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イビチャ・オシムの記憶

2018-06-12 21:40:09 | 他チーム
最後の日本代表監督こそ、脳梗塞で倒れて未完に終わってしまったものの、日本で指揮したことのある監督でベストなのはイビチャ・オシムだったという印象です。オシム監督時代のユーゴスラビア代表は華麗な個人技を誇り「欧州のブラジル」と呼ばれ1990年イタリアW杯で8強の実績を誇ります。

オシム監督の采配で印象的なのは千葉時代です。オシム語録として「ライオンに追いかけられたウサギは肉離れしない」など、選手の準備不足を叱るようなコメントが残っていますが、それでもプロのチームである以上、この監督についていけば試合で勝てるとなれば必然的に信頼を勝ち取れます。オシム監督が信頼を勝ち得たのは、開幕前の練習試合で勝てたことがきっかけと聞きます。

実際の試合でもオシムイズムはいろんなところに出ていました。まずは、当時は決して選手層の厚いチームではなかった千葉で、しぶといチームを作っていたことです。当時の千葉は、ミスも起こるチームでしたが、ミスは起こるものという共通理解が徹底しており、誰かがその穴をカバーする約束事ができていました。当時、ギドが率いていた浦和でも、千葉のミスにそう簡単には付け込めなかった印象です。

また、マンツーマンを軸にチームを作るという傾向もありました。当時の千葉では、阿部勇樹が一番オシム監督の信頼を勝ち得ており、相手のキーマンに阿部勇樹をマークさせる策を徹底してきました。浦和と対戦したときには、ゲームメーカーのポンテに阿部勇樹をマークにつけられ、苦しんだ試合の印象が強いです。

佐藤勇人、阿部勇樹、村井、坂本、水野、水本といった当時の千葉の主力選手が「オシムチルドレン」と呼ばれるなど、当時の日本サッカーに一大旋風を巻き起こし、事実2006年とナビスコ杯を優勝しています。上手くはないがしぶとい、本当に嫌な相手だった記憶は今でも色褪せません。

そのため、日本代表監督で病に倒れて任務を完遂できなかったことは今思い出しても残念です。オシムが日本代表を率いたら、どんなチームだったのだろうというのは、今でも時折考える空想です。
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