歴代の日本代表のメンバーを見ていると、攻撃の選手に関しては「一番うまい選手が出る」というわかりやすい原則がいつも貫かれている印象です。攻撃の選手で、「え?この選手が代表選手?」という疑問はあまり感じた記憶はないです。
しかし、監督による考え方の差異が現れるのがDFです。DFに関しては、うまいから即代表ということはなく、そのときの監督の考え方でDFにどういうタイプを要求するかで違ってくる印象です。生で見たことのある代表に限りますが、ジーコ監督はよくわかりませんでしたが、他の監督はどういうタイプを要求するかは起用法に現れていました。
トルシエ監督は、フラット3という特殊な戦術を機能させるために、DFにスピードを要求する傾向がありました。本来DFでない、中田浩二がW杯の左ストッパーを務めたのも、その特殊な戦術に合っていると判断したからでしょう。これで割を食ったのがベテランの井原でした。もっとも、サッカーマガジンの記事によれば、W杯本大会ではトルシエ監督の戦術を選手個々で手直しをして、無理にオフサイドを狙いに行かなかったことで結果が出たという皮肉はありますが。
岡田監督(二度目)も、明確なコンセプトがありました。それは、DFにフィジカルの強さを要求したことです。岡田監督は現実主義者で、その起用を見る限りでは「どんなにいいサッカーをしても、DFが体の強さで負けては意味がない」考えだったと思います。そのため、岡田監督に重用されたのは、中澤と闘莉王でした。
ザッケローニ監督の考えは、この両者とは違いました。ザックが、相手が徹底的に引いてくる欧州予選が当たり前のイタリアという文化で監督業をしていたことが影響したように思えます。それは、DFに攻撃センスを要求したことです。確かに、欧州予選の映像を見ていると、前の選手にはがちがちでマンツーマンに付かれることもあり、後ろのボランチやCBからのパスで組み立てないと攻撃が機能しないことがよくあります。それが、本来ボランチの今野のCB起用というメッセージに表れたのでしょう。
そういう、監督の考えの違いを乗り越えて、DFで100試合以上に出場した、井原と中澤の偉大さも改めて感じます。
しかし、監督による考え方の差異が現れるのがDFです。DFに関しては、うまいから即代表ということはなく、そのときの監督の考え方でDFにどういうタイプを要求するかで違ってくる印象です。生で見たことのある代表に限りますが、ジーコ監督はよくわかりませんでしたが、他の監督はどういうタイプを要求するかは起用法に現れていました。
トルシエ監督は、フラット3という特殊な戦術を機能させるために、DFにスピードを要求する傾向がありました。本来DFでない、中田浩二がW杯の左ストッパーを務めたのも、その特殊な戦術に合っていると判断したからでしょう。これで割を食ったのがベテランの井原でした。もっとも、サッカーマガジンの記事によれば、W杯本大会ではトルシエ監督の戦術を選手個々で手直しをして、無理にオフサイドを狙いに行かなかったことで結果が出たという皮肉はありますが。
岡田監督(二度目)も、明確なコンセプトがありました。それは、DFにフィジカルの強さを要求したことです。岡田監督は現実主義者で、その起用を見る限りでは「どんなにいいサッカーをしても、DFが体の強さで負けては意味がない」考えだったと思います。そのため、岡田監督に重用されたのは、中澤と闘莉王でした。
ザッケローニ監督の考えは、この両者とは違いました。ザックが、相手が徹底的に引いてくる欧州予選が当たり前のイタリアという文化で監督業をしていたことが影響したように思えます。それは、DFに攻撃センスを要求したことです。確かに、欧州予選の映像を見ていると、前の選手にはがちがちでマンツーマンに付かれることもあり、後ろのボランチやCBからのパスで組み立てないと攻撃が機能しないことがよくあります。それが、本来ボランチの今野のCB起用というメッセージに表れたのでしょう。
そういう、監督の考えの違いを乗り越えて、DFで100試合以上に出場した、井原と中澤の偉大さも改めて感じます。