2年前の3月、『なぜ、人は諍うのか』と考えた。
そのときに、個人レベルに限らず、話し合いという形で、社会レベル、国家レベル、いろいろなレベルで相手の立場に立っているようにと心がけて生きることが必要だと感じた。
こんなこと、誰でもわかっていることだろうが、実際はできていない。
その証拠に、世の中、諍いだらけだ。
今日、電車通勤している女医さんが「最近は、乱暴な人が多くて、通勤が怖いです」と嘆いていた。私も、この人、自分のことしか考えていないと感じることがよくある。
そんな話を見たり聞いたり、さらには私自身が嫌な思いをさせられたりすると、私自身、大丈夫かと心配になる。
普段から、人につらく当たっていたりしないか。
意地悪していないか。
いつも誰かの気持ちに寄り添っていたら、いつも優しくしていることができるのだろうけど、なかなかそれは難しい。
そうしているつもりでも、そうできていないことは多々あるし、むしろその逆になっていることすらある。
いっそのこと、すべてをあきらめるか、すべてに目をつぶるか。
それができれば、それほど悩まずに済むのだろうけど、それはそれで、なかなかできない。
そのときに、個人レベルに限らず、話し合いという形で、社会レベル、国家レベル、いろいろなレベルで相手の立場に立っているようにと心がけて生きることが必要だと感じた。
こんなこと、誰でもわかっていることだろうが、実際はできていない。
その証拠に、世の中、諍いだらけだ。
今日、電車通勤している女医さんが「最近は、乱暴な人が多くて、通勤が怖いです」と嘆いていた。私も、この人、自分のことしか考えていないと感じることがよくある。
そんな話を見たり聞いたり、さらには私自身が嫌な思いをさせられたりすると、私自身、大丈夫かと心配になる。
普段から、人につらく当たっていたりしないか。
意地悪していないか。
いつも誰かの気持ちに寄り添っていたら、いつも優しくしていることができるのだろうけど、なかなかそれは難しい。
そうしているつもりでも、そうできていないことは多々あるし、むしろその逆になっていることすらある。
いっそのこと、すべてをあきらめるか、すべてに目をつぶるか。
それができれば、それほど悩まずに済むのだろうけど、それはそれで、なかなかできない。