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ジーコ監督時代の記憶

2017-01-25 22:09:46 | ワールドサッカー
昨日、アギーレ監督について書いたので、その連想で今日はジーコ監督時代の思い出を書きます。当時、日本代表はトルシエ監督の指揮で地元開催のW杯でベスト16と結果を出し、その後の成長が楽しみと言われていた時期でした。当時監督経験のなかったジーコへのオファーは正直驚きましたが、日本をよく知っている監督が欲しかったのが理由と言われています。

ジーコは、監督就任当初、一つの改革の手を打ちました。それは、トルシエ監督時代にポジションごとに厳しい制約があったのを自由にして、中盤の4枚、稲本、中田英寿、小野伸二、中村俊輔を彼らのセンスで任せて組織を作ろうとした発想です。自由のジーコというのは当時のサッカー専門誌では話題になっていました。

もっとも、この4人の中盤だと守備的な仕事が稲本に集中することもあって、その時期は長続きしませんでした。それ以降はデメリットが数多く出てくることになります。ジーコ監督は、非公開練習をしないことで知られた監督で、W杯本大会のキャンプ地だったドイツのボンでも、日本代表の練習はいつでも見に行けました。

また、マスコミが面白がって、ジーコ監督に次の試合のスタメンを聞くと、ジーコ監督は「隠してもどうせばれる」という理由で、スタメンをマスコミに話すことが一般的でした。これでは、相手に作戦を立てやすくしているようなものです。事実、ドイツW杯本大会の豪州戦で、相手FWケーヒルが「福西のところを狙え」と指示が出ていたことを、大会後に明らかにしています。

ジーコの采配では、海外組を極端に重用したのも良くない点でした。海外組という理由だけで、チームで試合に出ていなくてもスタメンが保証され、Jリーグにいた遠藤保仁や小笠原満男は、海外組が戻ってくると判で押したようにベンチに回される日々でした。1次予選での初戦、オマーン戦では風邪で発熱していた柳沢敦をスタメンで起用するという、大きなミスも犯しています。

事実、ジーコ監督には何度も危機がありました。1次予選では初戦のオマーン戦でロスタイムのゴールで辛くも1-0で勝つと、2戦目のシンガポール戦では終盤まで1-1のタイスコアでした。当時の川渕キャプテンも、「引き分けなら解任」と一時腹をくくりましたが、終盤に藤田のゴールが出て解任を免れています。最終予選の共和国戦でも、終盤に大黒のゴールが入った、1-0の辛勝でした。

アジアカップも優勝し、W杯予選も通過させていますが、今でもジーコが良い監督だったとは思えないのが正直なところです。事実、W杯本大会では1分け2敗でグループリーグ敗退しています。いいメンバーの揃った、日本にとっていい時期だったW杯を、3試合で終わらせてしまった監督というイメージです。
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