こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

私にとっての結婚の意義と「こどもまんなか社会」

2022年12月12日 | 生き方について考える
昨日の午前中の掃除のせいで、右腕と腰と尻が痛いがおかげでぐっすり眠れた。
夜中起きても、サッカーはやっていないので、ちょっとテレビをつけるというようなこともなかった。
今朝も冬の青空で寒かったが、気合を入れて仕事に出てきた。
掃除をひととおり終え、出し忘れていたお歳暮の手配に横浜まで出た。
デパ地下のレストランで少し遅めの昼食を妻ととりつつ、私たちの来し方行く末について話した。
こういう話になると、たいていは子供たちの話がでる。
息子も娘にしても私から見たら”普通”の人生を歩んでいるので、何か心配があるというわけではないが、それでも話すことはある。
そこから、少子高齢化社会のこと、自分たちの行く末についての話になる。

経済的な担保が将来的にどのぐらい必要かという話になり、子供を持ったことが良かったのかということになる。
若い人が経済的理由で子供を持ちにくい状況であるということについては、大いに同意する。
習い事をいくつかやらせたらあっという間に月に4、5万円はかかるし、私立の中学、高校に行かせでもしたら学費だけでも相当な額だ。
最近は行政からの支援が増えたが、そのほかにも物入りだ。
見栄を張るわけでもない、自分たちがやってもらったことを子供達にもしてやろうと思ってもそう簡単にはできない。
畢竟、子供など持たない方がいいとなるのも無理はない。

SNSで自分の人生を楽しんでいるようにみえる人を多く見ると、自分もそんなふうに面白く、映える人生を歩みたいとも思う。
時計の針を戻すことはできないので、いまさらどうしようもないものの、子供をもっていなければ、もっと二人で気楽な自由な夫婦生活を歩むことができたのではないかと考える。

妻は、子育てを苦労しながらも楽しんでいたが、私には苦労ばかりでだったような気がする。
子育ては私の、そして私たち夫婦の人生の中の半分以上を占めてきたように思うがそれが苦労の多いものだったとしたら、私は人生の半分以上を楽しむことができなかった、子どもたちによって楽しみを奪われてきたということになる。
こんな考え方は、私の人生に対して否定的すぎるだろうか。
今になっても、子供を持つべきだったか、よくわからない。

妻とそんなことを話したあと、

 では、この結婚もよかったのかわからない。

と、言ってしまった。
妻が、驚いた顔で、

  なにを言っているの?

と私の顔をまじまじと見た。

私は我に帰り、言ったことの重大さに気がついて、否定しその場を取り繕った。
妻は一応納得はしてくれたが、気にはなっただろう。
妻への愛情は変わってはいないものの、もし結婚しないでいたら妻に愛想を尽かされていたかも知れず、未だに続いていたかはわからない。
結婚は、人間のあやふやな心をある一点に固定してくれる強制力がある。

日本は今、未曾有の少子高齢化社会、人口減社会へとつき進んでいる。
岸田首相は、「こどもまんなか社会」の実現を表明した。
私たちは、若者が、子供を持つことが人生のリスク、結婚が人生のリスク、というような考えに陥らないようにするにはどうしたらいいかをもっと考えなくてはいけないが、懐疑的にならざるを得ないのは、人間社会が複雑化しすぎたからだろうか。
案ずるより産むが易し

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