っていると教えてくれたので後で伺う事にして勘定してもらった(勘定は¥1,350)

 

 


 

↓ 店の脇の坂を上ると風情ある建物が見えてきた。旧中山道の上松宿に建つ「旧・越前屋」(大正元年・1912・建造)。旅館を営んでいたので2階は客室だろう。店頭の”壽命そば”の看板もそのまま掲げてある。

 

 

 

 

↓ 隣の「たせや」(※「た」は変体仮名・江戸後期建造)も越前屋に劣らず素晴らしい建物。こちらも旅行者相手の立場茶屋(たてばぢゃや)だった建物だそう。

 

 

↓ この2軒を挟んだ細い坂道は紅葉を始めた木々と相まって素晴らしい景色。路面のアスファルトやらはアレだが、駕籠かきや髷を結った人が通っても違和感がなさそう。

 

 


 

 

手打そば 越前屋 (越前屋そば店)

長野県木曽郡上松町大字小川見帰2379

 

( 長野 ながの えちぜんや えちぜん屋 えちぜんやそばてん 寿命そば 壽命そば じゅみょうそば ざるそば 蕎麦 近代建築 中仙道 木曽路 )

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