五日市憲法を歩く② 民主的ルール定め討論
ツルシ カズヒコ
関東平野と関東山地が接する谷口集落として発達した五日市(東京都あきる野市)は江戸時代、百万都市・江戸への炭や建材用杉の供給地として発展しました。
「杉は秋川(あきかわ)の河川敷で筏に組み、上荷として炭を積み、多摩川で運搬されました。多摩川で江戸と直結していた五日市は、幕末開国後の生糸輸出で横浜との接触もあり、最新の知識や文化がもたらされる先進地でした」と「五日市憲法草案の会」事務局長・鈴木富雄さん。
林業と筏業で財をなしたのが深澤家です。深澤名生(なおまる)・権八(ごんぱち)父子は、明治初期の翻訳書の7割を所蔵するほどの勉学家でした。深澤父子は、五日市小学校の前身である勧能学校の教師で仙台藩出身の千葉卓三郎と深交を結びました。
1880年春ごろ、彼らを中心に結成した学習結社が、五日市学芸講談会と学術討論会です。自由で闊達な学習と討論が、若き民権家を育成し、五日市憲法草案を生み出す土壌となりました。
それを立証する重要資料が、五日市郷土館に展示されています。講談会「盟約・規則」によれば、職業や身分による参加資格の制限がなく、会員間には徹底した平等思想がありました。「討論会概則」は討論題の発議者が論旨を発言(15分)、賛成者は理由を述べる(10分)、参加者は各自1回は発言するなど、討論のルールを定めています。
どのような議題で討論したのか?権八が書き残した「討論題集」に63項目の議題が記されています。「女戸主ニ政権ヲ与フルノ利害」「国会ハ二院ヲ要スルヤ」「議員ノ選挙ハ税額ト人ロノ何(いず)レニ由(よ)ルベキヤ」「女帝ヲ立ツルノ可否」などなど。
唯一残る千葉卓三郎(右端)の肖像写真。東京麹町で商業に従事していた1879年末から翌年春ころ(新井勝紘氏提供)
鈴木さんはいいます。「起草者は卓三郎ですが、こうした学習討論が、欧米先進諸国の憲法や人権宣言などのまる写しではなく、かつ現憲法に通じる自由と人権を尊重する民主的な憲法草案を生みました。明治初期の農村の人々にも受け入れられる、自前の憲法草案です」
阿伎留(あきる)神社そばの秋川の段丘崖上の一画に、一族でカトリックに入信した内山家のキリスト教墓地があります。8代目・内山安兵衛は16歳で学芸講談会の会長を務めました。五日市高校裏手の丘陵にある古刹・開光院。本堂は学芸講談会の会合や演説会の会場となりました。当時の五日市町は神奈川県西多摩郡に所属。東京府編入は1893年です。
(編集者・ライター)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2018年11月21日付掲載
日本で初めて資本主義国家としての憲法を作るうえでの自由闊達な討論。「女性に戸主」「納税額によらず選挙権を与える」「女性の天皇」などが討論されたっていうのだからすごい。
ツルシ カズヒコ
関東平野と関東山地が接する谷口集落として発達した五日市(東京都あきる野市)は江戸時代、百万都市・江戸への炭や建材用杉の供給地として発展しました。
「杉は秋川(あきかわ)の河川敷で筏に組み、上荷として炭を積み、多摩川で運搬されました。多摩川で江戸と直結していた五日市は、幕末開国後の生糸輸出で横浜との接触もあり、最新の知識や文化がもたらされる先進地でした」と「五日市憲法草案の会」事務局長・鈴木富雄さん。
林業と筏業で財をなしたのが深澤家です。深澤名生(なおまる)・権八(ごんぱち)父子は、明治初期の翻訳書の7割を所蔵するほどの勉学家でした。深澤父子は、五日市小学校の前身である勧能学校の教師で仙台藩出身の千葉卓三郎と深交を結びました。
1880年春ごろ、彼らを中心に結成した学習結社が、五日市学芸講談会と学術討論会です。自由で闊達な学習と討論が、若き民権家を育成し、五日市憲法草案を生み出す土壌となりました。
それを立証する重要資料が、五日市郷土館に展示されています。講談会「盟約・規則」によれば、職業や身分による参加資格の制限がなく、会員間には徹底した平等思想がありました。「討論会概則」は討論題の発議者が論旨を発言(15分)、賛成者は理由を述べる(10分)、参加者は各自1回は発言するなど、討論のルールを定めています。
どのような議題で討論したのか?権八が書き残した「討論題集」に63項目の議題が記されています。「女戸主ニ政権ヲ与フルノ利害」「国会ハ二院ヲ要スルヤ」「議員ノ選挙ハ税額ト人ロノ何(いず)レニ由(よ)ルベキヤ」「女帝ヲ立ツルノ可否」などなど。
唯一残る千葉卓三郎(右端)の肖像写真。東京麹町で商業に従事していた1879年末から翌年春ころ(新井勝紘氏提供)
鈴木さんはいいます。「起草者は卓三郎ですが、こうした学習討論が、欧米先進諸国の憲法や人権宣言などのまる写しではなく、かつ現憲法に通じる自由と人権を尊重する民主的な憲法草案を生みました。明治初期の農村の人々にも受け入れられる、自前の憲法草案です」
阿伎留(あきる)神社そばの秋川の段丘崖上の一画に、一族でカトリックに入信した内山家のキリスト教墓地があります。8代目・内山安兵衛は16歳で学芸講談会の会長を務めました。五日市高校裏手の丘陵にある古刹・開光院。本堂は学芸講談会の会合や演説会の会場となりました。当時の五日市町は神奈川県西多摩郡に所属。東京府編入は1893年です。
(編集者・ライター)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2018年11月21日付掲載
日本で初めて資本主義国家としての憲法を作るうえでの自由闊達な討論。「女性に戸主」「納税額によらず選挙権を与える」「女性の天皇」などが討論されたっていうのだからすごい。