こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

失くし物は幸せの青い鳥のようで

2018年01月16日 | 日々思うこと、考えること

最近、あれこれのことに対する注意力とか記銘力が落ちているとよく感じる。年齢のせいだとは思うけど、慌てないように一つ一つを丁寧にしたらいいのに、それができていない。昨日なんて怖くておかしな夢をみたのだから気をつけようと思っていたのに1日の終わりに失敗が待っていた。

 

 

昨晩の帰宅時、下の横須賀線で座ることができ、座ってすぐにマフラーを取った。1時間近く乗っていると途中で気持ちが悪くなるからで、マフラーは膝掛けに変わる。昨日使っていたマフラーは極寒用の大判のもの。10年か20年前に義母が誕生日プレゼントでくれたものだった。うつらうつらしているうち、気がついたら大船を過ぎていた。慌てて降りる支度をするが車内は結構混んでいる。そうこうするうち鎌倉駅についてしまって、マフラーを巻く暇がなく、仕方なく手に持って降りた。鎌倉駅まで妻が車で迎えに来てくれていたので、私の帰りに時間を合わせて同じ列車に乗って来た娘とともに車に乗り込んだ。車を降りて家に入ったところで、マフラーがないことに気がついた。車の中に忘れて来たと思い込み「どうしよう?」と妻に相談したら、「明日の朝行くときででいいじゃない」ということで昨晩はそのままにした。

 

ところが今朝、送ってもらおうと車に乗ったら、無い。車の外にあるということ。そうなると、鎌倉駅で横須賀線を降りてから車に乗るまでの間に落としたということになる。まずは、鎌倉駅で確認しろという妻の指示に従って、駅員さんに聞いてみる。遺失物の確認をしてもらったが、そのようなものは届いていない、とのこと。とりあえず次にやって来た列車に乗って、どうしたものかと気を揉んでいた。温かくていいマフラーだから、いいと思ったら持って行っちゃう人もいるだろう、もう出てこないかもしれない。早くもマフラーにまつわるいろいろな思い出が蘇って来て、少々涙目になる。そんなところで妻から写メがきた。

 

 

植え込みのところに畳んでおいてあったという。どうやらどなたか近所の方か新聞配達の人かが拾って置いてくれていたようだ。まったく幸せの青い鳥だ。

 

こういう失敗をすることの原因が年齢による脳の機能が落ちているためというような錯覚に陥るがそうではないと思う。膨大な経験が脳の皺に刻まれていて、「こうしよう!」と考えた時に、「ついでにこれも」とか、「それならこれも」だの、いろんな指令があちこちから一遍に出てくるためだと思う。敢えて歳のせいにするならば、欲張りになったからとでも言えるだろうか。

 

昨晩であれば、「電車を乗り過ごさないように降りる」「早く目を覚ませ」「コートのチャックを閉めろ」「マフラーを首に巻け」「ヘッドフォンをしまえ」「定期を準備して」などというのが一遍にきて一気に忙しくなったところで、「マフラーを首に巻いている暇はないから手に持って」ということであたふたしてしまった。階段を下りながらマフラーをカバンにしまうか、手に持ったままにするか悩みながら改札を抜けたあたりで、マフラーについての記憶が途絶えた。取り敢えず車に乗って妻の顔をを見たらホッとしてしまったのだろう。

 

家に入った時に一度は思い出したけど、寒さのせいにして放っておいたのだから、怒ったマフラーに私が懲らしめられたのもわかる。

 

一つ一つを丁寧に

 

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嫌な夢、でも夢でよかった気をつけよう

2018年01月15日 | 日々思うこと、考えること

嫌な夢を見た。いわゆる凶夢。

そんな夢を見たのは、仕事のことが気になるからなのか、かつての同僚が活躍していているのを新聞記事の中に見つけたからなのか、久しぶりにピンク・フロイドを聴いたからなのか、それともWOWOWで観た踊る大捜査線をみたあと織田裕二主演の監査役野崎修平の中で暴力を振るうシーンを観たからなのかはわからない。たぶんいろんな原因が重なり合ってそんな夢を見たのだろうと思う。

凶夢をみた日はとくに気をつけた方がいいらしい。

仕事にはいつも以上に細心の注意を払い、対人関係に気をつけ、身の回りのことにも気をつけて過ごそう。

凶夢は覚めてからも続く訳ではない。生活・言動に気をつけさせてくれる、気づかせてくれるという意味では吉夢に通じる。いい夢だったし、夢でよかった。

最近、少々お疲れ気味

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若さの馬力でがんばれ

2018年01月14日 | 日々思うこと、考えること

朝刊に昨日行なわれた大学入試センター試験の問題が掲載されていた。見開きで載っていた国語の問題を見て、30数年も前、当時は共通一次といわれていたこんな試験と2度も格闘したなんて、にわかには信じられなかった。

最近は長文が読めなくなっている。

最近買った新書ですら、なかなか読み進めることができない。新聞の書評欄もなんだか読むのが億劫になる。ブログだのツイッターだのしか読まなくなっているからだろうか。ニュースも新聞を取っているけど、ネットニュースの方が楽だ。

老化なのか、それとも私を取り巻く環境がどんどん変わってきて、それに流されているだけなのか。自信がなくなる。

共通一次の点数は浪人してもそれほど伸びず、結局私立医大に進み、現在に至る。

昨日今日の試験で人生が決まるなんてことはない、少々の失敗があったとしても若い力があれば乗り越えることができるだろう。

みんな同じように努力をしてきた、みんな同じように実力を発揮して欲しい。

頑張れ受験生

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少し早くに目が覚めて

2018年01月13日 | 日々思うこと、考えること

土曜日は電車のダイヤがウィークデイとは異なる。したがって、起きる時間も微妙に変える。土曜日はいつもよりも一本分遅い電車でよく、それに合わせてちょっと、ほんの10分、だけ遅く起きるのだけど、普段と違うせいかかえって緊張する。今朝など3時というなんとも中途半端な時間に目が覚めてしまい、その後しばらく眠れなくなった。

カーテンを開けて夜空を見ていたら、小さな光が南の空を横切ったので、ISSかと思って一瞬喜んだが慌てて起こした妻によればISSは北の空に見えるとのこと。どうやら夜間飛行の飛行機だったようだ。


眠れない間というのは色々考えてしまう。まずは迫り来る仕事のこと、週末のスノボバスツアーに出かけた息子のバスが事故にあったりしないか、両親のこと、自身の老後のことなど、あれこれの不安が取り留めもなく次々と頭に浮かんできて、どんどん目が冴える。過去やらかしていまだに後悔していることまでも浮かんで来る。一つを忘れようとしても別の思いが湧いてくる。

どうも困ったと思っていたら、“不安とは実体のないもの、そんなものに怯える必要はない。もしどうしても不安が気になるようであればそれを取り出して見せてみろ”。という言葉が浮かんだ。


ああ、そうだった。どれもこれも、自分の頭でどんどん作り出しているだけのことじゃあないか。こういうことを考えること自体が馬鹿馬鹿しいことだと気がつき、考えることをやめてみたらホッとしていつの間にか寝入っていた。

たぶん1時間ぐらい起きていたと思うけど、今日の仕事には差し支えないだろう。

今朝は氷点下

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犬とaiboとオキシトシン

2018年01月12日 | 犬との暮らし

ソニーが犬型ロボットアイボの新型機種aiboを開発発売した。マスコミはこぞってソニーが以前の楽しかったソニーに戻るといって喜んでいる。初代ウォークマン世代のコロ健もとても嬉しい。発売日がワンワンに合わせて1月11日というのもベタで良い。初代アイボAIBOが出た時に、似たような形をした犬のおもちゃが大量に作られて我が家にも一匹いたのを覚えている。伸びをしたり、目の色がピカピカ光ったりしていたのを今でも覚えている。機械であっても形が生物に似れば魂が宿っているように見えたのだから不思議だ。

犬に限らず、ペットを飼うことは飼い主にとっていいことが多いらしい。ペットには飼い主の運動不足解消など色々仕事がある。最近明らかになってきたことに、犬と見つめ合うことで飼い主にも犬にも愛情ホルモンといわれるオキシトシンが多く分泌されるということがあるそうだ。これはアニマルセラピーにも有用で、ナイト(と妻)の老健施設への慰問という仕事もそんな効用のあることだということだと推測される。aiboにはAIが搭載されているそうで、そのうち、どうしたら飼い主のオキシトシン分泌を亢進させられるかなんていうことを考えるようになったら面白い。

aiboの値段は19万8千円だそうだ。餌代や予防接種代とかのコストを考えると犬を譲ってもらうよりはるかに安い。我が家にはコロとナイトという2匹の犬がいるので、しばらくはaiboを購入する予定はない。でも、二匹とお別れしたのち、私たち自身の足腰が弱って、犬を飼っても散歩に連れて行ってやることができなくなった頃には購入してもいいだろう。その頃には、物忘れのひどくなった飼い主の身の周りの手助けをしてくれるようにもなるだろう。愛犬の仕草を教え込ませることもできるようになっているかもしれないから、いまのうちにコロやナイトの元気な姿を動画で留めておいてもいいかもしれない。

コロもナイトも歳ですし

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年明け早々の残念な事件、事故

2018年01月11日 | 日々思うこと、考えること

年が明けてわずか10日のうちにこれほど多くのことが起きたり明らかになったり。

記憶にとどめておきたい件をいくつか残しておく。

1)成人の日に起こった着物のレンタル・着付け業者の(おそらく)詐欺事件。全容は明らかになっていないけれど、若者の心と将来と思い出を踏みにじった行為はまったく許せない。日本人女性にとってはそれこそ一生に一度の晴れの日なのにと思うと涙が浮かんでくる。成人式などやらなきゃいい、とか晴れ着なんて着なければいい、などというのはここではナンセンスな意見だ。

2)カヌー選手による薬物混入。正々堂々なんて絵に描いた餅。ライバルを蹴落とすために怪我をさせたり、いじめたりなんていうのは当たり前で、今回はそれが薬物混入というかつては考えられなかった方法で行われたということで騒ぎになっただけかもしれない。実際陸上でも似たようなことがかつてあったらしい。もしかしたら、今トップアスリートと言われている人の中にも同じようなことをしてのし上がった人がいるかもしれないと思われてしまう世の中というのが残念だ。スポーツだけでなく、どこの世界でも様々な形での足の引っ張り合いがある。人間の欲望がデフォルメされた形で表出した事件だと言える。

3)政治的な問題ついては、いろいろな考え方があるので私はあまり触れたくないのだが、慰安婦問題に関するニュースを見るたびに思うのは、日本がかつて欧米列強と結んだ不平等条約といわれるもの。一度結んだ条約は他国からみたら、幕府だろうが明治政府だろうが関係なかった。約束は約束だ。だから政権が変わったばかりで韓国が打ち出した慰安婦問題についての新方針というのは理解できない。一旦は合意した国家間の約束を反故にするということがどれほど重要な信用問題であるかということは韓国の首脳は理解しているのだろうか。

4)高齢者による自動車事故が後を絶たない。前橋では85歳の男性が高校生二人をはねて大怪我を負わせたという。私の父も車の運転を続けていて、なかなか止めようとしない。この前、はっきりと止めるように言ったが、生返事。果たして私の言うことを聞いてくれるか心配だ。この事故を引き合いに出してもう一度言ってみよう。

氷山の一角か

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タイムアップはもうすぐそこに

2018年01月10日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

年末年始とそれに続く研究会と娘の成人式のバタバタもなんとか乗り切り、入院中だった親戚も無事退院した。仕事もまあ、ぼちぼち始まった。

”ぼちぼち”というのは、オペ室が年明け早々から全開で、病理の診断件数も多くなっていてちょっとしんどい。昨年、オペ室が新しくなって部屋数も増えているので、当然と言えば当然なのだけど。

気がつけばもう今日は10日。1月の3分の1が過ぎてしまった。今月末が締め切りの原稿と抄録が二本あって、来月には別の研究会での病理プレゼンもある。何をするにしても、まずはネタ、というか知識を仕入れてからでは始まらない。ロートル病理医の思い出話など誰も聞きたいと思わない。

ということで、原稿書きとそのための勉強に時間を充てなくてはいけない。ブログの時間もある程度は削らないと。

あせらず急げ!

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親としてやってきたこと、やれたこと

2018年01月09日 | 家族のこと

娘が昨日成人式を迎えることができた。

幼稚園に行っていた頃、落花生(ピーナッツ)アレルギーがわかり、アナフィラキシーショックを起こす可能性があると、同僚の小児科医に言われた。ショックを起こしたら命に関わるから、20歳までは生きられないかもしれないとまで言われ、妻と私は呆然とした。それまでは笑顔の多かった子だったが、エピペンを常時携帯し、親子で原材料の表示にピーナッツがないかを探すようになってからは笑顔はずいぶん減った。その頃は今のように3大アレルゲン表示などという考え方そのものがなく、飛行機の機内ではピーナッツ入りのスナックが平然と配られていた。最近では、店頭に食材の表示をするのが当たり前だけど、ほんの数年前まではそんなこと全くなかった。娘が軽いアレルギー反応を起こしたときに、製造元に問い合わせたらやっぱりピーナッツが入っていて、それを表示することをお願いしたら、小さな会社でパッケージを変える余裕などない、勘弁してくれ、と言われた。大手の外食チェーンでも同じような対応をされたことがあった。今ではそんなことが嘘のようだ。

妻はエピペンを学校に置いてもらうことを学校や教育委員会に掛け合い、通っていた鎌倉市の公立小学校の校長先生は何かあったら使いますから、と約束してくださるようにまでなった。新聞にも投書し、取り上げてもらったこともあった。さらに、その投書に関心を持ってくれた記者が特集などを組んでくれて、アナフィラキシーショックのことが段々と知られるようになった。その間にも川崎市で小学生がアナフィラキシーショックで亡くなるという悲しい事故があったりもした。

私立の小学校にやろうとしたら、この学校は小さな学校なので、もし何かあったら生徒募集に差し障りがあるので入らないでくれと、言われた。中学受験でも、そのことを言った途端に入学しないでくれ、責任は取れないと断られた。私の勤務先の病院の宿舎にでも住んで、そこからすぐの学校にでも通ったらいいのではないか、などということを言う教育関係者もいた。世の中、こんなことではアレルギーのことを隠して生きる人が減らないのは仕方がない。唯一、娘を引き受けてくれた学校から合格通知が来た時に、妻が「アレルギーのことがありますが、入らせていただけるのですか?」と校長に直接話したら、「神様の前では皆平等です」と言って入学させてくださった。もともと食育に力を入れている学校ということも助けになった。昨日、娘が学校に挨拶に行ったら、教頭先生がいらして、「よかった、よかった、おめでとう。ご両親に感謝しなさい。お父さんはあなたが入学してすぐに職員会議で、アナフィラキシーのことを説明してくださったんだよ」と娘に明かしてくれたそうだ。林間学校だの、部の合宿にも本人にはわからないようについて行って、近隣の救急病院に何かあったらよろしくお願いしますとお願いして回った。その度に、それらの医療機関、救急隊の方たちは快く返事してくださった。何よりもいつも気を配ってくださった先生方、関係者の方々には感謝しか言葉はない。

地道な減感作療法が効を奏したのか、高校生の半ばごろにはアレルギー反応を起こす可能性は相当低くなった。積極的に食べることはしないが、誤って食べても重篤な症状とはならないようになった。大学に入ってからは山ガールとなって3千メートル超の山に登り、大学のプログラムを利用し、ベナンとか中国に行っているが、とくに問題は起こっていない。全くたくましくなったものだ。

息子と娘、子供二人が成人するまで面倒を見てやることができた。その時々にあたふたしていたことだけは覚えているが、親として子育てに何をしてきたのかあまりよくわからない。子育ては私たちだけでやってきたのではないのはたしかなこと。親としてやるべきことというのは、子供が育っていくための様々の環境を整えてあげることしかできない。そして、その環境とは、お金をかけた教育とか贅沢をさせてやるということではなく、その子を共に育んでくれる、ある意味子育てのためのリスクを取りに行くことを厭わない大人へと導いてあげることかもしれない。社会全てが子育てをする、というのはそういう意味だと思う。

少しでも多くの大人が子育てに関心を持って、子育てをする親に手を差し伸べる社会。私もそういう社会を実現させることの手助けのできる大人でありたい。

自分の親への感謝も忘れず

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WEBを使って研究会議

2018年01月08日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

娘を成人式に送り出したあとは、WEBを使っての班会議。自宅からの参加だ。この形式の会議、先日はGoogleのハングアウトを使って行ったのだけど、今回はCisco WebExというウェブ会議用のシステムというかアプリ(こういうのをどう表現していいのかわからない)を使った。画像は鮮明で、音声も良く聞こえる。最初、音声のコントロールをどうしていいかわからなかったが、あちこちいじっていたら無事使えるようになった。パワーポイントのスライドショウも全く問題なかった。テレビ会議なんて、大したことはできないと思っていたが、想像していた以上のものだ。まったく、世の中どんどん進歩する。出席者の一人の先生が言っていたけど、臨場感には欠ける。メンバーは一度は顔を合わせているので、よそよそしさはなかったけど、これがいきなりだったらどうだろうとは思う。参加は12,3人だったと思うが、自宅と思しき部屋から参加していた人が7割ぐらいだった。立派な書斎みたいなところからの先生もいたが、私なんぞはドアを背中にして室内が映らないようにするのが精一杯だった。

そのうち、一家に一部屋ウェブ用部屋みたいなのが、風呂・トイレのほかに標準装備になるかもしれない。

朝は、こんな美しい空だったけど、美しい朝焼けの日は天気が悪いという通り、午後からは大雨となった。

晴れ着姿の娘はギリギリ小雨のうちに帰ってきた。妻が2往復、私も1往復美容室だの駅だのを車で送迎した。

早速見せてくれた会場前で撮ったという友達との写真は楽しそうでよかった。もう、顔はすっかり大人になっていた。

振袖姿の娘とは先日写真を撮っておいたので、玄関前のポーチで一緒に写真を撮った。

あとは自分で頑張れ!

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あしたは天気になってくれ

2018年01月07日 | 日々思うこと、考えること

研究会二日目。今回私の出番はなく、勉強しただけだったのだが、特別講演に電子顕微鏡の話などあり、結構頭を使ったので少々疲れた。体調も今ひとつのままで、今日は質問に立つ気力も無かった。研究会は午後2時には終わったので、大急ぎで鎌倉に帰った。でも、市内は初詣の人でごった返していて、小町通りなど人で膨れ上がっているようだった。15日の左義長までは混雑が続く。


今日は昨日と同様いい天気だったのだけど、半日以上部屋の中にこもっていたのでお日様の光の恩恵をこうむることは残念ながらできなかった。ところでその天気、今夜から崩れるらしい。明日は娘の成人式。お湿りはあっても、できたら晴れ着が汚れるようなことがない程度だといいのだが。

夜半には雪との予報

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やや体調不良

2018年01月06日 | 日々思うこと、考えること

今年、最初の研究会。会場はやっぱり都内。いつかは鎌倉で主催したいのだけど、それでは参加していただく方の迷惑になるような気がして、なかなか手を挙げられないでいる。それに、勤め先ではなく、自宅の近所でというのも気がひける。
初日の今日、セッションそのものは午後からだったのだけど、世話人会というのがあって午前中に行った。とはいえ、日が高くなってから家を出たのでいつもよりはずいぶん楽だった。陽の光は元気が出る。


今日は朝から少し調子が悪かった。鼻はグズグズするし、お腹もゴロゴロ。風邪をひいてしまったのかもしれない。1日、ベランダでナイトと一緒に日向ぼっこしていたら体調も元に戻ったのにと思うと、研究会が少し恨めしい。
お腹の調子が悪いのは、昨日からの地震続きで眠りが浅かったのも原因かもしれない。昨日、あまりにも唐突に鳴った緊急地震速報の警報音を聞きながら、次またあんな巨大な地震が身近に起こったら諦めるしかないだろうと感じていた。昨日のも誤報とは言うが、富山と茨城でほぼ同時に地震が起こったわけだし、未明の地震もあった。日本に安心していられるところなどないと、つくづく思う。


研究会は明日もある。今日は議論百出、不肖コロ健も質問を2つほどした。最近は、質問、というか発言の質が変わってきた。勉強不足を隠しているような気もするけど、話題提供も大切だ。そもそもこの研究会はコロ健のサブスペシャリティーの分野に関する研究会。以前は病理医だけであーだこーだ言いあっていた、ある意味ディープな会だったのだけど、紆余曲折を経て臨床医の先生にも参加していただくようになって、内容自体が変質してきている。その是非はともかく、スペシャリストたるもの、どんな状況でも対応できなくてはいけない。そして、医学研究は医学のためにあるのではなく、いつも病める人のためにあるということを忘れずにやっていきたい。

明日は朝が早い。楽しい懇親会は一次会で切り上げ、早めに帰って休むことにした。

好天は明日まで

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仕事がぎゅうぎゅう

2018年01月05日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

これじゃあ、まるでパンドラの箱だ。

仕事始めの昨日、改めて仕事を整理してみたら、とんでもないことになっていた。まずは、返事を出し忘れていたメールに返事を書いて、あとはすっかり忘れていた原稿の算段をし、学会の抄録の準備も始めた。

オペ室は休み明け初日から全開。昨年末、新棟に移ったが、いよいよ本格稼働だ。ひっきりなしに迅速診断の依頼がやってくる。昨日は迅速当番ではなかったけど、自分の当番日には一体どうなることやら先が思いやられる。

とはいえ、仕事があるのは幸い。病理診断を求められるということは、病理が頼られているということ。

ものは考えよう、ポジティブシンキングでいこう!

下手に、緊張せず、一つ一つの仕事を片付けていけばいい。全て片付けたら、そこにはいいことがあるに違いない。

年賀状も

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まずは新年のご挨拶から

2018年01月04日 | 日々思うこと、考えること

寒いなー、ぶるぶる。

家を出るときの車の温度計は0度。こんなに寒いのに毎朝駅まで、嫌な顔一つせずに送ってくれる妻に感謝する。それにしても、子供たちが小さかった頃には真冬も自転車で通っていたことが嘘のようだ。

ホームで電車を待っている間にも体温がどんどん奪われていくような気がする。でも、顔見知りの人がちらほら同じドアの列に並ぶ。売店のお兄さんは今日も短パン。私もシャキッとしないと。

このお正月、お見舞いで何度か東京まで行ったので、鎌倉ではあまりゆっくりはできなかったけど、長い人生こういう年もある。おかげで、というと変な話だけど、家族と一緒にいる時間はかえって長くなったような気がする。

あと数年で、子供達も家を出ていくのだと思うと、一年一年が貴重なものに感じられる。

今日からまた仕事。暦通りに休めるようになったのは、今度の職場が初めて。せっかく時間ができたのだから、家でできる仕事を頑張ればいいのに、それはできなかった。ならばリセットできたのかと思ったが、初夢がCPCの夢では今ひとつだ。

そうはいっても、体を休めることはできた。充電完了というところ。

さすがに頭はスッキリしている。さっぱりした気分で仕事に臨める。車窓から夜明けの富士山と大きな月を拝む。

まずは、職場のみんなにきちんと挨拶することからはじめよう。一年の計は元旦、すなわち職場でいえば仕事始めの今日にある。

感謝の言葉とともに

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初夢はCPC(臨床病理検討会)

2018年01月03日 | 日々思うこと、考えること

初夢はCPC(臨床病理検討会:Clinico-Pathological Conference)であたふたしている夢だった。



昨晩、NHKのブラタモリ+鶴瓶の番組で、一富士二鷹三茄子の話をしていたので、てっきりその夢を見ることができるだろうと楽しみにして眠ったのだが、あに図らんや、CPCの夢となった。それも準備不足であたふたした夢。そもそも仕事の夢をみるなんて、仕事がストレスになっている現れ。それが初夢なんて全く残念だ。症例は、今懸案となって私が抱えている症例の問題点が複合していた。担当の臨床医は優秀なんだけどやる気がない。やることだけやったのだが、色々と残念です。という態度に腹を立てていたら目が覚めた。

まったく、今年のスタートは・・・。

ということで、別の神社にお参りした折にもう一度おみくじを引いたら中吉だった。

”願い事”は「順調に運ぶ、急ぐべからず」とのこと。今はあせらず 落ち着きが肝心 あせるまいぞ。

これなら、頑張ろうと思える。ちなみに、息子と娘は大吉で、大喜びだった。

さあ、明日から仕事再開、頑張ろう。

気分が良くなることだけを考える

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箱根駅伝と年賀状

2018年01月02日 | 日々思うこと、考えること


昨日は正月のささやかな行事のおかげで少し疲れた。昼間飲めなかったお屠蘇の残りをちびちびやっていたら、いつの間にか寝てしまった。こんな時、わが家にこたつをおける和室を作らなかったのが悔やまれる。

朝起きたら、8時過ぎ。居間に下りてテレビをつける。箱根駅伝の先頭はもう多摩川のすぐそば。神大(神奈川大学)と東海(大学)が頑張っていた。駅伝の中継を聴きながら年賀状を書く。宛名印刷のソフトが壊れてしまったので、いただいた年賀状に返事を書くかたちとなった。

ナイトが横で日向ぼっこしていた。

今度の職場は年賀状自粛なので、少々遅くなっても許させるだろう。明日、また何通かいただくだろうが、用意したよりは少なくなりそうだ。投函がてら鎌倉郵便局まで散歩した。

帰りに小町通りを歩いたら、ものすごい人だった。通り抜けるのは早々に諦めて若宮大路に戻った。ちょうど、鶴岡八幡宮に夕日があたり、美しく照らし出されていた。

少しだけ日が長くなった。

今夜はスーパームーン

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