ちょっとわからないことがあると、若い先生などは”グーグル先生教えて!”とかいってネットですぐ検索する。私にしても人のことは言えなくて、用語の意味が分からないときはまずはネットで言葉を検索する。
ああ、あの病気の言い換えか、とかふーん、そんな疾患だったのか、とか理解する。
もう少し調べたければPubMedで科学論文を検索すれば、Freeの論文や、病院で契約していくれている一部の論文を読むことができるので、だいたいのことはそれで足りてしまう。
昨年の秋口に、『なにが書いてあるのか、誰が書いたものか(1)~(4)』ということを書いた。その時に感じたのは、このネット社会のなかでの、いわば知識の飽和だ。情報飽和については『情報飽和社会』として言葉そのものについて書いた。
他にもネットについて考えた記事はあるのだが、ここで実はネットには大事なことが欠落しているということに気がついた。

それは、考え方。
ネットにはほとんどすべての知識が網羅されている。
だけど、それをどう処理して、整合性をもたせていくかについてはでていない。
知識と知恵の違い、それはネットをいくら探してもわからないことだ。知識を集積してもネットはそこに到達することはできない。