こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

変わらない私の周りの世界が変わってきた

2021年03月26日 | 生き方について考える
異動のお知らせがあちこちの部署から回ってくる季節になった。見たことのない名前の方ばかりだが、こんなにも多くの人が人生の転機を迎えるのかと思うと感慨深い。テレビでもアナウンサーやお天気キャスターが”卒業”という言葉で辞めていく。当たり前のように同じ時間に見ていたこの顔が来週からは消えてなくなるのかと思うと不思議な思いがする。

卒業とは基本的に学校の過程の修了を意味するから、いい大人の人事異動をこのように使うのは誤用で違和感は拭えないが、NHKですらこの言葉を使うようになったということを考えるとそのうち、”卒業”にたいして、

「転じて、それまでの役割を終えること、または異動・退職すること」

などという意味が与えられるかもしれない。
それにしても、「4月からは〇〇を担当します」なんていう、配置換えとしての正社員のアナウンサーの卒業はいいとして、4月からどこへ行くのかわからないような方のお別れの言葉は寂しい。

50代になって配置換えや3度の転職をしたということを思い返すと自分もそこそこ転職慣れしているほうだろう。この歳になると、若手が修行として数年単位であちこち動くのとはワケが違う。まあ、転職といってもある意味小さな世界で所属が変わるというだけのことで、たとえばプロ野球選手の所属球団が変わるのとあまり違いはないのかもしれない。

私(コロ健)自身は全く同じ人間であるのはこのブログを日々書き連ねていることから明白だ。その私が外の世界で置かれている環境が変化していく、ということはとても興味深いことだ。全てが変わったようでいて、実は自分は変わっていない。そう考えると異動などということが本当の意味で人間そのものに影響を与えることではないと解る。だから、居場所が変わるということぐらいで一喜一憂する必要はない。確固とした自分の存在を確認するのに、このブログというのはいいものだ。

今の自分があるのは長らくいた職場での実績に負うところが大きいが、その職場を退職した時は送別会などなかった。だからなんだったというのだろう、その日のエントリーを読むと新たな希望を胸に一歩を踏み出していた。何歳になってもスタートはできる。そののちお世話になった2施設での経験はある意味それまでよりもよほど貴重なもので、それらの施設の上司や同僚には感謝の念しか出てこない。自分の幸運に感謝する。
その前の施設をやめた日のエントリーのタイトルは”人生に正解はない、でも不正解はある”。いったいどのような気持ちで書いたのだろう。今となってはもう忘れてしまった。

私は私

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