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思い出は今でも美しい(ポンテ)

2017-01-18 22:58:04 | 浦和レッズ
オフネタ恒例、昔の選手の記憶では、浦和で活躍したゲームメーカー、ロブソン・ポンテの記憶です。ポンテは代表争いが世界一厳しいブラジル人なので、残念ながら代表歴はありませんが、サッカーが弱い国に生まれれば即代表トップ下で決定だろうというインパクトのあった、名ゲームメーカーでした。

ポンテは、ドイツ・ブンデスリーガのレバークーゼン時代に、当時ドイツ代表だったバラックの控えのトップ下でした。欧州CLの出場経験もあり、Jリーグの浦和に来ればレベルが違うプレーを見せてくれました。ポンテを引っ張ってきたのはギドのコネで、移籍金も格安だったという噂でした。

そんなポンテですが、一番の思い出は2007年のACL優勝を牽引してくれたことです。グループリーグ第2戦のシドニーFC戦、序盤で2点を先行されて浮足立つ浦和を、強烈なミドルシュートを決めて「こんなものでビビっていたらだめだ」と言わんばかりにチームを引き締めてくれました。その試合は永井雄一郎のゴールで2-2と引き分けて勝ち点1を拾います。

決勝戦の第1戦、セパハン戦の同点ゴールも印象的です。当時、浦和はアウェイ、イランでの劣悪なピッチ状態に苦しみ、オジェック監督が「このピッチ状態では仕方ない」と選手をかばったほどでしたが、ポンテが遠目から強烈なシュートを叩き込んで引き分けたことが、ACL優勝という結果につながりました。

このACL優勝は、オジェック監督がのちに「正直言うと、優勝までは考えていなかった」と振り返ったほどの、実力以上の結果でした。優勝までは考えていなかったことはオジェック監督の起用法にも現れ、ポンテやワシントンはほとんど全ての試合に出ずっぱりでした。その結果、リーグ戦の最終節でポンテが靭帯を断裂する重傷を負ってしまい、オジェック監督は翌年失意の中浦和を去ります。

ポンテはその重傷から戻って、その後も浦和のトップ下に座りました。復帰後は2007年ほどのインパクトはありませんでしたが、それでも技術ならチームトップの能力は、その後エンゲルスやフィンケに必要とされました。2010年シーズン限りで、浦和が契約を延長しないことになり、その年限りで引退しました。

それでも、未知の領域を次々と開拓していった、当時の浦和にノスタルジーを感じることはあります。代表がポンテでした。美しい思い出として、大事にしまっておきます。
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