Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

2002年W杯の追憶(日本対ベルギー)

2016-02-04 22:52:50 | ワールドサッカー
ネタのない今なので、またまたオフネタで、2002年日韓W杯の日本代表の初戦、ベルギー戦の思い出です。当時、私は埼スタのバックアッパースタンドにいました。W杯本大会で、しかも日本代表の試合のチケットが当たったのですから、今の私なら日本だけでなくベルギーの情報をも収集して、マニアック分析を何本も書けたでしょう。

それができなかったのは、自分の体調の悪さでした。当時、私は会社を休職するほどの病気明けで、休日はほとんど寝ているほどでした。そのため、何度かベルギーの試合を放送したチャンスはあったのですが、ほとんど印象に残らずに当日を迎えました。

しかも、この試合のベルギーのユニフォームは、赤いユニに黒の背番号と、遠いバックアッパースタンドから選手を識別するのは困難な条件でした。そのため、ベルギーが3バックか4バックか、なかなか確認できない、もどかしい試合観戦になりました。私は開き直ってベルギーの布陣確認をやめ、「こうなったら日本の応援だけをしよう。」と日本だけを見ることにしました。

私も、サッカー観戦歴が20年を超えてきたので、「試合は常に流れているので、わからなかったら無理にこだわらない」ことがサッカー観戦のコツとわかってきました。実際、選手本人でなければ、試合で起こっていることのすべてをわかっている人は皆無でしょう。わかったことを組み合わせて文章を書けばいいのです。

この試合は、ベルギーに先制点が入ります。当時、日本のW杯の経験は、3戦全敗だったフランス大会しかなかった頃です。埼スタを満員に埋めた観衆は「やっぱり駄目か」という雰囲気だったと思います。しかし、中田英寿が「下を向くな」と選手を鼓舞して、小野伸二のミスキック気味のクロスを鈴木隆行がつま先で触ってコースを変えた、奇跡的な得点で流れが変わりました。

稲本が2点目を入れたものの、ベルギーに追いつかれて試合は2-2の引き分けに終わります。この試合の後のスタジアムは、勝てなかった残念さより、「W杯で初めての勝ち点を取った」と前向きな雰囲気でした。事実、その後日本はロシアに1-0、チュニジアに2-0と勝利して1位でグループリーグを突破しました。決勝トーナメントの夢は叶いました。

日本代表のW杯本大会を見るのは、ひょっとしたらこれが一生に一度かもしれませんが、この経験をしたからこそ、いつかW杯をもう一度見たいと夢に思うようになりました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする