こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

知ったかぶりで知らないことは書けない

2022年12月16日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
鎌倉駅前、島森書店の前の交差点には3ヶ月ほど前からお巡りさんが立っている。
毎朝というほどではないが、週に2、3回は横を通ることになるので、タイミングが良ければ挨拶する。
今朝はずいぶん寒かったので、まだ30前後と思しき若いお巡りさんに、

 おはようございます、
 きょうはさむいですね、

などと声をかけた。
彼も、同じようなことを言って返してくれた。
どうせなら、ご苦労様です、とかお疲れ様です、と言ったらよかったのだが、駅に向かうことに気が行ってしまい声をかけそびれ、それは次にしようと思った。
適切なタイミングでその場に合った言葉を発するというのはなかなか難しい。
これは文章を書く時も同じだ。

ブログのエントリーは内容の制約があまりないので比較的スラスラ、語句が湧いてくる。
テーマはその日ごと、気ままに書いて、最後に文章を整えるというパターンなので、しゃべっているのと大差ない。
むしろ不用意なことをしゃべってあと、時には一生後悔するよりも出す前にワンクッション置くことができるという意味では安心だ。

私の病理医という仕事も、人から見たら文章を書くことが多い。
もちろん、切り出しとか、解剖とか手を動かすことも多いし、顕微鏡をのぞいている時間も長いが、診断文を書くことで仕事が仕上がるので、どうしてもこちらがメインになる。
病気の有無、所見を書くという病理の診断文は、いったん頭の中で診断が決まれば、あとはそれを言語化して書き進めるだけなので、ある程度経験を積めば書けるようになる。

文章を書くのが難しいのは、論文とか原稿だ。
今から15年も前にノーベル賞を受賞したRNA干渉に関わる遺伝子がその発生に関わっている腫瘍についての原稿を書いているのだが、恥ずかしながら私はそれがどんな仕組みなのかがよくわかっていなかった。
自分にとって未知のテーマを文章にしていくという作業はとてもきつい。
権威ある学術書に知らないことを知ったかぶりして書くわけにもいかないので、このところ、書くための勉強をしていた。
幸い、今の時代はネットに情報が溢れている。
玉石混交ではあるが、信頼できるものを拾い上げて勉強すればなんとかなる。
なんとか、参考文献を読むことのできるぐらいまでは理解できるようになった。
それなりの文章を書くのであればノーベル賞受賞レベルのことぐらいは、知っておかなくてはいけないと反省した。

とっかかりが見つかったので、原稿書きもいよいよ本腰を入れられそうだ。
どうもここ最近元気がなかったのもRNA干渉のことがよくわかっていなかったせいなのかもしれない。
勉強をやめたらそこまで

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防衛費増額はやむを得ないが

2022年12月15日 | 日々思うこと、考えること
先日のエントリー書いた通り、税金の無駄遣いをなくすこと、増やした防衛費は効果的に使用されるという前提があってのことだが、私は防衛力増強のための防衛費増額はやむを得ないと考えている。
このところのマスコミ報道にも防衛力増強についてあからさまに反対する論調は乏しく、世論は防衛力増強の方へと傾いている、というかそれが当然というように誘導している。

それよりも紛争にならないようにする努力をすべきだという考えもあるが、実際ロシアがウクライナに攻め込んでいたり、北朝鮮が日本の方角にミサイルを撃ってきたり、中国が尖閣諸島のあたりをうろうろしていたら、防衛力増強による国土防衛は待ったなしだ。
ロシアだって北朝鮮だって中国だって話し合えばなんとかなるというかもしれないが、あちらにはあちらなりの考えがある。
なにより国土=国民であり、そこにいる同胞を犠牲にすることは決して許されることではない。

防衛力の増強には防衛費を増額しなくてはならない。
諸外国に比べて防衛費の割合が少ないといわれているが、これは先の大戦での敗戦によるためで、この国だけのせいではないように思うが、それはもう過去の話、これからのことを考えていかなくてはならず、比率がどうとかいう問題ではない。

財務省としては増額分を法人税とタバコ税と復興特別所得税からあてがいたいみたいで、とくに「復興特別所得税」からの割り振りが議論となっている。
そのつもりでなく支払っている「復興特別所得税」から防衛費を抜かれるよりは「復興特別所得税」を減らし、その分を「国防税」として新設した方がいいのではないだろうかと思うが、そんなんならその分払わないなんて人が出てくるかもしれないので話はそう簡単ではないのだろう。

それにしても岸田さんという人はどうしてこう話の持っていきかたが下手なんだろう。
これまでにも多くの”いいこと”を、”岸田ショック”で潰してきた。
”新しい資本主義”にしても”安倍元首相の国葬”にしても、上手な言い方をしていたら、この国をまとめることができたのに、それこそ”丁寧な説明”が必要だったにもかかわらず、判断が拙速で、失速した。
防衛費増額分の財源にしても同様で、国会の閉会に合わせて、というよりはなにも年末調整、確定申告と税金のことで頭がいっぱいになるこの時期にこんなこと急に言い出したら、一般庶民にしても経済回復への期待が失せてしまう。
なにか1クッションおき、来週あたりに発表したらよかったようにと思う。
どうせやるならうまくやってよ

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気力がなかなか湧いてこないのは

2022年12月14日 | 日々思うこと、考えること
今日は快晴、しばらくは晴天がつづくらしくうれしい。
写真を撮りにベランダに出たら、風が強く吹いていたが、南風で寒さは感じられなかった。
顔を出したばかりの太陽の光は弱々しく、水から飛び出したピンポン玉のようで、もしかすると山の端にまた落っこちてしまいそうだった。
冬になって太陽の力が減退したからか、このところ気力が萎えている。

体調不良というほどではなく、仕事に取り組む意欲がどうも今一つ湧いてこないのだ。
原因として思い当たる節はいくらでもあるし、睡眠不足からの疲れも溜まっている。
どれも一つ一つを取り上げたら些細なことであったり、受け入れなくてはならないことであったり、仕方のないことであったりだ。
そしてそれらのほとんどは自分、というか自分の考え方、気の持ちように責任がある。
自分の生き方を後悔したり、他人に期待したり依存したり、そういったことが自分自身への圧力として存在し、それが気力の減退につながっている。

人生考え方一つでいくらでも変わるはずなのにそれが上手くできない。
考え方といっても隣の芝生を見て考えるのではなく、自分自身で自らの存在意義、価値を認識しさえすればいくらでも将来への展望は開ける。
これといった体の不調はなく、取り組むべき仕事があり、家族がいることが幸せであると認識すれば元気はいくらでも出るはず。

毎度のこととはいうものの、いつも読んでくださっているみなさんにまで泣き言を漏らしてしまったのは甘えかもしれないが、こんな場があるということも幸せなことであり、心を立て直す糧となる。
心の疲れの負債を取り戻す

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腕時計なんて1個あれば片手にはめてそれまでなのに

2022年12月13日 | 日々思うこと、考えること
家を出ようというところで降りだした雨はとても冷たく、色づきを失いつつある山をしっとりと濡らしはじめていた。
午前中いっぱいで止むということだが、晴れるのは晩になってからで、明日からは真冬の寒さがやってくるという。
今年は寒いといわれていたと思うが、つい先日にはそうでもないというような予報もあったようでよくわからない。
寒いなら寒いなりへの気構えが必要なのだが、こういうことに一喜一憂しているうちに気が萎える。

年末需要を当て込んでのことか、高級ジュエリーとか高級時計といった高級品が掲載された美しいカタログが先日、送りつけられてきた。
目の保養にと、暇つぶしがてら開いてみたら、そんじょそこらにあるような高級品ではなく、超のつくようなものばかりで、パッとみると0が多すぎてそれぞれの値段がよくわからない。
いちじゅうひゃくせんまんと数えてみると、1億円のネックレスだの時計があってびっくりした。
値段通りの美しさだし、精巧さだし、ダイヤの数も多く、これはこれで無理な値段設定でないのはわかるが、それにしてもどうみても購買能力などない私のところなどになぜこういったものを送ってくるのだろうとも思う。
カタログの表紙には、資産価値がアピールされていて、そのための購入を勧めている。
2023年度税制改正で、所得が30億円を超えるような超富裕層への課税強化案が与党内に出ているということだから、そういった超富裕層という人たちは実際存在して、実際に資産として購入するのかもしれない。
その次の富裕層という人たちも、数千万円の超高級品をみていいなと思い、これなら手に入るだろうと数百万程度のものを買うのかもしれない。
現金を持っているより、腐らないモノにしてしまった方がよほどいいということはそんなものを一つも持ち合わせていない私にもわかる。

そんなことを考えながら、私が愛用しているアップルウォッチを眺める。
息子が社会人1年めに私たち夫婦に健康管理のためにプレゼントしてくれたもので、心電図のみならず、最近では睡眠管理もやってくれるようになって重宝している。
時計など、片腕に一本していたら十分なので、何本も持っていない。
アップルウォッチ以外にいまあるのは、新婚旅行で買ったオメガと、父の形見で、これらは故障しないようにと時々はめて動かすだけになってしまっている。
宝飾品にしても時計にしても、超高級品などというものは実用の点から見たら全く不要で、無駄以外のなにものでもないように思ってしまうのが貧乏人の考えで、私なんぞ資産形成からはつくづく縁遠いものだと感じる。

資産形成などする余裕などなく、日々あくせく働いてきた身からすると全く別世界の話だが、どこそこの美術館、などもたいていは時の資産家、権力者が集めたコレクションであって、それがいまや文化遺産となっているわけで、ある意味富のトリクルダウンと言えるのかもしれない。
金は天下の・・・

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私にとっての結婚の意義と「こどもまんなか社会」

2022年12月12日 | 生き方について考える
昨日の午前中の掃除のせいで、右腕と腰と尻が痛いがおかげでぐっすり眠れた。
夜中起きても、サッカーはやっていないので、ちょっとテレビをつけるというようなこともなかった。
今朝も冬の青空で寒かったが、気合を入れて仕事に出てきた。
掃除をひととおり終え、出し忘れていたお歳暮の手配に横浜まで出た。
デパ地下のレストランで少し遅めの昼食を妻ととりつつ、私たちの来し方行く末について話した。
こういう話になると、たいていは子供たちの話がでる。
息子も娘にしても私から見たら”普通”の人生を歩んでいるので、何か心配があるというわけではないが、それでも話すことはある。
そこから、少子高齢化社会のこと、自分たちの行く末についての話になる。

経済的な担保が将来的にどのぐらい必要かという話になり、子供を持ったことが良かったのかということになる。
若い人が経済的理由で子供を持ちにくい状況であるということについては、大いに同意する。
習い事をいくつかやらせたらあっという間に月に4、5万円はかかるし、私立の中学、高校に行かせでもしたら学費だけでも相当な額だ。
最近は行政からの支援が増えたが、そのほかにも物入りだ。
見栄を張るわけでもない、自分たちがやってもらったことを子供達にもしてやろうと思ってもそう簡単にはできない。
畢竟、子供など持たない方がいいとなるのも無理はない。

SNSで自分の人生を楽しんでいるようにみえる人を多く見ると、自分もそんなふうに面白く、映える人生を歩みたいとも思う。
時計の針を戻すことはできないので、いまさらどうしようもないものの、子供をもっていなければ、もっと二人で気楽な自由な夫婦生活を歩むことができたのではないかと考える。

妻は、子育てを苦労しながらも楽しんでいたが、私には苦労ばかりでだったような気がする。
子育ては私の、そして私たち夫婦の人生の中の半分以上を占めてきたように思うがそれが苦労の多いものだったとしたら、私は人生の半分以上を楽しむことができなかった、子どもたちによって楽しみを奪われてきたということになる。
こんな考え方は、私の人生に対して否定的すぎるだろうか。
今になっても、子供を持つべきだったか、よくわからない。

妻とそんなことを話したあと、

 では、この結婚もよかったのかわからない。

と、言ってしまった。
妻が、驚いた顔で、

  なにを言っているの?

と私の顔をまじまじと見た。

私は我に帰り、言ったことの重大さに気がついて、否定しその場を取り繕った。
妻は一応納得はしてくれたが、気にはなっただろう。
妻への愛情は変わってはいないものの、もし結婚しないでいたら妻に愛想を尽かされていたかも知れず、未だに続いていたかはわからない。
結婚は、人間のあやふやな心をある一点に固定してくれる強制力がある。

日本は今、未曾有の少子高齢化社会、人口減社会へとつき進んでいる。
岸田首相は、「こどもまんなか社会」の実現を表明した。
私たちは、若者が、子供を持つことが人生のリスク、結婚が人生のリスク、というような考えに陥らないようにするにはどうしたらいいかをもっと考えなくてはいけないが、懐疑的にならざるを得ないのは、人間社会が複雑化しすぎたからだろうか。
案ずるより産むが易し

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大掃除、第1弾は玄関前の掃除

2022年12月11日 | 鎌倉暮らし
夜中ふと目が覚め、ついテレビをつけたらサッカーの準々決勝、ポルトガル対モロッコの後半30分。
モロッコが1対0で勝っていて、つい最後まで見てしまった。
すぐには寝付けず、ちょっと寝不足気味の一日となってしまった。

今日は、玄関前のポーチをケルヒャーで掃除の予定。
種々のかびというか苔がついているので、ケルヒャーをかけてからタワシでゴシゴシして掃除した。
やり始めてしばらくは汚れは落ちなかったが、何往復かしているうちに汚れは落ちた。
その分というか、腕がだいぶ痛くなった。
これがまずは今年の大掃除第一弾ということになった。
ヘトヘト

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月のかさは幸せの前兆?

2022年12月10日 | 日々思うこと、考えること
寝る前に夜空を見上げたら、今年最後の満月の周りに輪がかかっていた。
このような現象をなんと呼ぶかを調べてみたら、月暈と書いて、げつうんとかつきかさと言って、幸せの前兆で、たいそう縁起がいいそうだ。
月の手前に薄い雲があることでこのような像が見えそうで、たしかに昨日は職場を出た時には月は煌々としていたが、鎌倉に帰ってきたら雲にかくれそうになっていた。
そしてその後、おあつらえ向きにこのうような気象状況になったということだろう。
ただの自然現象と片付けてしまえばそれまでだが、縁起がいいというのだから額面通り受け取ることにする。
今日は所用があり、車を運転した。
車を運転している時は、私はいつもラジオをつけているが、用事を済ませての帰途、先々週聞いたと同じDJの声が聞こえた。
毎週土曜のこの時間に放送している番組だから当たり前のことなのだが、この人たちはこの人たちで淡々とルーティンの仕事をしているのだなあとふと感慨深く思った。

べつに私だけが忙しくしているわけではなく、それぞれの人がそれぞれの目的を持って何かをしている。
たとえじっとしているように見える人であっても何かの目的を持って生きている、それが人間だ。

このところ人間という存在に対して考えることが多いが、これもまた人間に対する考察の一つだろう。
どれも当たり前のことではあるけれど、かと言って見過ごしてはいけないことが人間にはいろいろある。
いろいろなことがふと頭に浮かぶ

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真っ白なディスプレイに診断文が伸びていく

2022年12月09日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
今日もいくつかの路線が遅れ、私がいつも乗る電車は運休、また迂回しての通勤となった。
昨日今日と二日続きなのには参ってしまうが、誰かに何か文句を言っても仕方のないことだと、いつもよりずっと混雑している電車に黙って乗り込んだ。

病理診断の相談があった。
急ぐというので持参した人に横で座って待っていてもらいながら標本を顕微鏡でみて、その後診断書を書き上げた。
専門でない病理医にはとても難しい症例だったが、私にとっては幸い、これまでに経験したことのある病態がいくつか複合しているにすぎない病態だったので、それらの所見をいったん一つ一つ独立させてあらためて融合させることで診断できると考えた。
顕微鏡の中では、細胞1個1個の生死が見え、障害を補完しようとする細胞、傷害を受けた細胞の処理に動く細胞など全ての細胞が一定の目的、すなわち生命の維持のために論理的に動いていた
そして、それを見るうちにその人の体の中で起こっていることが自分の脳内に無限に広がっていくのを感じた。

標本を十分みて、自分なりの診断を決めた後、診断書を書く。
自分の脳内に広がるイメージをこれまでの経験をもとに、文字に置き換えていく。
炎症、梗塞、壊死、線維化、腫瘍・・・そういった言葉を相互に関連づけながら、整合性のある意義のある文章を作り上げていった。
診断書を書くとは、”誰がみてもこれはそうだ”という所見を、相互に整合性を持たせた”診断”に持っていくことだ。
標本上に広がるほぼ無限といえる情報から、病態説明に重要な所見を”抜粋”し、必要最低限の文章に削ぎ落とした上で、診断文にする。

これが病理医にとっての”ゾーン”だったのだろうか。
脳にあるイメージが勝手に指先に伝わり、真っ白なディスプレイ上には、青空にまっすぐに伸びていく飛行機雲のように、診断文の一文字一文字が伸びていった。
もう一つの意識がそこに現れ、これはまるで魔法のようだと感じた。
途中でふと我に帰ると書きかけの診断文は、半分までできたデス・スターのようでもあった。
私の病理医人生の中でいまだかつて経験したことのないもので、もっとも充実した瞬間だったかもしれない。

診断書を一気に書き上げた後、推敲し、専門としない人のために説明用の顕微鏡写真を撮った。
この場合、十分言語化されていたら写真は不要だという意見もあるかもしれないが、それは専門家とそうでない人の間の差がきわめて大きいため、時間を節約しなくてはいけないため致し方のないことだ。
そもそも顕微鏡写真はいったん言語化したものを画像化するという点でさらに複雑な作業だ。

無から有を生み出すという作業は、画家がはじめ真っ白なキャンパスに絵を描く時、作曲家が五線紙に楽譜を描く時、作家が原稿用紙に文字を埋めていく時など、さまざまな場面に共通する。
もちろん、SNSやブログに文章を書くときも同じだが、これはおしゃべりに近いもので、ちょっと違う。
いずれにせよ、思いを文章化するということは人間にしかできないきわめて高度な作業だ。

病理診断という肉眼所見、顕微鏡所見を言語化するという作業は、病理医というトレーニングを積んだ人間にしかできない作業で、この技術を磨くために長い人生をかけて日々研鑽してきたのだということを実感した。
日々のエントリーもそのトレーニング

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防衛費と子育て・教育予算のための増税を覚悟する

2022年12月08日 | 日本のこと、世界のこと
今朝もどこかで、というかあちこちで人身事故があり、私がいつも乗る列車は運休となった。
病院に着くのが少し遅れてしまうと思うと、みぞおちのあたりを押されているような感じがする。
寒いホームで次の電車を待ちながら、これほどしょっちゅう事故が起こるのは社会的な問題があるのではないかと考えてしまう。
ニュースでは、ロシアによるウクライナ侵攻、世界的な経済競争、保育園での園児虐待、殺人、などが報道されているが、これらはこの人身事故となにか関係があるのだろうか、きっとあるはずだ。

昨今の世界情勢に応じて、日本でも防衛論議が活発になってきた。
一部の政党は議論そのものを否定しているが、国民の多くが関心を持っていることは間違いない。
国防を充実させるためには当然、備品が必要となる。
どの兵器が有効で、どれは役に立たないかなどということなど実際に使ってみなくてはわからないというのは、ロシアによるウクライナ侵攻によって随分明らかになった。
日本が有事に直面した際どうするかは、敵基地攻撃を含めた、さまざまなシュミレーションが必要だ。
実際、ウクライナがロシアの空軍基地を爆撃した(らしい)ことで、その効果が明らかとなった。

子育て・教育に関してもこの国のこれまでのお粗末な行政が露わとなってきている。
たしかに、若年者がたくさんいた時代は許されたかもしれないが、深刻な少子化が進行中であることを考慮すると財政を出動させて少しでも多くの若者を健やかに育てなくてはなるまい。
子供を持つことが経済的リスクをもたらすという状況から一日も早く脱却せねばならないのに、出産とその後の子育てに多額のお金がかかるという状況では、少子化を防ぐことはできない。
高校卒業後の教育の機会も増やすべきだ。
もちろん、その前提として大学なりなんなりの教育機関の卒業認定を厳しくすべきだということはいうまでもない。
学舎は遊び場ではない。

防衛費と子育て・教育予算、どちらも多額のお金が必要となるが、それは国から出すこ税金として集めたお金から出すことになる。
莫大な国の借金を負っている状況で、無い袖は触れないわけで、今後わたしたちに求められるのは増税だ。
防衛費については、長期的な予算確保、そして子育て・教育予算については後期高齢者に負担が求められることになる。
いったん搾り取るシステムをつくったらそれが無くなることはないし、この国が減税をすることのできるような成長は見込まれず、私たちの世代も相応の負担が求められるようになることは明白だ。
あと何年か経てば私たちの番がやってくるという覚悟を持たなくてはならない。
これまで、税金は高いと思って生きてきたが、今年はつらいけど覚悟を持って払う必要がある。
年末調整の書類をまとめながら、無駄な出費がないか家計全体を見直したのはいうまでもない。
蛇口から雫が垂れないように

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人間にとっての成長とはなんだろう

2022年12月07日 | 日々思うこと、考えること
久しぶりにスッキリ晴れたが、とても寒い朝。
日曜日に刈った裏山の下草を詰めたビニール袋を、坂の下のほうの集積所まで出しに2往復するのも億劫だった。
はれははれでも、虫に刺された左手首の腫れはなかなかひかず、痛痒さが残っている。
そのせいで、仕事に集中できないのが困るが、今日一日ぐらいで治ってくれないかと期待している。
昨年の秋に妻が作った寄せ植えは鉢内の勢力が変わり、ナデシコが元気よく育っていて、このままだと、後から植えたビオラも、初めからいるヒューケラともども圧倒されてしまいそうだ。
冬に入って休眠するものがいれば、冬の寒さを好機とみて成長するものもいる。
生物の生き方は多様で、絶えずどこかで成長している。

成長という言葉は生物のどのような局面を指すものだろう。
子供の成長、という使い方が一般的だろうが、その場合は身長とか体重が増すことを指している。
生まれた時は両手で抱けるほんの小さな赤ん坊が大きくなるスピードには目を見張るものがあるが、それは体全体の細胞数が増えたり、個々の細胞が大きくなったりするからで、この時点で、老化が始まっているからと言ってそういう表現をすることはナンセンスだ。
成長期には、さまざまな器官が新たな機能を獲得することで、生物としてできることが増える、そして、成長期を過ぎると、体の各部はほとんどが定常的な状態に移行する。

この状態が老化であり、体の各部は使い古されて方々に不具合が生じるが、個々の細胞は日々せっせとさまざまな活動をして生きている。
成長期にしても定常期にしても生きているということでは同じで、顕微鏡でみてもそれぞれの臓器の細胞は基本的にはおなじだ。

成長というものをどう考えるか、生きているだけでも成長とすることはできないだろうか、そうすると人間はいつも成長し続けるということになるが、それでも良くはないだろうか。

ナイトの命日

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自分の考えは相手が考えていることと同じではない

2022年12月06日 | 生き方について考える
一昨日、裏山の手入れをしていた時、何かの虫に左手首を刺された。
その日のうちは、ちょっとかゆい程度で、こんな時期になっても蚊がいるのかと思っていたが、一晩明けたらずいぶん腫れてしまった。
どうやら蚊ではなくて別の虫だったようだ。
抗生物質入りのステロイド軟膏を塗っているおかげかいまのところ、化膿はしていない。
普段は左手に付けているアップルウォッチも右手に変えて少し楽になったが、思い出したように痒くなるのには困っている。
とびひ(伝染性膿痂疹)にならないよう気をつけながら、数日はこのまま様子を見るつもりだ。

昨晩のサッカーW杯対クロアチア戦は日本代表を頑張って応援していた妻の横で、私はしっかり寝ていたが、後半30分過ぎに目が覚めてしまい、PK戦まで見届けた。
仕事でヘトヘトだった上、土曜日まで仕事がぎっちり詰まっており、体調維持のためにテレビ観戦より寝ることをとった。
みんながみんなサッカーに興味があるわけではないから、全体からみれば一部だろうが、今朝はそれなりの数の日本人が眠気と戦っているかもしれない。

自分以外の誰かとかかわる時、意識しておかなくてはならないのは、相手は自分と同じことを考えているわけではないということ。
癖でもなんでもそうだが、”自分”を定義するものが仮に、沢山という意味で、一万あったとしたら、いくら意気投合した相手であっても、互いに重なるものなど、十もないのではないだろうか。
私に一番近い他人といえば、妻だが、彼女と考え方が一致することなどそんな程度だ。
それでも他の人よりは一致することが多いかもしれないが、それは単に運命共同体として生きているが故であって、その関係が崩れるようなことがあれば考えが一致することはほぼゼロとなってしまうだろう。

ここでいう考え方、というのは価値感、という言葉に近いかもしれない。
価値観という言葉は個人レベルから国家間レベルまで幅広く使われている。

 共通の価値観に基づき、両国の関係をより強固なものとし・・・

などという使い方をされるが、この場合共通の価値観が一体何を指しているかはあまりよくわからない。
日本が考えていることと相手国の考えが真逆の解釈が可能だということもあり得る。

そこで大事なことは個人レベルでも、国レベルでも、自分の考えを相手に押し付けるということは慎まなくてはならないということ。
自分では相手が気がついてないことを知らせ、良い方向に導いてあげようという親切心からそうしているのかもしれないが、別の言い方をすれば相手への考えの押し付け、お節介でしかない。
仕事で同じ職場の人間になにか注文をつけるのであれば、それは同じ運命共同体に属する自分にも関係していることなので、仕方がないところがあるが、そうでない関係、たとえば友人の場合は気をつける必要がある。
人間は神様ではないので、相手がどんな考え方を持っているかなどわからない。
自らの意見を表明するときは、他人は自分とは異なった考え方を持っているということを前提とし、それが押しつけにならないよう注意しておく必要がある。
こちらも落ち込む

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興味の対象はそれこそ千差万別で

2022年12月05日 | 日々思うこと、考えること
もう、5日なのかと、日付を見て驚く。
寒さは日一日つのり、駅のホームで女子学生のスカートからにょっきり出ている、ひょろっとした足を見るとかわいそうになる。
せめてもう少し長い靴下なり、ストッキングを履いたらいいのにそうしないのは、ファッションのためかただ単に若いから平気なのだろうか。

師走を早く感じるのは、一年をまとめようとする各種の動きのせいがある。
この間は、流行語大賞というのに、セリーグのホームラン王のニックネームというかそんなのが選ばれて、選者のセンスの無さに驚いたばかりだ。
今朝はNHKの朝のニュースで検索大賞2022というのが発表され、一位はフィギュアスケートの羽生結弦氏だったとのこと、羽生氏は私も応援していたぐらいの有名人だが、芸能人部門一位の松本人志氏を検索した記憶はないし、あとはナントカ部門一位のなにわなんとかというグループはその存在すら初めて知った。
ちなみにドラマ部門一位の『鎌倉殿の13人』は他にめぼしいドラマもなかったので、これには納得がいった。

NHKが画面内にYahoo!JAPANのロゴをしつこいほど入れているのが不思議だったが、もしかしたらと、『検索 2022』で検索したら、このランキングは正しくは『Yahoo!検索大賞2022』というのだそうだ。
とするとこの結果は日本国内でYahoo! JAPANを使って検索された言葉の順位ということなのだろう。
それにしても興味の対象というのは人それぞれ、千差万別だとわからせてくれる。

アクセス数を増やそうと思ってのことだろう、時々、めぼしい単語をこれでもかと詰め込んでいるタイトルのブログがある。
こういうことをすることに良し私にしても、時流に乗った言葉や事件をテーマにして考えることは少なくないし、そんな時は、アクセス数が伸びるかもしれないと下心を持っていることもしばしばある。

だが、検索数上位の単語を使ったら、アクセス数が劇的に伸びるということは全くなく、普段と大して変わらない。
むしろ、アクセス数が多かった日のエントリーを読んでも、どうしてこんなことになったのかがわかることもない。
人の興味など左様にバラバラだし、ネット検索の利用方法などまったく違う。
そう考えると、ブログによるそれぞれの発信内容、スタイルが大きく異なるのは当たり前だし、そのアクセス数など書いている本人の思い通りになるものではない。
自分の考えを日々淡々と

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空き家になった蜂の巣

2022年12月04日 | 鎌倉暮らし
まずまずの天気で、裏山の手入れをした。
倒木対策で何本かの大きな木が切られて日当たりが良くなったので、いろいろ植えることにした。
笹だのなんだのの下草を刈って、鉢植えにして育ててきた紫陽花を地植えしたり、水仙や百合の球根を植えた。
春が楽しみ。
掃除をしていたら、蜂の巣があった。
つい、この間まで怖がっていたのだが、いつの間にか消えていて、巣も空き家になっていた。
あの蜂たちは一体どこに行ってしまったのか。
今年はレモンは不作だったが、その分、とまではいかないがゆずがそこそこ実をつけた。
土いじりをしていると自然というのが身近に感じられる。
明日からまた

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久しぶりに鎌倉・獅子舞へ紅葉狩り

2022年12月03日 | 鎌倉暮らし
昨晩は銀座通りからちょっと入ったところにあるイタリアンで、妻の友人と会食。
ちょっと飲み過ぎたので、今日は朝から獅子舞の紅葉を見に行こうということになった。
天気はまあまあ。
鎌倉宮から永福寺跡の横を抜けてハイキングコースに入った。
獅子舞の紅葉を見に来るのはもう、何年振りだろう。
残念ながら、先日の強い風のせいか、銀杏の葉がずいぶん落ちてしまっていて、今一つだった。
それでも、朝日に照らされる紅葉は美しかった。
そこからはいわゆる鎌倉アルプスを歩いたが、人手の多さにびっくり。
ずいぶん多くの人が鎌倉に来るものだ。
雲が多くて、富士山は見えなかった。
山から降りてくる途中にはやぐらがたくさんある。
6キロの山道を2時間ほどかけて歩いた。
おまけは、我が家の紅葉。
私は気に入っている。
けっこう寒かった

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そうやってみんな辞めていっちゃうんだよね

2022年12月02日 | 日々思うこと、考えること
堂安選手の鮮やかなゴールは、ハーフタイムで少しうとうとしかけていた目を覚ましてくれた。
優勝をねらうスペインとしては、ブラジル、アルゼンチンのいる山に入ることを避けるため、ドイツの優勢が明らかになった終盤はろくに攻めもせず2位通過としたのではないかと考えるのは勘ぐりすぎか。
何はともあれ、決まったこと、次戦クロアチア戦を頑張ってほしい。
昨日、病理診断科の診断システムを管理している会社のSEさんが、急に顔を出しにやってきた。
どうしたのだろうと思ったら、今年いっぱいで今の会社を辞めて、ある病院へと転職するのでその挨拶に来たとのことだった。
明るく気立がよく、意思疎通のしやすい人だったのでとても残念だが、診療情報管理士という資格をとっての転職だとかで、努力の賜物だろうとお祝いの言葉を伝えた。


だが、その一方で、

 そうやってみんな辞めていっちゃうんだよね

という言葉が心をよぎった。
自分の気に入った人、自分の考えに沿って動いてくれる人が辞めてしまうのはとても残念なことだが、個人的なしがらみなどない職場というものは得てしてこんなものだ。

そう思った時、私に対してもこんなふうに言った人がいたことが思い出された。
職場を移る前というのは、高揚感と不安感がないまぜになっている。
そのせいもあってか自分のことしか考えられず、私から縁を切ってお別れする人の思いというのを深く考えたことはない。

ある人は、

 そうやって私たちはここに取り残されていくんだよね。

と付け加えていた。
残していくというつもりはないが、次の職場に連れていくわけにもいかず、返答に窮した。

あの人たちは、昨日彼に感じたような思いを、私にも持ってああ言ってくれたのだろうか。
そうだとすれば、もっと気持ちを察してあげなくてはいけなかったと後悔する。
だからといって何ができたというわけでもなく、人と人の絆というものがいかに細いものであるかを見たような気がした。
そして一期一会を大切に、できたらその出会いを幸せな思い出としてしまっておくことのできるようにしたい。
今度会ったときにも笑顔で

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