こういうのを鈍色というのだろうか。
今日も晴れかと思っていたら、あにはからんやこんな空。
雨にならなければよしとしよう。
今週末は家を空けるので、娘たち夫婦が留守番がてら来てくれる。
国際結婚ゆえにいろいろ書類を整えなくてはならず、市役所に行くため先週末に出勤したのをずらしたらしい。
このところのニュースは米中の対立についてがほとんど。
ウクライナのゼレンスキー大統領までやって来た、G7広島サミットは中国の目には成功に映ったのだろうか、対抗措置をいろいろとって、ロシアなど友好国との関係をより緊密なものにしていきたいようだ。
米国は債務の上限問題とかでデフォルトの瀬戸際にあって、もしそうなったら世界が一体どうなるのかよくわからないのだが、多くの人はあまり考えたくないようで、マスコミからはこれに関する一歩踏み込んだ論評はあまり聞こえてこない。
米国と中国の在り方というのを考えると、米国は自国内が平和でありさえすればどうでもいい国、中国は狭くてしょうがないから拡大を考える国、というように見える。
米国は豊かな国土をいかに守るか、そして既得権益を奪われないようにするためにはどうしたらいいかということを考えていて、9.11のような、それが脅かされるようなことがあったら過剰なまでに反応する。
中国は、もう3000年以上拡大路線をとりつづけているが、どこかの時点で自壊して元のところに収まる。
あとは言葉の壁も大きいに違いない。
結局のところ中国語の範囲というのをいかに広げようと思っても限界があるのだろう。
バベルの塔を作った人間に対して神様が怒って言葉を乱したというが、ある意味その慧眼があってこそ今の世界秩序が保たれているのかもしれない。
バベルの塔に匹敵するものは現代社会にあるだろうか。
オープンAIはもしかしたら、そうなるかもしれない。
オープンAIというものは、別に今に始まった技術ではなく、ある意味産業革命が起こってから、いや、そもそも石器を得てから、ここに至るまでは既定路線だったかもしれない。
オープンAIについてはG7広島サミットでも議論されたようだが、誰も明確な答えは出せないだろう。
そもそも規制すべきなのかどうなのかもよくわからない。
真の意味の人工知能がいよいよ現実化されるようになって議論を始めているという時点で、もはや手遅れかもしれない。
だが、大切なのは人間が自分の頭で考えること、五感を常に研ぎ澄まし、肉体を使うということをやめてはいけないことだと思う。
紙と鉛筆を使おう
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