こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

この国の受験システムの異常が招いた悲劇

2022年01月16日 | 日本のこと、世界のこと
 たまには夕焼けの写真。
 夜中にトンガの海底火山の噴火に関連した津波情報で、10分おきに何度も起こされてあまり眠れなかった。その際、寝ている間には警報音が出ない(振動のみ)ようにしたのだが、これでいいのかと疑問に思ったが、目先の睡眠を取った。目が覚めたらお日様はずいぶん高くに上がっていた。

 昨日の東大の前での傷害事件には色々な意味で驚いた。被害に遭われた方の心身の回復をお祈りする。犯人は”医学部進学実績全国No.1の超エリート男子校”の生徒だそうで、愛知県のそんな高校は1つしかないからどこだかわかる。そして、そういう中高一貫校は全国に幾つかある。私が中学受験で入った学校もそんな”一流”中高一貫校だったので、なぜ、そういう屈折した学生が生まれたのか、想像できる。

 そういう”一流”中高一貫校というのは、遅くとも高2までに高3までの全過程を終えてしまう。そうすることで、高3の1年間は志望校の受験準備に当てることができる。そうやって、進学実績を上げることによって、優秀な”小学生”を集める。その戦略自体は間違っておらず、優秀な子にとってはとても良いシステムであり、それ自体を否定するつもりはない。
 だが、そんな勉強についていける子なんてそんなに多くない。学校は一部の成績の良い子に合わせた授業を行うので、ついていけない子は塾に通ったり、家庭教師を雇ったりして勉強する。もちろん、成績の良い子も同じような勉強をしているので、差は開きこそすれ縮まることはない。小学3年ぐらいから中学受験の勉強をして、やっと”良い学校”に滑り込んでホッとできるかと思っていたら、全くそんなことはなく、のんびりしていたらたちどころに落ちこぼれる。
 私は、親に言われるまま中学受験をして母校にすべりこんだものの、入ってみたら自分より優秀な奴ばかりで順位は下から数えた方が早かった。大学受験に向けても、結局、最後まで追いつかなかった。私の自己肯定感のなさはその時から作られたと思っているが、それは中学受験の時から芽はあった。今回の事件の犯人の学生もそんな哀れな思いを抱えていたのではないかと同情する。
 なお、その後の報道でその学生は中高一貫校に高校から入学した生徒だとのことで、それはそれで大変だったろう。

 東大合格者数によって序列化された中学受験という日本の受験システムというのは間違っている。公立高校がいくら頑張っても、開成、灘、筑駒を頂点とする中高一貫校を凌駕することは難しい。結局、そういう学校の中で落ちこぼれが作られていく。東大ばかりが良い学校ではないい、ほかの大学だっていいいところはいい、そんな価値観を生み出さなくては、また、第2第3の今回のような犯人が生まれてしまうのではないか。もっと価値観を多様化させないとこの国の未来は暗い。
なんとかしないと

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鎌倉鶴岡八幡宮の左義長神事

2022年01月15日 | 鎌倉暮らし
 正月15日、6時に起き出し空を見上げたら、空には氷を撒いたような雲。鎌倉に越してきてからこの日は鶴岡八幡宮の左義長に行っている。とはいえ週末と重なる日や、少し遅く行ける日だけだったが、幸い今年は土曜日で、7時前には家を出て鶴岡八幡宮に向かった。
 神事のある源平池に着いた時にちょうど神事が始まった。さいとは例年2つのはずだったが、今年は1つ(参考までに10年前のエントリー)。しめ縄など、今年はあまり集まらなかったのだろうか。そういえば、2日に帰ってきた息子が”鎌倉には正月飾りが多いね、東京なんかよりずっと多いよ”と言っていたが、鎌倉もずいぶん減っているのかもしれない。わが家の門松はこの中にあるはず。
 神職が火をつけるとあっという間に燃え上がった。北西からの弱い風が吹いていて、煙は源平池の方に流れていった。遅れて着いたおかげで風上に立てて助かった。
 炎が大きくなるにつれ、門松に使われていた竹が”どんどん ”と破裂する音が聞こえる。この火に体を当てると縁起がいいという。夫婦で今年一年の無病息災を願った。炎に当たっているうちに体が温まった。
 おさがりのみかんをいただいてから、本殿にお参り。大石段から見上げると、銀杏がずいぶん高くなっていて少し驚いた。上から振り返ると、初詣の時には多くの人に埋め尽くされていた境内がよく見える。
 お参りを終えて、源平池に戻ったら氷がうっすらと張っていた、なるほど寒いわけだ。ナイトが死んで散歩も減って、このところ、ゆっくり境内を歩くこともなかったので、今日は思いがけず八幡宮ができてよかった。さいとのあったところに戻ったらほとんど終わっていた。
 夜になってこの記事を書いていたら、ちょうどNHKのニュースでこの鶴岡八幡宮の左義長のことが流れていた。私たちが立っていた方から撮っていたようで、映像に私たちは映像に写り込んではいなかった。
穏やかな1日

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きょうび新聞を読むことの意義

2022年01月14日 | 日々思うこと、考えること
 今朝は0度。寒さはひとしおだが、体が慣れてきたのか少しの間、たとえばゴミ出し、であれば薄手の羽織りものだけで我慢できるようになってきた。とはいえ、週末は一層寒くなるようなので、体調管理には気をつけたい。

 通勤電車の私の近くの席で、新聞をバサバサやっている人がいる。昔はこんな人だらけだったが、今や絶滅危惧種。世の中の人が新聞を読まなくなっている。

 10年ほど前、

 ニュースはネットで十分じゃないですか?新聞なんて取ってません

 なんてことを言う東大出の若い医者のことを不思議な人だと思ったが、今やいまだに朝日新聞を定期購読している私の方がよほど理解不能な存在だ。私自身、ウィークデイは朝刊の一面と三面記事をちらっと読むのがせいぜいで、夕刊など一面の見出しを眺めるだけで、取っているだけで、ほとんど読んじゃいない。さすがに夕刊はやめようかとも思う。それでも、朝晩2、3分でも余裕があれば全ページに目を通して面白そうな記事、特集があったら覚えておいて、あとから読み直すこともする。新聞はめくればその一面一面から今の世界が俯瞰できるような気がする。

 ネットニュースで見出しと、ちょっとした要約記事を読むだけでも、生きていくには十分だ。コロナのこと、政治のこと、スポーツ・娯楽のことなど必要最低限のことはわかる。

 だから、紙媒体としての新聞を読まない人に、

 ネットの情報以上、なにが必要なの?
 他にも知りたいことはたくさんあるのだから、その程度で十分じゃない?

 と、言われたら私は答えに窮するに違いない。個々人が知りたい情報は、スマホやPCの画面内に並列化され、”ニュース”というものの存在意義すらあやふやになっている。だからもう、新聞を読むということは、読書と同じような個人の趣味に近いものになっているかもしれない。

 かつては、⚪︎⚪︎新聞は右寄りで、●●新聞は左がかっている、なんてことを声高に言う人がいたし、今でも特定の新聞に対して批判的なことをネット上に書く人がいるが、いまや左だろうが右だろうがどうでもいいことになっているんじゃないだろうか。そもそもネットニュースの数文字よりなる見出しとさわりを読み比べて論調を比較したところで、それぞれの記事の持つ情報内容にそれほどの差異は生じているとは思えない。多くの人はプロバイダーがごっちゃに並べた右から左までの記事の見出しを眺めて、気になったものだけちょこっと開いて読んだだけでわかったようになっているのではないだろうか。これじゃあまるで金魚が口をパクパク開けて、‘情報‘という餌を食べているようなものだ。

 私は今や絶滅危惧種となりつつある新聞の定期購読者ではあるが、新聞にはやっぱり価値がたくさん詰まっていると感じる。読む動機が”読まなくてはもったいない”という思いからくるものでも、その思いが新聞を読む強制力となっている。私だって、日々新聞を読む時間を捻り出すのは容易ではない。

 ネットで自分の気に入った記事を検索してピックアップしてばかりいると、やがて興味のない話題に触れることは一切なくなる。もったいないからと”とりあえず”ページをめくっていると、たまには興味深い記事にめぐり合うことがある。そんな記事が潜んでいるのは、国際面であったり、文化面であったり、家庭面であったりする。そんなことで集めた雑駁な知識がどこかで、時間的空間的隔たりを超えて結びつくことがある。

 一般紙を読んでも私自身の仕事に役立つ記事などまれにしかないし、株式欄はいまだに全く素通りなので、新聞を読むことの実利的な意義は乏しい。それでも新聞という"紙媒体の情報の塊"はいまのところ私の役に立っているような気がするので、惰性かもしれないがまだしばらくは取る。少なくともたばこ代よりはよほど安い。
 あと、新聞配達は地域の防犯に大変役立っている。
そこから読み解くことが大事

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生き方とは様々で

2022年01月13日 | 生き方について考える
 空は雲に覆われ寒々としている。実際、気温は3度。ただ、昨日は雨が降らなかったのでベランダの凍結は無い。日本海側、北日本では記録的な大雪になるそうで、青森に住む親戚や札幌の友人が気の毒だ。

 昨日、このブログのテンプレートを新しいものに変えた。PC版の方はエントリーを一覧することができて、ほぼ毎日となったベランダからの景色の移り変わりを眺めることができる。スマホ版のほうはどこが変わったかよくわからないが、プロフィールのコロの顔を差し替えた。以前にも一度テンプレートを変えたことがあったが、座り心地というかなんだか落ち着きが悪くてすぐに戻してしまったが、今回改めてやってみたらなんとなく今風でいいんじゃないかと思えたのでしばらくはこのままにしておこうと思う。

 なぜまた急にそんなことをしたのかというと、昔の同僚が書いているブログをたまたま読んだら、ある人気ブログを見習って、自分のブログを見直しますというようなことを書いていて、私もその人気ブログというのを拝見したことがきっかけだ。その人気ブログでは、ぶろがーさんの得意分野を中心とした”情報”を提供していて、それをたくさんの人が読みにきていた。さらには、それを書籍化したり、一部を有料ブログ化したりして上手にやっているようにみえた。そんなんで、私もその方のブログを見習い、せめて自分のブログも読みやすいものにしようとテンプレートをかえてみることにしたのだ。

 それはさておき、その方のブログを読んでみると本業の方はどうしているのかと疑問になった。能力の高い器用な方のようなので、ブログその他の活動との両立も可能だろうが、本業の方に全エネルギーを注ぎ込めばそちらで大成できるだろうに、と考えてしまった。だが、そらこそが私のような凡人の浅知恵で、それなりに成功しているブロガーとか、ユーチューバーとかそういった人たちの価値観は、私とは全く異なっているのだろう。価値観の多様化は、出世して大成して金持ちになる、というものではなく、まずは、好きなことをやって、それで楽しく生きることができたらいいんじゃないかと考える人が増えているのではないか。そもそも成功というものの定義すらわからない。

 社会的地位、名声、金銭、なんでもいいが欲望にはきりがない。そういうあれこれを欲してばかりいては人生は不幸の連続でしかない。好きなことをやり、その延長上に何かが見つかれば、もちろんお金や名声がついてきたらそれはそれで嬉しいが、それこそが人生の目的ではない。そんな生き方というのは余計な不幸を遠ざける一つの方法であるかもしれない。その不幸ですらも相対化することができたら幸せを見いだすことができるかもしれない。
せっかく生きているのだから

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なぜ憂鬱なのかはわかっている

2022年01月12日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
 昨日降った雨が全て凍ってしまったようで、手すりにもウッドデッキにも氷の被膜が貼られていていて、革靴で表に出たら足を取られそうになった。その分といってはなんだが、雲はほとんどなくスッキリしている。この先も真冬の寒さが続くようで先が思いやられる。これまでにも何度か触れたが、コロナ禍以来四季がはっきりとしている。とくに、去年の春ごろからその傾向は顕著だ。これが、社会全体の行動変容の結果なのか、経済活動の縮小による温室効果ガスの排出量の低下でもが引き起こしたことなのかはわからない。いずれにしても、新型コロナはある意味、使徒と言えるかもしれない。

 最近また元気が出ない、というか憂鬱だ。妻に相談したら、更年期じゃないかと言われた。自分としても老化のせいとか、寒さのせいとか、それこそコロナのせいにしたいところだが、本当の原因は締め切りが迫っているある疾患のガイドラインの原稿のせいだと分かっている。

 正月休みにコツコツ勉強しておけばよかったのに、墓参りだの、初詣だのでぼんやり過ごしていたものだから、頭がすっかり鈍ってしまった。いざ、エンジンをかけても急発進はできなくて、まずは文献読みからやっている。締め切りを考えるとそんな悠長なことはしていられないが、新しい知見が入ってなくては読者の役に立たない。そう考えると余計に焦ってしまい、飛ばし読みと飛ばしたところの読み直しとで時間ばかりかかっている。

 若かったらこういうのを読んでもあっという間に頭に入ってきたのにと思うが、それは多分違って、自分自身に対して言い訳をしているだけに過ぎない。若い頃は、知識がなかったので何を読んでも新しく、新しいファイルが作成されていたに過ぎない。結局のところ、脳の活動性とこれまでの経験値を組み合わせたら、全体的なポテンシャルは衰えていない。

 今回のガイドラインは4年ぶりの改訂で、前回の原稿をたたき台とできるのだが、アップデートしなくてはいけないところがたくさんあり過ぎて、結局一から勉強し直している。そんな、私の頭の中のてんやわんやを、老化だのコロナだのせいにしていてはいけない。今日、ここに買いて少し落ち着いたので、きっちり恥ずかしくないものを仕上げよう。
結局やるっきゃない

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これもまたコロナによる分断化

2022年01月11日 | 日々思うこと、考えること
 成人式の3連休の終わりとともに冬休みも終わったようで、通勤電車に混雑が戻ってきた。今日もどこかでトラブルがあって、私の使うJR2路線とも遅延。乗り継ぎで走らされるのがずいぶん嫌になってきた。

 世間はオミクロン株による新型コロナ感染第6波の話題で持ちきりだ。放っておいたら大変なことになるのだろうが、ほとんどの人が公共の場でのマスク着用を心がけているので早晩落ち着くだろう。専門家によると今回の波は2月から3月までということらしく、この先2か月ほど頑張ればなんとかなるだろう。これがウィズコロナということで慣れていかなくてはいけないが、鬱陶しい。とにかく自分が感染しているかもしれないと自覚して他人にうつさないようマスク、咳エチケットを徹底するしかない。

 最近の学会や班会議に出ていると、コロナに関わらず業績をあげている人と、そうでない人の2極分化が進行しているように感じる。私なんかは社会的にはコロナに負けた感じで、コロナを言い訳にして多くのことから逃げている。

 コロナのせいで

と、一言添えたら大抵のことは許してもらえそうだが、そんなことをしている人に同情することはあっても、誰も必要とはしてくれない。ウィズコロナを生き方の言い訳にしていてはいけないのだ。

 コロナに負けずに淡々と仕事を進めている人は少なからずいて、そんな人はウィズコロナでも輝いている。そういう人はコロナがあってもなくてもそうだっただろうが、ウィズコロナでは余計に目立つ。一方でコロナのせいでと言い訳をしている人は、コロナが無くても何かを理由に自分がダメな説明をするだろう。

 私のように、

 コロナによる分断化

 などと言っているようでは、そもそも甘いのだと思う。
いまからでも

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今日は何もなかったはず

2022年01月10日 | 日々思うこと、考えること
 成人の日なのだが、鎌倉市内に晴れ着姿は数えるほど。
 十日戎ということで、本覚寺に行ったが、福娘はおらず。妻と顔を見合わせ、昔の華やかさは何処へやらとがっかりする。

 帰りがけに花の苗を買い、明るいうちに寄せ植えを作った。といっても、クリスマスの時に作った苗を寄せていたのから、ポインセチイアを別にしただけ。
 こういうことをして、なんともない休日を、日がな一日過ごしていると、ふと、

 「今日は何かなかっただろうか?」

 などと心配になる。オンラインでのことが多くなるとこういう不安が出てくるというのもなんだか面白いが、ついうっかりしてドタキャンなんてことになっては面白くない。
今日は大丈夫

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司会だけといっても疲れた

2022年01月09日 | 日々思うこと、考えること
 穏やかな晴れ。犬の散歩、花がら摘みをやっていたらあっという間に昼になった。昼からはオンラインで学会。セッション1つの司会(座長)を担当していたということもあり、最初から最後まで、5時間しっかり勉強した。

 司会進行をしたのは当然私の専門領域のことで、演者はよくお世話になっているその分野の臨床の大家。大家といっても、お互い若いうちからなにかと情報交換をしていた仲で、今や大家ということで不思議な感じがする。とはいえ、あちらは今や大学教授で失礼があってはならないと、少し予習をしてから臨んだ。

 お話の内容は盛りだくさんで大変素晴らしく、私自身明後日からの日常診断に使えるだろうと思った。

 学会場に足を運んで聴講するのと理解にどれだけ差があるかよくわからないが、自室でモニタ越しに勉強するのはやはり緊張感が乏しいように思われる。
目安は600字

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SNSでの親との距離感

2022年01月08日 | 家族のこと
 厳寒のせいで、花持ちが良い。元旦にすっかり開いていたアイスバーグがまだまだ美しく咲いている。

 なんてことをフェイスブックにアップしようかと思ったが、やめた。
 最近、母がよくコメントを入れてくるのだ。当然のことながら本名で登録しており、私の投稿にアルファベットではあるが同じ名前でコメントを入れてきたら母だということがわかる。親はいつまでたっても親だから仕方のないことだと諦めるしかないが、それでも頻繁なので早々アップするのもどうかと躊躇してしまう。
 さらに、知り合いがコメントを入れてきたりすると、今度はそのことについてラインで連絡してくる。一人暮らしであることを考えると距離をどうとったらいいか難しい。
 時々、ブログを更新したことをフェイスブックにアップしていたが母がフェイスブックデビューして以来それはしていない。今のところ、このブログの存在は知られていないようなので、そのままにしておこうと思う。浮いたり沈んだりの毎日を親に知られてはたまったものではない。
今日はポカポカ

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七草がゆで健やかに

2022年01月07日 | 日々思うこと、考えること
 あたりは一面雪におおわれ、ここはまるで雪国のよう。昨晩帰った時は10センチ近く積もっていたんじゃないだろうか。

 今日は、年明け最初のプラスチックゴミの回収日。もうこんな時にしか使わなくなったスノーシューズを履いて、いつもより早めにゴミ出しに行ったら、集積所のかごには早くもたくさんのゴミの入った袋が積まれていた。その間に車のエンジンをかけ温めた。車載温度計の表示は−1.5度。屋根の雪が凍りついていて、なかなか落ちなかった。

 朝食は今年一年の健康を願いながら七草がゆをいただいた。大雪のせいか、家の人を駅に送る車は少なかった。今日ばかりは冬用タイヤを履いていない車では事故に遭う可能性が高いだろう。ちなみに私が使っている車は4輪駆動で、12月になるとスタッドレスタイヤに替えている。家の前が急坂のため、このスタイルを変えることはできそうにない。

 電車は雪に備えていたのだろうか、スムースに走ってたが、途中でまた止まった。車内アナウンスではホームで転倒した人の救護のためということだ。たしかに革靴で歩いている人は少なからずいて、そんな人が転んだのだろうか。もしそうだとしたら、ノーマルタイヤで走っているようなもので、あきれてものが言えない。
 もちろん私はスノーシューズのままできた。大げさかもしれないが、ほんのちょっとの油断で氷の上に足を乗せてしまうことがある。今日ばかりは諦めてそうっと歩くことにする。これですってんころりんなんてことになったら、せっかく七草がゆを作ってくれた妻の甲斐もない。
車窓からも美しい

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通勤時間のロスとゲイン

2022年01月06日 | 通勤・交通・旅行
 朝のうちは雲が少し積み重なっているのがみえるが、昼前には南岸低気圧の通過に伴って関東南部に雪が降る予報なので、一面鈍色となるのだろうか。

  鎌倉は東京とは違って、大雪になるのよね

  と出がけに妻がぼやいていた。実際、東京に比べて神奈川は大雪になることが多いので、車の運転には気をつけてもらいたい。

 往復の電車は日を追うごとに混み始めている。一昨日に比べて昨日はその倍ぐらいの混雑だった。今週いっぱいは学校の冬休みのようで、助かる。それに3学期は大学生が少ないのも嬉しい。

 毎日の通勤を最近ストレスに感じる。職場とある程度離れていることは、オンオフのために必要なことではあるが、私のように”とても”離れていると、それも度を越しているのかと思うことがある。通勤に往復4時間かかる生活には慣れているが、これまでの人生にとってどれほどのロスがあり、ゲインがあっただろう。

 ロスはもちろん時間だが、ゲインといえばやはりこのブログだろう。始めたころはガラケーによるメール送信で入力していたが、スマホが使えるようになってずいぶん楽になった。いずれにせよ、通勤時間の半分以上はブログ入力に費やしているので、そういう意味では、”通勤中に考えたあれやこれや”なんてサブタイトルをつけてもいいかもしれない。

 あとは、本を読んで、論文を読んで、ということに費やしているので、かんがえてみたらそうそうぼんやりはしていない。そうはいっても、あんまり時間がかかるのもどうかというところで、この程度が限界だと思う。
それにしてもよく遅れる

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第6波の襲来とコロナ禍終息への希望的観測

2022年01月05日 | 自然災害・事故・感染症
 昨年末からの寒さでハンギングのガーデンシクラメンの元気がない。夜は玄関に入れているのだがそれも効果はないみたいで少し心配だ。これから大寒がやってくるのだから仕方がないので、できることをしてあげよう。ガーデンシクラメンに対して、パンジーは驚くほど元気だ。

 いよいよコロナの第6波がやってきた。空港検疫で踏ん張っていたが、国内の米軍基地から広まったということでこれはもう諦めるしかない。日米地位協定では、米兵のコロナ感染の検査もできないとかで、これには参る。いくら敗戦国とはいえ、犯罪、感染症の抑止予防は国家としての権利に関わるものであり必要最低限のことは改正できないものだろうか。それはさておき、そもそも米軍のコロナ対策は大丈夫?と心配になる。

 いずれにしても、沖縄、岩国、で感染が広がっているとかで、これではたぶん横須賀を抱えるわが神奈川県でもオミクロン株の感染拡大が始まるだろう。沖縄旅行、帰省で日本国中で池の泥がかき回されてしまった状態で、もう止まることはないだろう。

 幸い、オミクロン株はデルタ株ほどの毒性はないようなので、将来インフルエンザ程度のものに落ち着いてくれたら、終息となる。コロナとしても、ワクチンで叩き潰されるよりは、毒性を弱めて細く長くそして広く生き延びたほうがいいということになるだろう。真の意味でウィズコロナだ。

 これまで、コロナ禍がいつまで続くかを予想したことがあった。一昨年の梅雨明けまではあと1週(2020年7月20日)』では、”(コロナ禍が)落ち着くまでに2、3年”、”(新型コロナウイするに対する)集団免疫を獲得するまでに4、5年”と考えた。そうすると、コロナ禍の落ち着くのが今年から来年、集団免疫を獲得してなんともなくなるのが2025年ごろ、ということになりそうだ。あと3年辛抱すれば昔のような活気が世界中に戻ってくると考えるしかない。
慌てても仕方ない

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「核戦争に勝者なし」という声明に接し

2022年01月04日 | 日本のこと、世界のこと
 起き出してすぐにしぶんぎ座流星群の流れ星が見えないかと空を眺めたものの、払暁の空に残る星はわずかですぐに諦めた。髭を剃っていたら、防災情報に小笠原での大地震の知らせが入ってきてびっくりしたが、その後の報道では大事に至ってはいないようでホッとした。津波の心配もないらしい。電車はいつもほどは混んでおらず、まずまずおだやかな初出勤日。

 そんな慌ただしい朝だったが、ネットニュースに嬉しい記事があった。


 平和であることが当たり前だとなかなか実感できないものの、今、ミサイル・ロケットが飛んできたら、あたり一帯焼け野原となり、それこそ虫けらのように殺されてしまうのだろうと想像することがある。

 コロナ禍で、”個としての自分”ばかりに意識がいってしまっているうちに、圧倒的な外の力について考えが及ばなくなった。卑近な話だが三が日、家にいることが多かったものの、ちょっと表に出たら観光客の多さに驚いたし、鶴岡八幡宮への初詣客には圧倒された。そしてあっという間に疲れてた。それはその都度、自分とは違った考え、行動をする自分以外の人の存在を思い知らされたからだろうか。

 これが戦争にでもなったらどうだろう。自分の力の全く及ばない何者かがボタンを押した兵器により傷つけられ、殺される、そんなことが平然と行われるのが戦争だが、その究極の兵器が核兵器だ。その核兵器を使わないという合意をしたということは素晴らしいことだ。もしかしたら、それぞれの国の為政者もコロナ禍で一人になる時間が増え、一人の人間に立ち返ることがあったのかもしれない。

 それを口先ばかりだろう、と揶揄するのは簡単なことだ。それよりも人間一人一人がその宣言、努力目標を歓迎し、共有することこそが大切な行動だと思う。
平和を希求する

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静かに過ごしたお正月

2022年01月03日 | 日々思うこと、考えること
 これといったことをしないで過ごした年末年始だった
 かといって、なにをもって”これ”というのも難しい。旅行だの映画・観劇をしなかったからよかったのか、それとも親戚(3家族)で集まったり、初詣に行ったりしたのはよくなかったのか、よくわからない。

 新型コロナ感染者の数が増え始めているが、ちょうど忘年会あたりのクラスターだろう。この後、クリスマスクラスターがあって、新年会クラスターが続く。まあ、そんなところだろうがはたしてこの先どうなるだろう。オミクロン株は症状は軽いようだが、感染力は強いらしいからワクチン接種はオールマイティーではない。私ももちろん要注意で過ごしたい。

 それなりに楽しかったお正月はあっという間に過ぎて明日から仕事。しっかり復帰しましょう。
通勤が嫌だ

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正月二日は

2022年01月02日 | 日々思うこと、考えること
 一昨年までは父が氏子総代をしていたことのある都内の神社に皆で集まっていたが、その父が亡くなり、母に言わせると、

 もう、(お宮とも)ご縁も無くなったからわざわざ都内で集まることもないでしょう

 ということで、鎌倉に集まってお墓参りをし、そのあと我が家に来てもらうこととなった。

 母と、妹一家そして、息子夫婦がやってきた。

 みなで食事をしたあと、初詣。
 みなが帰った後、食べそびれたお料理を肴に妻と飲んだ。
休みは明日まで

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