こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

自分の考えは相手が考えていることと同じではない

2022年12月06日 | 生き方について考える
一昨日、裏山の手入れをしていた時、何かの虫に左手首を刺された。
その日のうちは、ちょっとかゆい程度で、こんな時期になっても蚊がいるのかと思っていたが、一晩明けたらずいぶん腫れてしまった。
どうやら蚊ではなくて別の虫だったようだ。
抗生物質入りのステロイド軟膏を塗っているおかげかいまのところ、化膿はしていない。
普段は左手に付けているアップルウォッチも右手に変えて少し楽になったが、思い出したように痒くなるのには困っている。
とびひ(伝染性膿痂疹)にならないよう気をつけながら、数日はこのまま様子を見るつもりだ。

昨晩のサッカーW杯対クロアチア戦は日本代表を頑張って応援していた妻の横で、私はしっかり寝ていたが、後半30分過ぎに目が覚めてしまい、PK戦まで見届けた。
仕事でヘトヘトだった上、土曜日まで仕事がぎっちり詰まっており、体調維持のためにテレビ観戦より寝ることをとった。
みんながみんなサッカーに興味があるわけではないから、全体からみれば一部だろうが、今朝はそれなりの数の日本人が眠気と戦っているかもしれない。

自分以外の誰かとかかわる時、意識しておかなくてはならないのは、相手は自分と同じことを考えているわけではないということ。
癖でもなんでもそうだが、”自分”を定義するものが仮に、沢山という意味で、一万あったとしたら、いくら意気投合した相手であっても、互いに重なるものなど、十もないのではないだろうか。
私に一番近い他人といえば、妻だが、彼女と考え方が一致することなどそんな程度だ。
それでも他の人よりは一致することが多いかもしれないが、それは単に運命共同体として生きているが故であって、その関係が崩れるようなことがあれば考えが一致することはほぼゼロとなってしまうだろう。

ここでいう考え方、というのは価値感、という言葉に近いかもしれない。
価値観という言葉は個人レベルから国家間レベルまで幅広く使われている。

 共通の価値観に基づき、両国の関係をより強固なものとし・・・

などという使い方をされるが、この場合共通の価値観が一体何を指しているかはあまりよくわからない。
日本が考えていることと相手国の考えが真逆の解釈が可能だということもあり得る。

そこで大事なことは個人レベルでも、国レベルでも、自分の考えを相手に押し付けるということは慎まなくてはならないということ。
自分では相手が気がついてないことを知らせ、良い方向に導いてあげようという親切心からそうしているのかもしれないが、別の言い方をすれば相手への考えの押し付け、お節介でしかない。
仕事で同じ職場の人間になにか注文をつけるのであれば、それは同じ運命共同体に属する自分にも関係していることなので、仕方がないところがあるが、そうでない関係、たとえば友人の場合は気をつける必要がある。
人間は神様ではないので、相手がどんな考え方を持っているかなどわからない。
自らの意見を表明するときは、他人は自分とは異なった考え方を持っているということを前提とし、それが押しつけにならないよう注意しておく必要がある。
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