こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

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普通の学校の勉強だけでは東大に行けないのはなぜか・・・学校教育(1)

2013年09月19日 | 日本のこと、世界のこと
先日、言語教育について考えてみたが、そもそも今の日本の学校教育というのはわれわれ国民にとって有意義なものとなっているのだろうか。
言語教育についてはよく、
「日本人は中学、高校と6年間英語の勉強をするのに、マスターする人はかけた時間に対して極端に少ない」と言われる。
言葉なので、英語を話す機会が無ければマスターできるわけが無いのでこれは仕方ない。

では、ほかの勉強はどうなのだろう。

東大とか国公立大学の医学部に進学する人のなかに、私立学校の生徒が占める割合は極めて高い。
開成とか灘は学費も馬鹿にならず、どの家庭もがおいそれと進ませることはできない。
ずいぶん前から、東大生の親の年収は一般家庭のそれより高い、ということがいわれていたが、これが、教育格差である。
こういう、私立上位校がいけないというのではない。ただ、東大とか国公立大学医学部のレベルがおかしな具合で高すぎるのではないかと思うのだ。
普通の、といったがこれは近所の公立小学校、中学校、高校をさしている。こういったコースで大学受験に挑んでもなかなか難関大学には入ることができない。いわゆる私立中高一貫校に入ることが難関大学進学の第一歩となっている。
これは不公平、というかおかしい。

個々人の”勉強”の能力に差があるのは仕方ないが、一発(センターを入れれば2回だが)の入試で決まるような選抜というのはどうなのだろう。
みているのは本当に”勉強”の能力だけで、それぞれの人間としての総合的な能力はみていない。

ごく少数の天才を除けば、勉強する能力というのに、それほど差はないように思う。
勉強するという行為に対する向き不向きで、入試の点数の差が生じているに過ぎない。
せめて、勉強することに向いている人の間にはこのような差を生じさせないで欲しい、すなわちある程度のレベルの学校に入れば、そこでの勉強を真面目にすれば、難関大学に進学できるようになって欲しいと願うのだが、これはおかしなことだろうか。

ここ数年、都立高校をはじめ、一部の公立高校の躍進がみられるが、これは、学校の勉強だけで頑張っていることのあらわれのような気がして、うれしい。
公立中高一貫校にしてもそうだが、公立高校などに進むにしても、最終的には塾に通わないと入れない、というようなことにはならないで欲しい。

東大でも推薦入試が導入されるそうだ。教育現場の人たちのなかには危機感を持っている人はとても多いのだろう。
日本の将来は、少しでも優秀な人間を育てていくことかかっている。そう、考えて子供達を育てていかねばならない。