今日は厳しい寒さと、残業続きの疲れでぐったりしていましたが、格好のオフネタをお風呂の中で思いついたので一本ブログを書きます。それは、フィオレンティーナ(イタリア)、東京V、浦和でプレーした元ブラジル代表、エジムンドの思い出です。エジムンドは1998年フランスW杯の決勝戦でプレーしたほどの世界的な選手でした。
彼を見たのは3度で、1999年フィレンツェ、2002年駒場、2003年駒場です。エジムンドが浦和にいた当時は、バティと2トップを組んでいた彼をイタリアで見たのはちょっとした自慢でしたが、開幕1か月で浦和を退団してしまったので、このネタはあえなくお蔵入りになりました。
しかし、イタリアでの彼はあまり印象に残っていません。それだけ、当時のフィオはバティのチームだった印象です。エジムンドはバティがPKが下手という理由でPKを任されていたことは覚えていますが、フィオがバティにボールを集めてシュートというサッカーをしていたので、エジムンドはあくまでバティのサポート役だった印象です。有名なカーニバル事件(リオのカーニバルを見に行っていい契約ながら、バティの負傷中に帰国して問題になった)もこの頃です。
東京Vや浦和で見たときは、当時とはイメージが変わっていました。エジムンドはFW登録ではありましたが、この2試合を見た限りでは「有能なトップ下」という印象です。彼の優れていた点は、どこに行けばフリーでボールを持てるかの判断が卓越していました。常にボールが収まり、安心して預けて周りの選手が出ていける、そんなサッカーセンスの持ち主でした。
今でも思い出すのは、テレビ観戦ではありましたが、2002年のオールスターサッカーでのエメルソンとの共存です。エジムンドがトップ下に入り、エメルソンが一瞬のスピードで抜け出す、そんな夢のコンビが浦和で実現するかもしれないと、当時は大いに期待したものです。
残念ながら、当時の監督オフトと折り合いが悪く、エジムンドものちに「浦和はつまらなかった」と公言したほどだったので、その夢の共存は実現しませんでした。それでも、フィオでストライカーだった選手が、駒場に来たという事実は今でも印象的です。久しぶりに思い出しました。
彼を見たのは3度で、1999年フィレンツェ、2002年駒場、2003年駒場です。エジムンドが浦和にいた当時は、バティと2トップを組んでいた彼をイタリアで見たのはちょっとした自慢でしたが、開幕1か月で浦和を退団してしまったので、このネタはあえなくお蔵入りになりました。
しかし、イタリアでの彼はあまり印象に残っていません。それだけ、当時のフィオはバティのチームだった印象です。エジムンドはバティがPKが下手という理由でPKを任されていたことは覚えていますが、フィオがバティにボールを集めてシュートというサッカーをしていたので、エジムンドはあくまでバティのサポート役だった印象です。有名なカーニバル事件(リオのカーニバルを見に行っていい契約ながら、バティの負傷中に帰国して問題になった)もこの頃です。
東京Vや浦和で見たときは、当時とはイメージが変わっていました。エジムンドはFW登録ではありましたが、この2試合を見た限りでは「有能なトップ下」という印象です。彼の優れていた点は、どこに行けばフリーでボールを持てるかの判断が卓越していました。常にボールが収まり、安心して預けて周りの選手が出ていける、そんなサッカーセンスの持ち主でした。
今でも思い出すのは、テレビ観戦ではありましたが、2002年のオールスターサッカーでのエメルソンとの共存です。エジムンドがトップ下に入り、エメルソンが一瞬のスピードで抜け出す、そんな夢のコンビが浦和で実現するかもしれないと、当時は大いに期待したものです。
残念ながら、当時の監督オフトと折り合いが悪く、エジムンドものちに「浦和はつまらなかった」と公言したほどだったので、その夢の共存は実現しませんでした。それでも、フィオでストライカーだった選手が、駒場に来たという事実は今でも印象的です。久しぶりに思い出しました。