Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

日本代表DF

2016-02-11 21:39:21 | ワールドサッカー
歴代の日本代表のメンバーを見ていると、攻撃の選手に関しては「一番うまい選手が出る」というわかりやすい原則がいつも貫かれている印象です。攻撃の選手で、「え?この選手が代表選手?」という疑問はあまり感じた記憶はないです。

しかし、監督による考え方の差異が現れるのがDFです。DFに関しては、うまいから即代表ということはなく、そのときの監督の考え方でDFにどういうタイプを要求するかで違ってくる印象です。生で見たことのある代表に限りますが、ジーコ監督はよくわかりませんでしたが、他の監督はどういうタイプを要求するかは起用法に現れていました。

トルシエ監督は、フラット3という特殊な戦術を機能させるために、DFにスピードを要求する傾向がありました。本来DFでない、中田浩二がW杯の左ストッパーを務めたのも、その特殊な戦術に合っていると判断したからでしょう。これで割を食ったのがベテランの井原でした。もっとも、サッカーマガジンの記事によれば、W杯本大会ではトルシエ監督の戦術を選手個々で手直しをして、無理にオフサイドを狙いに行かなかったことで結果が出たという皮肉はありますが。

岡田監督(二度目)も、明確なコンセプトがありました。それは、DFにフィジカルの強さを要求したことです。岡田監督は現実主義者で、その起用を見る限りでは「どんなにいいサッカーをしても、DFが体の強さで負けては意味がない」考えだったと思います。そのため、岡田監督に重用されたのは、中澤と闘莉王でした。

ザッケローニ監督の考えは、この両者とは違いました。ザックが、相手が徹底的に引いてくる欧州予選が当たり前のイタリアという文化で監督業をしていたことが影響したように思えます。それは、DFに攻撃センスを要求したことです。確かに、欧州予選の映像を見ていると、前の選手にはがちがちでマンツーマンに付かれることもあり、後ろのボランチやCBからのパスで組み立てないと攻撃が機能しないことがよくあります。それが、本来ボランチの今野のCB起用というメッセージに表れたのでしょう。

そういう、監督の考えの違いを乗り越えて、DFで100試合以上に出場した、井原と中澤の偉大さも改めて感じます。
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少ない人数での攻撃(マンチェスターC対レスター)

2016-02-11 16:58:47 | ワールドサッカー
今日はイングランド・プレミアリーグのマンチェスターC(以下シティ)対レスターの首位攻防戦を見ていました。結果は3-1でアウェイのレスターが勝利しました。UAEの大富豪が所有し、世界中からビッグネームを豊富な資金力で集めており、来季はグアルディオラ監督まで呼ぶことが発表になっている、あのシティがまさか無名軍団のレスターに敗れるとは驚きです。

試合の映像を見ないと何も書けないと思ったので、見ました。レスターの3点は、2点がCKからのフート(6番)のゴール、1点がカウンターからのマレズ(26番)のゴールです。シティが1点を返したのは87分と終了間際で、遅すぎた反撃でした。ポゼッション率では、シティが70%近くを占め、レスターはゲームの多くを自陣にブロックを引いてしのぐ展開でした。

その映像を見る限りでは、レスターの守り方に勝因があると思っています。シティの1トップ、アグエロは日本人に例えると興梠慎三のようなFWで、一瞬のスピードで相手を振り切って点を取るタイプです。そういうタイプを消すには、真ん中を固めてスペースをなくし、如何に相手が苦手な高いボールを入れたくなるような展開にできるかが勝負です。

それを実行するため、レスターが取った手は4バックのDFを中央に寄せ、シティにスペースを与えずに、相手SBコラロフ(11番)、サバレタ(5番)にはクロスなら上げられてもいいと割り切った守備をしました。その帰陣は早く、ボランチのドリンクウォーター(4番)がチェックに行って時間を稼ぐと、もう一枚のカンテ(14番)が持ち前の運動量で戻って間に合わせました。

これで、シティはアグエロを消されてしまい、やりたいポゼッションサッカーができなくなってきました。レスターは結果はCKからの得点が2点だったとはいえ、攻撃もシンプルですが徹底していました。それは、相手ボールのセットプレーなど、狙いたいタイミングで3枚もしくは4枚を上げ、必ずCKやスローインを取るなど結果を出して完了することができていたことです。

特に、少ない人数で攻撃を機能させられるところはさすが名将のラニエリ監督で、岡崎慎司は相棒のバーディーがどこにボールを出すか、わかっている走り込みでボールに飛び込んでいました。守備の貢献だけでなく、攻撃面でも点こそ4点ですが、貢献も大きいとこの試合からは感じられました。
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バティの思い出

2016-02-11 14:29:37 | ワールドサッカー
昨日、エジムンドのことを書いていて、連動してバティストゥータ(バティ)のことを思い出したので、オフネタとして書きます。バティは長くアルゼンチン代表で活躍したストライカーで、その右足から繰り出す強烈なシュート力でセリエA得点王になったFWです。

そんなバティを、彼が29歳という全盛期にフィレンツェで生で見た(対ペルージャ戦)ことは、今でも私のサッカーファン歴の中で輝いている事実です。当時のフィオレンティーナ(以下フィオ)は、名将トラパットーニが指揮しており、トラパットーニが自らの契約条件に「バティの残留」を挙げたほどの絶対的存在でした。

当時のフィオには、トップ下にポルトガル代表のルイコスタ、FWに昨日話題にしたエジムンドもいた豪華なチームでしたが、彼らはバティのために働く「黒子」のような存在でした。改めて、当時書いていたサッカーノートを見返すと、フィオというチームがバティにボールを集めることで機能していたチームだと感じます。

当時のフィオは3-5-2のシステムでしたが、両アウトサイドはバティにボールを集めることが役割でした。必然的に、バティのシュートチャンスは多くなります。「これがバティだ」と思うほどの強烈なシュートは何度も見ることができました。しかし、ペルージャGKマッツァンティーニはバティのことをよく研究しており、バティの強烈なシュートに合わせて何度もファインセーブを見せます。フィオになかなか点が入らない展開を見たペルージャサポが「フィレンツェ、わっはっは」と野次を飛ばしたほどです。

しかし、そんな前半終了間際、バティが一本ミスキックをしました。これはマッツァンティーニにとっては予測外のプレーで、そのミスキックになったボールがマッツァンティーニの足元を転がってゴールになり、すっきりしないものの「バティゴール」になりました。

その試合は、ルイコスタが2点、エジムンドも2点取って5-1でフィオが圧勝しています。しかし、今でも印象に残っているのはバティのことばかりです。あれと同レベルの感動を味わうには、メッシを見にカンプノウ(バルセロナ)にでも行かない限りできないかなと、当時を懐かしく振り返ります。

写真はフィレンツェのアルテミオ・フランキスタジアムにあった、バティの銅像です。
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