私、コロ健、意外と真面目な性格なのかも知れない。
いや、正しくはそんなことはまったくなく、真面目を演じてそのように自分を追い込んでいるにすぎない。
今朝、横須賀線が線路のトラブルで遅れた。その車内アナウンスが入った途端にドキドキして、息がつまりそうになった。時々ある症状で、閉所恐怖症があるのだと思っていたが、この時電車は駅のホームに止まっていて、ドアは開いていた。
そこで、症状の原因が遅刻への恐怖感だったということがわかった。最初に症状が出たのは、広島での学会に向かう途中、新幹線が立ち往生したとき。この時も、遅れたらどうしようと、必死に思っていたのを覚えている。
電車の遅れは自分のせいでないとわかっていても、もっと早く出ていれば、別のルートを使っていれば、などと思ってしまう。
そう思ったところでなにも変わらない。もともとはそんなこと気にするようなタイプではなかった。

本質的に私はクヨクヨしただらしのない人間だった。それなのに、いつからか表面上正義感の強い真面目人間を演じるようになっていた。以前の私というのを覚えているということは、どこかにターニングポイントがあったはず。
私が変わったとき、それはいつだったのだろうか。
このブログでも時々書いているが、私は若い頃、いろいろとやっかいなことを起こした。その度ごとに、「こんなんじゃいけない、もっと真面目にならなきゃ、もっとストイックにならなきゃ」と自分に言い聞かせてきた。

今でも、それは続いている。心の箍(たが)が外れてしまうのが怖いのだ。
だから、遅刻しそうになったとき、自分が周りにかけてしまう迷惑を思い、ドキドキしてしまったのだ。
待ち合わせに遅刻しそうな時もそう。だが、遅刻はストレスの一つに過ぎない。ほかにもそんな局面はある。
こんなことを繰り返してしまうようになっては元も子もない。元々の自分を思い出すということも必要な気がする。
いや、正しくはそんなことはまったくなく、真面目を演じてそのように自分を追い込んでいるにすぎない。
今朝、横須賀線が線路のトラブルで遅れた。その車内アナウンスが入った途端にドキドキして、息がつまりそうになった。時々ある症状で、閉所恐怖症があるのだと思っていたが、この時電車は駅のホームに止まっていて、ドアは開いていた。
そこで、症状の原因が遅刻への恐怖感だったということがわかった。最初に症状が出たのは、広島での学会に向かう途中、新幹線が立ち往生したとき。この時も、遅れたらどうしようと、必死に思っていたのを覚えている。
電車の遅れは自分のせいでないとわかっていても、もっと早く出ていれば、別のルートを使っていれば、などと思ってしまう。
そう思ったところでなにも変わらない。もともとはそんなこと気にするようなタイプではなかった。

本質的に私はクヨクヨしただらしのない人間だった。それなのに、いつからか表面上正義感の強い真面目人間を演じるようになっていた。以前の私というのを覚えているということは、どこかにターニングポイントがあったはず。
私が変わったとき、それはいつだったのだろうか。
このブログでも時々書いているが、私は若い頃、いろいろとやっかいなことを起こした。その度ごとに、「こんなんじゃいけない、もっと真面目にならなきゃ、もっとストイックにならなきゃ」と自分に言い聞かせてきた。

今でも、それは続いている。心の箍(たが)が外れてしまうのが怖いのだ。
だから、遅刻しそうになったとき、自分が周りにかけてしまう迷惑を思い、ドキドキしてしまったのだ。
待ち合わせに遅刻しそうな時もそう。だが、遅刻はストレスの一つに過ぎない。ほかにもそんな局面はある。
こんなことを繰り返してしまうようになっては元も子もない。元々の自分を思い出すということも必要な気がする。