米国従属経済 財界⑤ 市場は輝きを失った
アメリカ在住23年を自慢する御手洗冨士夫キヤノン会長が、経団連会長時代にまとめた提言が『希望の国、日本』(御手洗ビジョン)でした。2007年1月1日に発表されたビジョンのモデルはアメリカでした。
レーガン大統領とブッシュ大統領の時代にアメリカで実施された大規模な企業減税、航空・通信・金融分野などにおける規制緩和、「財政再建策」などの施策について「この経験は示唆に富んでいる」(『希望の国、日本』)と持ち上げました。そして、「日本における『官から民へ』『国から地方へ』を旗印とした構造改革は、疲弊した枠組みを破壊し、力強い日本を再生する夢を与えた」と新自由主義にもとついた「構造改革」路線の推進を求めました。
危機の震源地に
しかし、翌08年9月15日、アメリカで大事件が起こります。大手投資銀行のリーマン・ブラザーズが巨額の負債を抱え、破綻したのです。
世界を巻き込んだ金融・経済危機の震源地は、御手洗会長に「希望」と映ったアメリカだったのです。
この事態に直面した御手洗会長。09年1月6日の新年の財界共同記者会見で「米国型の経営、自由主義経済、原理主義的な自由主義経済というものが失敗したということは確かです」と述べざるを得ませんでした。10年後の日本の未来を展望した「御手洗ビジョン」発表から、わずか2年後のことでした。
小泉純一郎首相時代、経済財政諮問会議の民間議員として小泉「構造改革」を進めた牛尾治朗社会経済生産性本部会長(ウシオ電機会長)は、経済同友会の代表幹事時代に「市場主義宣言」(97年)を発表したことがあります。その宣言では、「市場は競争を通じて効率的な資源配分を実現する極めて優れた仕組みである」としていました。
96年4月24日に開かれた通常総会では、次のように発言していました。
「市場のダイナミズムは競争から生まれる。競争こそが創造を生み、競争を通して効率が追求されコストの削減が達成される。それにはまず、企業の挑戦を阻害し、競争を妨げている規制は、これを撤廃・緩和しなければならない」
日本生産性本部の新年会であいさつする安倍晋三首相(左)と牛尾治朗会長=1月9日、都内のホテル
景気後退を指摘
この「市場重視派」の牛尾会長すらも、リーマン・ショックに、文字通り衝撃を受けました。社会経済生産性本部発行の「生産性新聞」の09年1月5日付に掲載された牛尾会長の年頭所感では「市場は輝きを失った」として、次のように指摘しています。
「肥大化した米国の金融システムの崩壊は、短期間のうちに世界の金融システムに大きな影響を与え、株式相場や通貨相場は大混乱に陥った。実体経済でも、設備投資や個人消費が委縮し、米国自動車産業のビッグスリーが危機にひんするなど、世界的な景気後退が起こっている」
「自由経済の思い上がりが競争の正義を崩壊させ、市場は輝きを失った。自由経済を支える金融の専門家には、プロフェッショナルな倫理観が求められるが、今回の金融バブルには自制心を含めた倫理観の欠如が明らかにみられる」同年8月の総選挙で国民は、経済と暮らしを破壊した財界本位の「構造改革」路線に審判を下し、自民党を政権の座から引きずり降ろしました。
ところが政権についた民主党は、「首相が交代するごとに財界との関係を強め」(経団連事務局幹部)、公約を次々と裏切りました。その結果、12年12月の総選挙では、再び自民党が政権に復帰しました。
日本生産性本部主催の新年会で牛尾会長は、「安倍政権の発足で、本当に春が来た」と大喜びをあらわにしました。
しかし、一握りの多国籍企業のための「アベノミクス」の経済政策は、国民の暮らしと生活、営業の破壊を一層加速します。すでに国民から遊離した自民党は、その政治的基盤を突き崩すことになります。財界・大企業いいなり、米国に従属した経済政策に決して未来はありません。
(「米国従属経済」シリーズおわり)(この項は金子豊弘が担当しました)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2013年6月8日付掲載
日本経済に競争の論理を持ち込んだのが、自民党の小泉内閣に始まり、安倍、福田、麻生と続いた自民党政権に引き継がれます。
2009年8月の総選挙は、そんな自民党に審判が下ったわけですが、政権を引き継いだ民主党がことごとく公約を裏切ります。
その中での昨年の総選挙での自民党の政権復帰。
また、以前の様な「競争の論理」でやられてはたまりません。
アメリカ在住23年を自慢する御手洗冨士夫キヤノン会長が、経団連会長時代にまとめた提言が『希望の国、日本』(御手洗ビジョン)でした。2007年1月1日に発表されたビジョンのモデルはアメリカでした。
レーガン大統領とブッシュ大統領の時代にアメリカで実施された大規模な企業減税、航空・通信・金融分野などにおける規制緩和、「財政再建策」などの施策について「この経験は示唆に富んでいる」(『希望の国、日本』)と持ち上げました。そして、「日本における『官から民へ』『国から地方へ』を旗印とした構造改革は、疲弊した枠組みを破壊し、力強い日本を再生する夢を与えた」と新自由主義にもとついた「構造改革」路線の推進を求めました。
危機の震源地に
しかし、翌08年9月15日、アメリカで大事件が起こります。大手投資銀行のリーマン・ブラザーズが巨額の負債を抱え、破綻したのです。
世界を巻き込んだ金融・経済危機の震源地は、御手洗会長に「希望」と映ったアメリカだったのです。
この事態に直面した御手洗会長。09年1月6日の新年の財界共同記者会見で「米国型の経営、自由主義経済、原理主義的な自由主義経済というものが失敗したということは確かです」と述べざるを得ませんでした。10年後の日本の未来を展望した「御手洗ビジョン」発表から、わずか2年後のことでした。
小泉純一郎首相時代、経済財政諮問会議の民間議員として小泉「構造改革」を進めた牛尾治朗社会経済生産性本部会長(ウシオ電機会長)は、経済同友会の代表幹事時代に「市場主義宣言」(97年)を発表したことがあります。その宣言では、「市場は競争を通じて効率的な資源配分を実現する極めて優れた仕組みである」としていました。
96年4月24日に開かれた通常総会では、次のように発言していました。
「市場のダイナミズムは競争から生まれる。競争こそが創造を生み、競争を通して効率が追求されコストの削減が達成される。それにはまず、企業の挑戦を阻害し、競争を妨げている規制は、これを撤廃・緩和しなければならない」
日本生産性本部の新年会であいさつする安倍晋三首相(左)と牛尾治朗会長=1月9日、都内のホテル
景気後退を指摘
この「市場重視派」の牛尾会長すらも、リーマン・ショックに、文字通り衝撃を受けました。社会経済生産性本部発行の「生産性新聞」の09年1月5日付に掲載された牛尾会長の年頭所感では「市場は輝きを失った」として、次のように指摘しています。
「肥大化した米国の金融システムの崩壊は、短期間のうちに世界の金融システムに大きな影響を与え、株式相場や通貨相場は大混乱に陥った。実体経済でも、設備投資や個人消費が委縮し、米国自動車産業のビッグスリーが危機にひんするなど、世界的な景気後退が起こっている」
「自由経済の思い上がりが競争の正義を崩壊させ、市場は輝きを失った。自由経済を支える金融の専門家には、プロフェッショナルな倫理観が求められるが、今回の金融バブルには自制心を含めた倫理観の欠如が明らかにみられる」同年8月の総選挙で国民は、経済と暮らしを破壊した財界本位の「構造改革」路線に審判を下し、自民党を政権の座から引きずり降ろしました。
ところが政権についた民主党は、「首相が交代するごとに財界との関係を強め」(経団連事務局幹部)、公約を次々と裏切りました。その結果、12年12月の総選挙では、再び自民党が政権に復帰しました。
日本生産性本部主催の新年会で牛尾会長は、「安倍政権の発足で、本当に春が来た」と大喜びをあらわにしました。
しかし、一握りの多国籍企業のための「アベノミクス」の経済政策は、国民の暮らしと生活、営業の破壊を一層加速します。すでに国民から遊離した自民党は、その政治的基盤を突き崩すことになります。財界・大企業いいなり、米国に従属した経済政策に決して未来はありません。
(「米国従属経済」シリーズおわり)(この項は金子豊弘が担当しました)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2013年6月8日付掲載
日本経済に競争の論理を持ち込んだのが、自民党の小泉内閣に始まり、安倍、福田、麻生と続いた自民党政権に引き継がれます。
2009年8月の総選挙は、そんな自民党に審判が下ったわけですが、政権を引き継いだ民主党がことごとく公約を裏切ります。
その中での昨年の総選挙での自民党の政権復帰。
また、以前の様な「競争の論理」でやられてはたまりません。