ガザの悲劇 なぜ繰り返す 暴力 憎しみの連鎖生むだけ
空、地上、海とあらゆる方向からイスラエル軍の猛攻撃にさらされているパレスチナ自治区ガザ。初めて同地を取材したのはいまから11年前でしたが、その時に見た光景はいまも目に焼きついたままです。(カイロ=小泉大介)
ガザ入り直前に滞在したイスラエルの最大都市テルアビブは地中海に面し、五つ星ホテルが立ち並んでいました。海岸では年配者が大型犬を連れて散歩し、若者たちはビーチバレーで歓声を上げるという、優雅な高級リゾート地の趣でした。
一転、直線距離で60キロ南、同じ地中海を望むガザは全くの異空間でした。中心地の海岸にあったのは、昼間なのに歓声はおろか人影もほとんどなく、白波が押し寄せるだけの荒涼たる風景…。ほど近い外国人向けホテルは薄暗く、自分以外の宿泊者は一人もいませんでした。
訪れるたびに胸をしめつけられるガザ。そこでは東京23区の6割の面積に約170万人のパレスチナ人が身を寄せ合うようにして暮らしています。1948年の第1次中東戦争で現在のイスラエル領にあった故郷を追われた難民とその子孫が人口の7割を占めます。
イスラエルの空爆で煙を上げる建物=7月22日、ガザ市(ロイター)
●発端
今回の攻撃の直接の発端は、6月にヨルダン川西岸のパレスチナ自治区でユダヤ人少年3人が拉致・殺害されたことでした。イスラエル政府はイスラム武装抵抗組織ハマスの犯行と決めつけ、西岸のメンバーら数百人を拘束。さらにはユダヤ人が報復にパレスチナ少年を焼き殺す事件も発生しました。これを受けハマスがイスラエルに向けロケット弾発射を激化させ、イスラエルが軍事対応している構図となっています。
ガザにおける現在の事態を理解するには、少なくとも2006年までさかのぼる必要があります。
同年1月のパレスチナ評議会(国会に相当)選挙。1987年にガザを拠点に結成され、イスラエルへの自爆攻撃を含む抵抗を続けてきたハマスが、パレスチナ解放機構(PLO)主流派で、イスラエルとの共存路線をとるファタハに大差をつけ勝利しました。
しかしハマスを「テロ組織」と規定するイスラエル政府は、これへの敵視を変えません。話し合いをするどころか、2007年にハマスがファタハとの内戦を経てガザを支配すると同地の封鎖を本格化させました。
イスラエル軍が境界を完全にコントロールし、原材料、建築資材、燃料などの搬入、さらにイスラエルへの人の移動も厳しく制限したため、ガザ経済に深刻な打撃を与えました。失業率は50%とも60%ともいわれ、住民は小麦粉など基本的な食料にも事欠く状況が続いています。
イスラエル軍は制空海権も握っており、10年5月にはガザに向かっていたトルコの人道支援船を急襲して乗組員9人を殺害する事件まで発生しました。
ガザは1967年の第3次中東戦争で、ヨルダン川西岸や東エルサレムとともにイスラエルに占領されました。2005年にイスラエル軍が「一方的撤退」をします。しかしその後も繰り返される空爆と徹底した封鎖により、“巨大な監獄”という状況に置かれてきたのです。
イスラエルによる市街地への空爆で逃げまどうパレスチナ人=7月22日、ガザ市(ロイター)
問われる米国の姿勢=イスラエルに軍事支援
●口実
ハマス側にも問題があります。ロケット弾発射が、イスラエルに攻撃の口実を与えていることは事実です。
しかし、イスラエル軍は世界屈指の軍備を誇り、ロケット弾の多くも迎撃システムで撃ち落としています。その軍が、封鎖で貧困に打ちのめされているガザに無差別爆撃を行い、子どもや女性ら数百人という民間人をがれきの下敷きにすることなど絶対に許されていいはずがありません。
圧倒的軍事力によっても占領への抵抗を抑えられないことは、これまで幾多の攻撃を行いながら、ハマスが組織を維持していることを見れば明らかです。
イスラエル軍は08年末から翌年初頭にかけて、ロケット弾発射を口実にガザ大規模空爆と地上侵攻を強行し、1400人ものパレスチナ人の命を奪いました。
軍事攻撃は憎しみの連鎖を生むだけです。何度、悲劇を繰り返そうというのでしょうか。
イスラエルの最大の後ろ盾であり、毎年約30億ドル(約3000億円)もの軍事援助を行っている米国の役割も見過ごせません。
そもそも、ハマスが勝利した06年の評議会選挙は、米国のブッシュ前政権がイラク戦争・占領正当化のためにぶち上げた「中東民主化」構想の圧力のもとで実施されました。しかし、民主的選挙で民意が示されたにもかかわらず、米国はイスラエルと同じくハマスを認めず、「自衛権」の名でガザ攻撃を声高に支持してきました。
「変革」を掲げたオバマ大統領が09年に就任した際は、多くのガザ住民が「これで状況は改善する」と期待しました。しかし結局、米政権のイスラエル寄りの姿勢は何も変わらず、米が仲介し昨年7月に再開した中東和平交渉も、4月末に進展なく停止しました。
米国製の戦闘機による爆撃で愛する家族を失ったガザの人々にとって、イスラエルと米国の区別はなく、怒りは等しく両者に向けられています。
必要なのは、即時停戦はもちろん、国連の溜基文事務総長が「恒久的な平和のためには、ガザの封鎖が解除されなければならない」と述べたように、紛争の根源を取り除くことです。根本的には、交渉によってイスラエルの占領を終了させることです。
ハマスは現在も公式にはイスラエルの存在を認めていません。しかし今年6月にはファタハとの長年の敵対関係を解消し、暫定統一政府を発足させました。事実上、イスラエルとの共存路線に踏み込んでいたのです。
イスラエルの爆撃で死亡した男性の葬儀で嘆く親戚=7月21日、ガザ市(ロイター)
●願い
冒頭のガザの海岸に腰掛けていると、ある兄妹が近づいてきました。話の最後に小学生という妹に「願いは何?」と聞くと恥ずかしそうにいいました。
「爆弾の音を聞かずに暮らしたい。そして、いつかイスラエルの友達もつくりたい」
イスラエル軍が今回、この海岸まで爆撃し、子どもたちの命を奪ったというニュースを知ったとき、思いが巡りました。あの時の兄妹は無事に生きつづけているだろうかと。
【日本共産党が提唱する中東問題解決の原則】
①イスラエルの占領地からの撤退
②独立国家建設を含むパレスチナ人民の民族自決権の実現
③イスラエルとパレスチナの双方が生存権を認め合い、平和的に共存する
「しんぶん赤旗」日刊紙 2014年7月24日付掲載
子どもたちは純粋ですね、「爆弾の音を聞かずに暮らしたい」「イスラエルの友達も欲しい」…。
イスラエルとパレスチナの双方が生存権を認め合い、平和的に共存する時が、一日も早く来ることを望みます。
空、地上、海とあらゆる方向からイスラエル軍の猛攻撃にさらされているパレスチナ自治区ガザ。初めて同地を取材したのはいまから11年前でしたが、その時に見た光景はいまも目に焼きついたままです。(カイロ=小泉大介)
ガザ入り直前に滞在したイスラエルの最大都市テルアビブは地中海に面し、五つ星ホテルが立ち並んでいました。海岸では年配者が大型犬を連れて散歩し、若者たちはビーチバレーで歓声を上げるという、優雅な高級リゾート地の趣でした。
一転、直線距離で60キロ南、同じ地中海を望むガザは全くの異空間でした。中心地の海岸にあったのは、昼間なのに歓声はおろか人影もほとんどなく、白波が押し寄せるだけの荒涼たる風景…。ほど近い外国人向けホテルは薄暗く、自分以外の宿泊者は一人もいませんでした。
訪れるたびに胸をしめつけられるガザ。そこでは東京23区の6割の面積に約170万人のパレスチナ人が身を寄せ合うようにして暮らしています。1948年の第1次中東戦争で現在のイスラエル領にあった故郷を追われた難民とその子孫が人口の7割を占めます。
イスラエルの空爆で煙を上げる建物=7月22日、ガザ市(ロイター)
●発端
今回の攻撃の直接の発端は、6月にヨルダン川西岸のパレスチナ自治区でユダヤ人少年3人が拉致・殺害されたことでした。イスラエル政府はイスラム武装抵抗組織ハマスの犯行と決めつけ、西岸のメンバーら数百人を拘束。さらにはユダヤ人が報復にパレスチナ少年を焼き殺す事件も発生しました。これを受けハマスがイスラエルに向けロケット弾発射を激化させ、イスラエルが軍事対応している構図となっています。
ガザにおける現在の事態を理解するには、少なくとも2006年までさかのぼる必要があります。
同年1月のパレスチナ評議会(国会に相当)選挙。1987年にガザを拠点に結成され、イスラエルへの自爆攻撃を含む抵抗を続けてきたハマスが、パレスチナ解放機構(PLO)主流派で、イスラエルとの共存路線をとるファタハに大差をつけ勝利しました。
しかしハマスを「テロ組織」と規定するイスラエル政府は、これへの敵視を変えません。話し合いをするどころか、2007年にハマスがファタハとの内戦を経てガザを支配すると同地の封鎖を本格化させました。
イスラエル軍が境界を完全にコントロールし、原材料、建築資材、燃料などの搬入、さらにイスラエルへの人の移動も厳しく制限したため、ガザ経済に深刻な打撃を与えました。失業率は50%とも60%ともいわれ、住民は小麦粉など基本的な食料にも事欠く状況が続いています。
イスラエル軍は制空海権も握っており、10年5月にはガザに向かっていたトルコの人道支援船を急襲して乗組員9人を殺害する事件まで発生しました。
ガザは1967年の第3次中東戦争で、ヨルダン川西岸や東エルサレムとともにイスラエルに占領されました。2005年にイスラエル軍が「一方的撤退」をします。しかしその後も繰り返される空爆と徹底した封鎖により、“巨大な監獄”という状況に置かれてきたのです。
イスラエルによる市街地への空爆で逃げまどうパレスチナ人=7月22日、ガザ市(ロイター)
問われる米国の姿勢=イスラエルに軍事支援
●口実
ハマス側にも問題があります。ロケット弾発射が、イスラエルに攻撃の口実を与えていることは事実です。
しかし、イスラエル軍は世界屈指の軍備を誇り、ロケット弾の多くも迎撃システムで撃ち落としています。その軍が、封鎖で貧困に打ちのめされているガザに無差別爆撃を行い、子どもや女性ら数百人という民間人をがれきの下敷きにすることなど絶対に許されていいはずがありません。
圧倒的軍事力によっても占領への抵抗を抑えられないことは、これまで幾多の攻撃を行いながら、ハマスが組織を維持していることを見れば明らかです。
イスラエル軍は08年末から翌年初頭にかけて、ロケット弾発射を口実にガザ大規模空爆と地上侵攻を強行し、1400人ものパレスチナ人の命を奪いました。
軍事攻撃は憎しみの連鎖を生むだけです。何度、悲劇を繰り返そうというのでしょうか。
イスラエルの最大の後ろ盾であり、毎年約30億ドル(約3000億円)もの軍事援助を行っている米国の役割も見過ごせません。
そもそも、ハマスが勝利した06年の評議会選挙は、米国のブッシュ前政権がイラク戦争・占領正当化のためにぶち上げた「中東民主化」構想の圧力のもとで実施されました。しかし、民主的選挙で民意が示されたにもかかわらず、米国はイスラエルと同じくハマスを認めず、「自衛権」の名でガザ攻撃を声高に支持してきました。
「変革」を掲げたオバマ大統領が09年に就任した際は、多くのガザ住民が「これで状況は改善する」と期待しました。しかし結局、米政権のイスラエル寄りの姿勢は何も変わらず、米が仲介し昨年7月に再開した中東和平交渉も、4月末に進展なく停止しました。
米国製の戦闘機による爆撃で愛する家族を失ったガザの人々にとって、イスラエルと米国の区別はなく、怒りは等しく両者に向けられています。
必要なのは、即時停戦はもちろん、国連の溜基文事務総長が「恒久的な平和のためには、ガザの封鎖が解除されなければならない」と述べたように、紛争の根源を取り除くことです。根本的には、交渉によってイスラエルの占領を終了させることです。
ハマスは現在も公式にはイスラエルの存在を認めていません。しかし今年6月にはファタハとの長年の敵対関係を解消し、暫定統一政府を発足させました。事実上、イスラエルとの共存路線に踏み込んでいたのです。
イスラエルの爆撃で死亡した男性の葬儀で嘆く親戚=7月21日、ガザ市(ロイター)
●願い
冒頭のガザの海岸に腰掛けていると、ある兄妹が近づいてきました。話の最後に小学生という妹に「願いは何?」と聞くと恥ずかしそうにいいました。
「爆弾の音を聞かずに暮らしたい。そして、いつかイスラエルの友達もつくりたい」
イスラエル軍が今回、この海岸まで爆撃し、子どもたちの命を奪ったというニュースを知ったとき、思いが巡りました。あの時の兄妹は無事に生きつづけているだろうかと。
【日本共産党が提唱する中東問題解決の原則】
①イスラエルの占領地からの撤退
②独立国家建設を含むパレスチナ人民の民族自決権の実現
③イスラエルとパレスチナの双方が生存権を認め合い、平和的に共存する
「しんぶん赤旗」日刊紙 2014年7月24日付掲載
子どもたちは純粋ですね、「爆弾の音を聞かずに暮らしたい」「イスラエルの友達も欲しい」…。
イスラエルとパレスチナの双方が生存権を認め合い、平和的に共存する時が、一日も早く来ることを望みます。