こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

暇そうだけど忙しい台風14号と病理医の仕事

2021年09月15日 | 日々思うこと、考えること
 台風14号は東シナ海で相変わらずじっとしている。週末まで動かないようで、ずいぶん暇そうだ。台風がじっとしているというのはおかしな感じだが、別に暇にしているわけではないだろう。

 コロナ禍のせいで去年は学会とか研究会といったものはほとんどなくて、ある意味暇だった。先週、先々週と専門領域の研究会があったが、それらは毎年8月の末に開かれていた。やはり今の時期に開催される病理の講習会もなかったので、その講師というのもなかったが、今週末にはしっかりある。止まっていた時計がまた少しずつ動き出したようだ。この、一見暇そうに見える時間を大事に使って飛躍に結びつけた人は少なくないだろう。

 忙しいというのはどういう状況をいうのか。ブロ友のある作家さんも、部屋に閉じこもってばかりで暇そうに見えるがあれやこれやと頭を酷使して大忙しだと書いていた。私と同様、仕事中はじっと机だとか顕微鏡にしがみついているだけなのに忙しいというのが共通していて面白い。病理診断科の仕事部屋からほとんど出ることのない病理医なんていうのは、病棟を駆け回ったり、急患対応をして座る暇もないような臨床医に比べれば石像のように見えるかもしれない。でも忙しい。実際のところ、病理診断の件数も伸びていて、今日診断した症例の提出日は去年だったらちょうどひと月先だった。年末には一体どうなっているか少し心配になるほどだ。

 こうして考えてみると、忙しさというのは物理的な問題ではなく、個人個人の精神的な、考え方の問題にしか過ぎない。だとすると、”自分は忙しい”と追い込む必要はないし、ましてやそのことをアピールする必要もない。私の場合、仕事に追い立てられると、そのことを周囲に言ったり、このブログに書いたりする。それはたぶん追い込まれてパンパンになってしまった精神の悲鳴とガス抜き、といったところだろう。忙しくても、そのことを口に出さずに日常を淡々と進めていく人というのもいて、わたしもそんな風になれたらいいと思う。
生き方は様々

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自由と義務とワクチンと

2021年09月14日 | 自然災害・事故・感染症
 曇りらしい曇り。東シナ海で足踏みしている台風14号、2本の偏西風、そして前線と、いくつもの要因が重なり合っての結果が今日の空、あしたの空。今夜から雨模様となり、週末は大荒れの予想だそうだ。雨続きは勘弁してほしいが、なかなか人間の思い通りにはならない。

 日本国内で新型コロナウイルスワクチン接種完了者の割合が50%を超えたそうだ。3月ごろ、医療従事者ですらなかなか受けることのできなかったことを考えると、ものすごい巻き返しだ。これはファイザーの最高責任者に直談判した菅総理の功績だ。ほかの人だったらあんなことできなかったのではないだろうか。新規感染者数も東京で減少し続けているとのことで、緊急事態宣言を今月いっぱい続けたら100人台まで抑え込むことができるのではなかろうか。それで、11月からワクチン接種証明書の利用による経済活動を再開したら、状況も上向くような気がする。

 ニューヨークでは、ワクチン接種証明書の提示要求を義務化 違反には罰金ということになったらしい。昨日のエントリーでも触れた通り、フランスではワクチン接種証明書について賛否が分かれているそうだ(ワクチン接種証明書の是非で分断進むフランス)。自由を標榜するこれらの国で新型コロナウイルス感染症感染拡大とワクチン接種とがせめぎあっている。おそらく、ワクチンを接種した人であっても、このようなことは私権制限につながると懸念しているのだろう。

 行動する時に何を起点とするかは人それぞれだ。人権を起点にするにしても、新型コロナウイルスに感染したらある程度の人は重症化して亡くなる、と考えるとき、その亡くなる人の命は、個人の自由に優先するのかということに突き当たる。ニューヨークにしてもフランスにしてもそういう観点で、ワクチン接種証明書の利用を推進することにしたのだろう。イギリスに留学中の娘がこの夏休みにイタリアに旅行した時には、レストランでワクチン接種証明書の提示を求められたそうだ。だから、店内で撮った写真にマスクをしている人がいなかったのだ。ワクチン接種が未来永劫万能ではないにせよ、新型コロナウイルスの感染拡大はどこかで平衡点に達するだろうから、それまでの間、妥協点を探していくことが人類一人一人の義務であると考える。
なぜ抑えこまなくてはならないのか

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今週は忙しいので頑張ろう

2021年09月13日 | 日々思うこと、考えること
 薄曇りだが、大船の手前からは富士山のまだ黒っぽい姿が見えた。じめじめして気温の上がらなかった昨日に比べ、何度か上がって30度になるそうだ。
 今週の予定を見るとむちゃくちゃ忙しい。頑張らないと乗り越えられない気がするということで、今日はベタなタイトル。

 この場合の頑張るというのは一体何をいうのか。

 すべての仕事を手抜かりなく行うというだけで、十分頑張っている。質的に頑張るということだが、これに量が加わってくるともっと頑張らなくてはならない。そうはいっても、私の使える時間は決まっていて、1日24時間、今週いっぱいで160時間程度しかない。来週になっても普段の仕事はたくさんあるし、時間が余ったからといって、それで飲みに行くわけでもなく、他の仕事をするだけのことだ。

 ただ、4巻まで読みかけたレ・ミゼラブルの最終巻5巻を読む時間のないのは残念だ。そういえばフランスではワクチン接種や陰性証明提示の義務化反対 大規模デモが起こっているそうだ。さすがは自由の国というところだろうが、こと、新型コロナウイルス感染症に関しては、階級闘争とかそういったものではないので、反対のためのデモまではどうかと思う。接種を拒否する人は接種している人とは別の動線で動くという覚悟も必要ではないか。こういうことが社会の不平等だというが、たしかに一面ではそうかもしれない。でも、コロナを野放しにしておいたら死ぬ人は必ず出るので、多くの人の協力で抑えこまなくてはならず、そのことは社会の不平等とは違うものだと私は思う。人類の一員として、ワクチン接種に協力するということが必要だ。

スイッチオン

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天気予報がはずれて

2021年09月12日 | ガーデニング・菜園・花・緑
 天気予報では雨のち曇りといっていたが、結局1日降ったり止んだり。久しぶりの休みとなったので、朝から土いじりをしようと意気込んでいたのにと肩透かしを食らった。オーニングの下でクチナシ2鉢を植え替えたり、野菜を育て終わったプランターの土を再生させたりとか、ちょこちょこやった。
 ハンギングのヤシの繊維が小鳥とかリスに持って行かれてしまって、土がむき出しになっているのだが、その手当てまではできなかった。
 結局、雨のせいでほかにもそれほどやっていられず切り上げた。
なんだかんだで疲れてしまった

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お役御免といわれるときの気持ち

2021年09月11日 | 生き方について考える
台風14号の影響もあるのか、朝から雨が降ったりやんだり、さらには青空がのぞいたりしたりと忙しい。
妻も洗濯ものを干したり取り込んだりとかで忙しそうにしていた。
そんな姿を横目に私はウェブ開催の研究会に参加した。
臨床系の研究会なので、少しアウェイ感があったが、考え方の違う臨床医の発表を聴くのは有意義だった。

何年か前からこの研究会の世話人を仰せつかっているので、研究会に先立って幹事会というのがあった。
ポロシャツで参加したら、ほかの先生方の多くがワイシャツ、さらにはネクタイ姿でしまったと思ったが、時すでに遅し。
幹事会のメンバーのほとんどが大学教授で私のような市中病院から選んでいただいているのはほんの数名、こういうところで身だしなみの違いが出るのかと妙に納得させられた。
まあ、襟付きシャツであったのだから、良しとしていただこう。

先日、以前いた大学の上司であった教授(今は名誉教授)から、ある別の研究会の幹事を辞めてくれという連絡が来た。
もともとご縁の薄い研究会で、施設を移ってしまって私がその研究会に貢献できることはあまりないし、精神的に負担となっていたし、研究会からしてみると私がその場所を占めるメリットはほとんどなかった。
さらに私の後を襲うことになるのはかつての同僚で、幹事を辞めることに全く異存はなかったし、惜しいとも思わなかったが、ちょっと寂しくはあった。
こういう時の感情というのはどんなものなのだろう。

何もしない、というかできない人間がそこにいたら邪魔なだけで不要だ。
不要であることがわかっているのにそこにいたら、それは害悪以外の何物でもない。
それなのに、こういう時せっかく手に入れたのにもったいないと後生大事にその場所にしがみつこうとしてはいけない。
守らなくてはいけないものもあるが、そうでもないものもある。
そうでもないものはさっさと手放すべきだ。
さらには、多少惜しいと思えるようなものであってもより適任と思える人がいたら、その人に場所を譲るべきだ。
お役御免と言われる時はそれなりに寂しい思いをするだろうが、そうとばかりもいっていられない。
常に自分の力量を客観的に判断し、身を引くべき時にはそうできるようにしていたい。
しがみつかない

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あなたがその程度だからちょうどいいのよ

2021年09月10日 | 妻の名言
昨日の大雨のせいもあるのだろう、ちょっとジメジメしている。
目が覚めた時には雲に覆われていた空、家を出る頃には青空がのぞいていた。
天気予報では今日はいい天気になるとのこと、というかなって欲しい。
日照不足で発育が今一つのプランター菜園のナスやトマト、そして草花に光を!
少し暑さがぶり返してくるらしいので、久しぶりの半袖ワイシャツで出てきた。

このところ講演・講義の資料の締め切りが次から次へと迫ってきていて、アップアップだ。
このブログを書いている時間もないはずなのだけど、まだ書いていられるのだからそうでもないのかもしれないが、これはこれで頭の切り替えだからまあいいか。

頼まれた仕事を断らないというのは、亡くなった父のモットーで、それは私も踏襲している。

”一度断ったら、次は頼んでもらえないよ”

というのは、多分本当だと思っている。
そのせいで、父は膨大な仕事を抱え込んでいたが、なんとかやっていた。
父の足元にも及ばないが、私も分野は違うがあれこれ仕事を引き受けている。
だが、泥縄とも言える仕事の回し方には少々不満がある。

そもそも、それほどの力量がないのに、人様に読んでもらったり、聞いてもらったりすることをするなんてことはおこがましいと自覚している。
困るのは再度仕事を頼んでくる方で、なんで私なのだろう、とその都度思う。

 妻に相談したら、

”あなたが、その程度だから、いいんじゃない?”

と、教えてくれた。

 ”頭のいい人の話って、却ってわからないじゃない。
 それよりはあなたみたいなレベルの人の話の方がよくわかるのよ。”

私が凡庸であるからこそ、私が書いたり話したりする相手にわかってもらえるのだという。
知のトップクラスの人と話すには足りない力量も、私のレベルを求めている人もいるということだ。
確かに、雑誌にしても講演にしても、

 ”わかりやすく解説していただき、ありがとうございました”

と司会者に締めくくられる。
私が唸ってしまうような講演のあとで聞く賞賛の言葉とはほど遠い。

そんなふうに考えてみたら、これまでやってきたことを見る人はみていて、このような仕事であれば、あいつに任せようということになるのだろう。
確かに、私が受ける仕事は書き物が主体で、取りまとめとかそういったことはない。
それ相応のレベルというのがあるということだ。

ならばこの先も気楽にやっていったらいい。
私の力量に見合った仕事が周りの人に期待されていることだし、私もそれを続けることが無理がなくていい。

まずは力を自覚する

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東京2020パラリンピックがARIGATOであり、未来

2021年09月09日 | 日本のこと、世界のこと
 日照不足による野菜の値上がりをテレビニュースで報じているのを視て、レタスが手に入りにくと妻が嘆いていたのを思い出した。今日も結構な降りで、雨のち曇りが、一日中の雨になるらしい。南洋では台風14号も発生しているとかで気が気ではない。

 昨晩、NHKのクローズアップ現代を見ていたら、新装なった国立競技場のバリアフリー対策について取材していた。”目指せ!世界標準のバリアフリー 東京2020大会の先へ”というタイトルで、各種団体の意見も取り入れてバリアフリー化に取り組んだという内容だった。新国立競技場については、安普請で税金の無駄遣いだ、などと文句をネット上に書いている人がいたが、こういう事業費を含めての建設費と考えたら仕方のないような気もする。もちろん、それらが適切に使われたかの精査は必要だが。

 昨日のエントリーで、私は”さよならオリパラの夏”などと書いてしまったが、じつは”さよなら”なんかではなかったと反省している。国立競技場の目指したバリアフリーは、老若男女、障害のあるなしにかかわらないものであり、誰もが折々に直面する多くの問題に対する挑戦だったといえよう。駅のバリアフリー化についても取材していて、一緒に見ていた妻と、

「これから年を取っていく僕らには助かる世の中になるね」

と話した。

 バリアフリー化といっても簡単ではなく、例として点字ブロックの高さが車椅子の人にとっては気になるものだという話が出ていた。障害者と一概にいっても、十把一絡げにして言い訳ではない。少なくとも誰もが”老いによる運動機能の低下”を前提として、誰もが障害者になるということをもっと真面目に考えなくてはなるまい。東京パラリンピックは終わってしまったが、私たちは”さよなら”ではなく、その記憶をとどめ、余韻が消えないうちに新たな共生社会へと一歩を踏み出さなくてはならない。そのことを教えてくれたパラリンピックにARIGATOと伝えたい。
みんな老いる

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さよならオリパラの夏、そして第5波の夏

2021年09月08日 | 日々思うこと、考えること
 昨晩も涼しく、気持ちよく過ごすことができた。夜明けごろに目が覚めたので窓を開けて空気を入れ替える。そのあとほんの少し二度寝するが、うとうとしているうちにセミが鳴き出す。ところが今朝は静か。秋の虫も明け方には鳴き止むのでまったくの静寂が続き、そののちいつのまにかまた寝てしまった。あらためて起きて、新聞を取りに玄関に出たら一匹だけ蝉の鳴き声が聞こえた。夏の終わりはいつも蝉がパタリと鳴き止むことで知らされる。

 今年の夏は、東京2020すなわち、オリンピックとパラリンピックで過ごした人は多いだろう。オリンピックではスポーツの持つ力を見せつけられ、パラリンピックではさらに共生の意味を考えさせらた。誰もが周囲の助けを必要としている、そんなことを私たちは言葉として知ったのではないか。オリンピックが中止になっていたら、パラリンピックが中止になっていたら、私たちは何も考えるきっかけを持たぬままこの夏を過ごさなくてはならなかった。

 多額の税金が投入されることになってしまったようだが、延期の挙句中止になった大会としてよりも、あの時の感染症蔓延にも関わらず、感染拡大防止対策を十分に行うことで、感染拡大を最小限にとどめて開催した大会として歴史に名を刻んだと思う。100年後、オリンピック、パラリンピックが存続していたら、その時は、東京大会の文字を見て誇らしく思う人もいるのではないか。大会組織委員会、東京都の方々には労いの気持ちを送りたい。

 今年の夏は新型コロナウイルス感染症の第5波とともに過ごした夏でもあったが、オリパラが感染拡大を引き起こしたとはとても思えない。なにごとも叩くのは簡単だが、評価することも大切ではないか。物事の表層ばかりに心を奪われることは時として危ういことかもしれないが、素直に受け止めることも必要だ。大人であればいろいろなことを取捨選択し、裏を知りつつも表を認める、そんな勇気も必要ではないか。
大人でいようよ

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書いては消しの新型コロナウイルスワクチン考

2021年09月07日 | 自然災害・事故・感染症
 今日の記事、何度も書いては消して、書き直している。なんだか考えがまとまらないままアップすることになった。

 久しぶりの青空、昨日の雨のせいで道路は濡れているがすでに湿度は低くて気持ちがいい。窓を開けっ放しにして眠るわけにはいかなくなって、多少気温の高い日もあろうが、このまま秋へと進むだろう。昨日は30回目の結婚記念日。ずいぶん長い間一緒に過ごすことができてよかったと妻と互いに祝った。イギリスに留学中の娘からお花が届き、食事中には連絡が来て、しばし三人で話をした。
 娘は夏休みを利用して、友人のいるギリシャ、イタリアを旅行してきたが、旅行中新型コロナウイルス感染を気にするような話は聞かなかった。屋外ではマスクフリーだし、レストランと思しき所でもマスクをしている人はあまり見えなかった。各個人それぞれが感染防御対策を行いながら生きているのだろう。政府もマスク強制を緩め、もう個人の行動に任せるのだろう。

 どこの国も接種する人は6割程度で頭打ちになるそうだが、残るは行動制限しか感染拡大防止の手段がないのになんで接種しないのか理解に苦しむ。そういう人は自分以外の人がコロナフリーとなるまで待つつもりなのだろうか。若い人でもうちたくても打てない人がいるというのに困ったものだ。

 新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身会長がワクチンパスポート的なものを提案したのに対して批判が集まっている。攻撃している人の書き込みはいずれも批判ばかりで、建設的な意見とか対案など何もない。ただ、イライラをぶつけているだけ。もっと優秀な人に代われなんて言っている人もいるが、政治家じゃあるまいし、いったいどこにそんな人いるというのか?神頼みでもしたらどうだ?と言いたくなる。

 私の勤務先は病院一丸でコロナに立ち向かっている。もはや病理も無縁ではなくて、術中迅速診断の申し込みがあったが私がワクチン当番だからと日をずらしてもらうなんてこともある。臨床医にPHSで連絡を取ろうとしたら、コロナ病棟の当直明けで連絡がつかなかったなんてこともあった。ルーチンワークがどんどん圧迫されている状況でも、みんな仕事だから当たり前のようにこなしている。医療の逼迫はテレビをみてたらわからないはずないのにと考えながら帰路についたら、心無い人の存在がなんだか情けなくなってきた。

 黙って接種されろ、なんて押し付けるつもりは毛頭ない、接種されたくないならご自分だけはしないでくださってけっこうだ。エビデンスの低い言質をかざしてワクチン接種を受けようと考えている人の邪魔はしないでほしい。自分だけ黙ってワクチンの魔の手から逃げ、ひきこもり生活を送ってくれたらいい。世の中は分断化が始まっていて、マスクする人しない人、会食する人しない人、ワクチン接種する人しない人、そんなように分かれている。自分の居場所はどこなのかよく考えてから発言するべきだ。
いい加減アップする

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We The 15 を囲む勇気

2021年09月06日 | 日本のこと、世界のこと
 昨日で東京パラリンピックが終わった。

 東京オリンピックとあわせ、東京2020はやってよかったのではないか。あれだけ多くの人がこの日を目指して頑張ってきた、それを無にする必要はなかった。私にしても開催議論が色々あった時、スポーツエリートが自身のためにするものではないかという考えもよぎったが、その思いは見る者に言葉にできない力を伝える競技をみることで消えた。次は、国境を超えた応援ができるようになりたい。

 日本がコロナ感染者を出してまで頑張る必要があるあったかという人もいるだろうが、感染者数が減少に転じていることを見ると、感染の拡大と自己管理は無関係だった。

 パラリンピックをみて思い知らされたのは全ての人が平等であるということ。誰がエライとか、誰が優秀だとか、誰が素晴らしいとか、そんなこと関係ないんだ、人生なんて人それぞれでそれがその人にとって一番いいんだ、幸せなことなんだと教えてもらったと思う。だからこそ障害があっても、病気があっても、年老いても、そのことを受け入れ、そこからの人生を続けることの勇気を持つことの素晴らしさを学ばせてもらった。

 We The 15・・・世界人口の15%は障害者だという。でも、その人の両親、きょうだい、パートナー、子どもを加えたら、50%程度の人は障害者に直接関わっていることになるのではないか。そういう人が身近にいなくても街で見かけることで関わることだってある。障害者を見かけない、ではなく、障害者が社会に出てくることのできる世の中を築いていくことがひいてはすべての人のためになる。そんなことを考えた。
未来を考える

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今日もウェブで研究会

2021年09月05日 | 日々思うこと、考えること
 一日中うす曇り。空は時々明るくなったものの、家の前の道路がすっかり乾くほどにはならなかった。

 今日は昨日とは別の研究会で、またWEB開催。WEB開催のおかげでいちいち遠くまで移動する必要がないというのが何より助かる。来年もWEB開催にすると、来年の世話人の先生が挨拶で言っていた。年寄りにはモニターの方がスライドもよく見えるとも言っていたが全くその通りだった。家にいたおかげで休憩時間には息抜きできたし、昼休みにはコロの散歩に出かけることもできた。対面でないとなかなかライブ感がないが、ウィズコロナの時代に私たちは変わっていくしかない。
 それにしても演者のみなさんはよく勉強しておられて、大変ためになった。明日からの日常診療に役立つことは間違いない。それにしても気がつけば、演者は私より年下ばかりだ。これからもどんどん新しいことを教えてもらいたい。
 まあ、私も多少は勉強したということにはなる。
 10年か15年ぐらい前に、上の先生方から色々仕事を振ってもらって、あれこれ勉強していたが、ちょうど今はそういうバトンタッチの時期に来ているのだろう。私としては、自分がしゃしゃり出ることなど考えたりせず、むしろ自分からバトンを渡すことのできる人を育てていかなくてはならないと強く思った。もう少しの間は後進の指導、育成を行い、時期が来たら道を譲る、そんなことを上手にすることができたらいいだろう。
何をすべきか

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投げ出されてしまったこの国、国民

2021年09月04日 | 日々思うこと、考えること
朝から雨模様の涼しい日。
もうこのまま暑さは戻ってこないのかと思うと嬉しい一方で、ちょっと寂しい。

午後から研究会があり、久しぶりに発表もしたので午前中はちょっと緊張しながら過ごした。
発表では若干噛んでしまったが、馬脚を露わすことなくこなすことができた。

総理が昨日退陣することを決めた。
結局、官房長官時代と同じように、嫌そうな顔で人を睨みつけて、ディスカッションをすることのない姿勢を続けて終わってしまった。
一体何を考え、何をしたかったのかわからないまま、何一つわからないまま終わってしまった。
なんだか、この国そのものが投げ出されてしまったようで、残念。
与党も、総選挙の顔となる総裁選びはいい加減にはできないだろうし、そんな総裁すなわち総理候補をだしてきた与党をどう評価するかは私たち国民の選択にかかっている。
総理大臣を批判するだけでやってきた野党も、攻撃対象がなくなって肩透かしを食った形だろうから、選挙対策を立て直さなくてはなるまい。
選挙に行こう

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また重い仕事がまわってきて

2021年09月03日 | 日々思うこと、考えること
 雨続き。肌寒く、9月初旬というのにジャケットを手放すことができない。ただ、昨日は長袖にジャケットを羽織ったら少しだけ暑苦しかったので、下は半袖にして出てきた。

 数日前から動きがあるのは感じていたが、昨日私にとっては大きお役が回ってきてしまった。世間的に目立つような役回りではないのだが、誰かがやらなくてはならないことであり、かつまた私の能力に比して格段に荷の重い仕事だ。推してしてくださった方々は、私の一体どこを見ているのだろうと思ってしまう。ならば嫌なら嫌で断ったらいいのだが、それは逆に私を指名してくださった方々をがっかりさせることになって申し訳ないし、指名していただいたことをどこかで嬉しく思っている自分もいて、何とも嫌な感じだ。何はともあれお引き受けすることとなった。運悪く、このほかにもバラバラと仕事だの役職を依頼され今やテンパイ。

 あれこれの仕事を引き受けたところで、目に見える何かが生まれるわけではない。うまみがないので頼んでくるのかというとそうでもないのがこういった仕事で、評価が難しい。私としては、外部との連携が生まれ、自施設の意気も上がるし、なによりこの国の医療レベルの向上につながる。私がこの身を捧げることで、多少なりともそういったことができるのであれば”喜んで”とまではいかずとも、積極的に関わって貢献していくしかあるまい。それにどの頼まれ仕事も私一人でやってきた成果などではなくて、多くの先人友人同僚の助けがあって積み重ねてきたものであり、それらを無駄なものにしてはならない。

 それにしても、それらをこなす時間をどうやってひねり出したらいいだろう。とりあえずはブログを書く時間を半分に減らすことにして、ほかのことに充てようと考えている。
気楽に

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物語はいよいよ佳境に入ったが・・・2021年8月の読書記録

2021年09月02日 | 読書、映画、音楽、美術
 医局の机の窓の目の前には雑木林の面影が残っていて、休憩時間には緑を見て目を休ませている。そのうちの1本がしばらく前から茶色くなっていて、ナラ枯れ病ではないかと気になっていた。妻にそのことを話したら、事務に知らせたらどうかと言われ、まずは自分の目で確かめてからそうしようとしていたら、昨日その木のところがぽっかりなくなっていることに気がついた。妻は”気にしている人がいたのね”と喜んでくれたが、私もホッとした。実際ナラ枯れ病だったのかはわからないが、病院の周りには他にも同じような気がチラホラあって、流行っているのではないかと心配。鎌倉でも状況は深刻で、文学館の裏あたりにも茶色の木が目立っている。

 さて、レ・ミゼラブルはいよいよ4巻を読み終えた。このまま一気に最後まで読みたいところだが、もったいないというのと往復の読書時間を他に充てなくてはいけない状況になり、落ち着くまでお休みしようと思う。それに何より、これまでの4巻を熟成するのも大切だろう。

読んだ本の数:1
読んだページ数:545
ナイス数:32

第四部 プリュメ通りの牧歌とサン・ドニ通りの叙事詩  
"「わたしは、コゼット」" 
多くの人の運命が交錯し、物語は群像劇の様相を呈してきた。始まる前から負け戦のために若者たちが築いたバリケードは安田講堂。いよいよ怒涛の第五部、ABCの面々、ジャベール、テナルディエ、ジャン・バルジャン、マリユスの運命やいかに。そして、コゼットはこのままか。大団円へ。
648ページは長く、時として辛かった。
読了日:08月16日 著者:ユゴー

買ってはあるので

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夏休みの宿題は終わらず新学期に持ち越し

2021年09月01日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
 今日から新学期。コロナ禍で対応はまちまちのようだが、市内の学校は通常通りのようだ。学生諸君は夏休みの宿題は無事終えることはできただろうか。

 私はというと、バタバタするうちに8月が過ぎてしまった。まとまった夏休みを取ることもできず、その間、こまごました仕事に追われているうち9月だ。ルーチンワークと勉強、研究、そういったものが渾然一体となっている私の仕事とは一体なんなのだろうと思う。

 医者たるもの現役である限りは医学レベルの維持向上を常に意識して自己研鑽を心がけていなくてはならない。そのためには、最新の知見を得る努力をしたり、後進の指導をしたりしなくてはならない。私もそう努めているつもりだが、思ったように進まないことが多い。もともとさしたる才能もないまま医者になり、なんとかここまで頑張ってきたが、そろそろ限界が見えてきた。

 今月は少し大きめの講義の締め切りが迫っている。大学からは離れたのでそういったこととは関係ないと思っていたが、なかなかそうもいかない。本当は8月中にある程度目処を立てておきたかったが、ほぼ白紙。夏休みの宿題が終わらなかったという感じで、ちょっと焦っているが、9月1日を区切りに仕切り直して取り組もう。
掛け声倒れにならぬよう

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