運命は決まっているのか、そして人生は切り開いていけるものか。自分でなにかやってこそ、それは結果といえるが、何もしないままだったらそれは結果とはいえない。
人間はもともと不公平な存在であり、そのことまでは運命として受け入れて生きていく。そこまでだったら人間でなくてもできる。
人間が理性を与えられたのは、その先の一歩のためではないかと思う。すなわち、あらかじめ決められた運命に流されることなく、人生を切り開くということ。そして、それは人間として生きていく上でやってはいけないこと、それを実践することではないかと思う。
嘘をついてはいけないのはなぜか、物を盗んではいけないのなぜか、人を殺してはいけないのはなぜか、その一つ一つが人生の目的であり、そうやって人生は目的を持つ。
今、正しいことをしていればそういう人生だし、不正をしていたら、それはそれでまたそういう人生となる。人生の結果はいまある事実であり、幸不幸というものはその時の気持ちである。とすると、その人がその人生を幸せだと考えるか、不幸せだと考えるかは自分自身の人生を理解し受け入れることなのだ。
人生を切り開きながら、自分自身の人生を理解し、受け入れながら前に進んでいくことであり、そのさきに人生の結果というものがあるのだろう。