米国従属経済 財界③ 企業経営方式も追随
1994年2月25日から翌26日にかけて、千葉県浦安市舞浜の高級ホテル「ヒルトン東京ベイ」で、ある財界人たちの泊まり込みの会合が開かれました。世に言う「舞浜会議」です。
参加者は、今井敬新日本製鉄社長、宮内義彦オリックス社長、牛尾治朗ウシオ電機会長、小林陽太郎富士ゼロックス会長(いずれも当時)ら14人でした。彼らは後に、経団連会長や経済同友会代表幹事など財界の中心に座ることになります。
会議の目的は、「企業経営者の立場から、企業周辺の問題を見直すと同時に、日本の経済システム全体を長期的視点に立って検討し、日本の新しい経済システム・経営システムを提案する」というものでした。
終身雇用、年功序列を特徴とする「日本型経営」か、株主重視の「アメリカ式経営」か―。会合では、激しい議論が交わされました。
「舞浜会議」が開かれたホテル、「ヒルトン東京ベイ」=千葉県浦安市舞浜
今井・宮内論争
「企業は、株主にどれだけ報いるかだ。雇用や国のあり方まで経営者が考える必要はない」「それはあなた、国賊だ。我々はそんな気持ちでやってきたんじゃない」(「朝日」2007年5月19日付)
財界内では、「日本型経営」を重視する今井氏と、「株主重視」への転換を主張する宮内氏の名前から、「今井・宮内論争」と呼ばれています。
宮内氏はその後、政府が規制緩和のために設置した委員会の責任者を務めるなど、規制緩和の旗振り役となりました。宮内氏は言います。
「『弱肉強食』というと、それはサファリの世界だという人がいるから、そうではないと。何も強い会社が弱い会社を食うのではなくて、優れ者が残って、ダメな人がアウトになるだけのことだと」(『日本企業のコーポレート・ガバナンスを問う』)
「ダメな人がアウトになる」強権的な社会づくりは、日本経済と社会から「安全・安心」を奪い、人間らしい働き方が壊され、基盤そのものを掘り崩すことになります。
「舞浜会議」は、経済同友会内に設置されていた「企業動向研究会」を「基本問題研究会」に衣替えするにあたって開かれたフリートークの会合でした。
「企業動向研究会」は、92年に経済同友会経済研究所のプロジェクトとして発足。「新しい日本の経済システム・経営システムの構築」をテーマに94年1月まで10回の会合を重ねていました。
その後、経済同友会は、「舞浜会議」での議論も受けて、「新しい日本的コーポレート・ガバナンスの確立」と題したパンフレットを発表しました。
「“終身雇用を改めるのであれば経営陣が責任をとって辞めた後だ”との経営者の覚悟を示す意見が聞かれる一方で、“生産性の低い企業は社会的存在意義がない、生産性を上げるためには雇用に手を付けざるを得ない”との声も聞かれる」と両論を併記しました。そして、「資本の論理と社会の論理の二者択一ではない資本主義の発展変化を模索していく必要がある」と強調しました。
責任が問われる
その後、経済同友会の代表幹事には、「市場重視」派の牛尾氏が就任(95年4月27日)しました。
96年1月10日、牛尾代表幹事名で出された年頭見解は、「日本を再生する活力の源泉は市場にある」「市場は優勝劣敗の場であり、参加者全てに自己責任が厳しく間われる」と強調しました。
「1996年年頭見解は経済同友会が一つの立場を選択したことを示している。それは、日本の経済システムを透明かつ先進諸国と共通のルールによって運営される市場経済、より明確に言えばアングロ・サクソン的な市場経済に転換させることが望ましいとする立場である」
経済同友会の活動に焦点をあて戦後日本の経済史を分析した『戦後日本経済と経済同友会』は、このように指摘しました。(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2013年6月6日付掲載
ここでも、「日本型経営」は生産性を度外視したこう着した考え、「株主重視」は「優れたもの」「利益をあげるもの」を残し生産性を上げる。
しかし「株主優先」は、日本経済と社会から「安全・安心」を奪うもの。
「アングロ・サクソン的」という言葉まで出して、明治維新期の文明開化、戦後のパン食の普及など、を思い起こさせる手法です。
1994年2月25日から翌26日にかけて、千葉県浦安市舞浜の高級ホテル「ヒルトン東京ベイ」で、ある財界人たちの泊まり込みの会合が開かれました。世に言う「舞浜会議」です。
参加者は、今井敬新日本製鉄社長、宮内義彦オリックス社長、牛尾治朗ウシオ電機会長、小林陽太郎富士ゼロックス会長(いずれも当時)ら14人でした。彼らは後に、経団連会長や経済同友会代表幹事など財界の中心に座ることになります。
会議の目的は、「企業経営者の立場から、企業周辺の問題を見直すと同時に、日本の経済システム全体を長期的視点に立って検討し、日本の新しい経済システム・経営システムを提案する」というものでした。
終身雇用、年功序列を特徴とする「日本型経営」か、株主重視の「アメリカ式経営」か―。会合では、激しい議論が交わされました。
「舞浜会議」が開かれたホテル、「ヒルトン東京ベイ」=千葉県浦安市舞浜
今井・宮内論争
「企業は、株主にどれだけ報いるかだ。雇用や国のあり方まで経営者が考える必要はない」「それはあなた、国賊だ。我々はそんな気持ちでやってきたんじゃない」(「朝日」2007年5月19日付)
財界内では、「日本型経営」を重視する今井氏と、「株主重視」への転換を主張する宮内氏の名前から、「今井・宮内論争」と呼ばれています。
宮内氏はその後、政府が規制緩和のために設置した委員会の責任者を務めるなど、規制緩和の旗振り役となりました。宮内氏は言います。
「『弱肉強食』というと、それはサファリの世界だという人がいるから、そうではないと。何も強い会社が弱い会社を食うのではなくて、優れ者が残って、ダメな人がアウトになるだけのことだと」(『日本企業のコーポレート・ガバナンスを問う』)
「ダメな人がアウトになる」強権的な社会づくりは、日本経済と社会から「安全・安心」を奪い、人間らしい働き方が壊され、基盤そのものを掘り崩すことになります。
「舞浜会議」は、経済同友会内に設置されていた「企業動向研究会」を「基本問題研究会」に衣替えするにあたって開かれたフリートークの会合でした。
「企業動向研究会」は、92年に経済同友会経済研究所のプロジェクトとして発足。「新しい日本の経済システム・経営システムの構築」をテーマに94年1月まで10回の会合を重ねていました。
その後、経済同友会は、「舞浜会議」での議論も受けて、「新しい日本的コーポレート・ガバナンスの確立」と題したパンフレットを発表しました。
「“終身雇用を改めるのであれば経営陣が責任をとって辞めた後だ”との経営者の覚悟を示す意見が聞かれる一方で、“生産性の低い企業は社会的存在意義がない、生産性を上げるためには雇用に手を付けざるを得ない”との声も聞かれる」と両論を併記しました。そして、「資本の論理と社会の論理の二者択一ではない資本主義の発展変化を模索していく必要がある」と強調しました。
責任が問われる
その後、経済同友会の代表幹事には、「市場重視」派の牛尾氏が就任(95年4月27日)しました。
96年1月10日、牛尾代表幹事名で出された年頭見解は、「日本を再生する活力の源泉は市場にある」「市場は優勝劣敗の場であり、参加者全てに自己責任が厳しく間われる」と強調しました。
「1996年年頭見解は経済同友会が一つの立場を選択したことを示している。それは、日本の経済システムを透明かつ先進諸国と共通のルールによって運営される市場経済、より明確に言えばアングロ・サクソン的な市場経済に転換させることが望ましいとする立場である」
経済同友会の活動に焦点をあて戦後日本の経済史を分析した『戦後日本経済と経済同友会』は、このように指摘しました。(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2013年6月6日付掲載
ここでも、「日本型経営」は生産性を度外視したこう着した考え、「株主重視」は「優れたもの」「利益をあげるもの」を残し生産性を上げる。
しかし「株主優先」は、日本経済と社会から「安全・安心」を奪うもの。
「アングロ・サクソン的」という言葉まで出して、明治維新期の文明開化、戦後のパン食の普及など、を思い起こさせる手法です。