今日はネタがないので、こういうときは昔の力士から引っ張ってきます。秋場所の土俵下にいた、貴乃花親方の写真が撮れたので、それに関連して2001年夏場所の千秋楽、貴乃花対武蔵丸を取り上げます。
当時、貴乃花は14日目の時点で星一つリードしていました。しかし、その時点で膝の半月板損傷の重傷を負っており、出場は絶望視されていました。父で師匠の二子山親方(元大関貴ノ花)も休場を勧めましたが、本人が「これで出なければ髷をつけている意味がない」と休場勧告を振り切って千秋楽の土俵に上がります。
1差で追う、横綱武蔵丸とは千秋楽の本割で直接対決が組まれていました。もちろん、これで勝てば貴乃花の優勝ですが、この本割は武蔵丸が一方的に貴乃花を寄り切りで破ります。まだ決定戦が残っているとは言っても、貴乃花はおそらく相撲が取れる状態ではないと思うのが自然です。
しかし、その優勝決定戦で、史上最大のドラマが待っていました。貴乃花が勝つとすれば、立ち合いで組んで上手を引いて投げるしかないと予想できました。当時は四つ相撲も取れるようになっていた武蔵丸なので、組むまでは行きそうと思えます。その通り、四つになった相撲で、貴乃花の渾身の上手投げが土俵中央で決まり、貴乃花の奇跡的な優勝で幕を閉じることになります。
この投げが決まった時に、貴乃花が見せた「鬼の形相」は今でも忘れられません。どちらかと言えば紳士的な相撲を取るタイプの貴乃花が、こんなに感情をむき出しにして相撲を取るのは驚きで、まさに神が宿ったような瞬間でした。
当時、内閣総理大臣杯を渡すために国技館に来ていた、当時の小泉総理が「痛みに耐えてよく頑張った。感動した。」と表彰式で貴乃花を称えるなど、日本中に感動を呼びましたが、この強行出場の代償は大きく、痛めていた半月板が膝をいろんな部分に割れて入り込むという重傷となり、復帰には1年以上の時間を要することになりました。
それでも、未だに貴乃花に対して尊敬する気持ちが残るのはこの相撲が大きいです。相撲は神事と言われますが、本当に神が宿ることもあると、これで感じた一番でした。
当時、貴乃花は14日目の時点で星一つリードしていました。しかし、その時点で膝の半月板損傷の重傷を負っており、出場は絶望視されていました。父で師匠の二子山親方(元大関貴ノ花)も休場を勧めましたが、本人が「これで出なければ髷をつけている意味がない」と休場勧告を振り切って千秋楽の土俵に上がります。
1差で追う、横綱武蔵丸とは千秋楽の本割で直接対決が組まれていました。もちろん、これで勝てば貴乃花の優勝ですが、この本割は武蔵丸が一方的に貴乃花を寄り切りで破ります。まだ決定戦が残っているとは言っても、貴乃花はおそらく相撲が取れる状態ではないと思うのが自然です。
しかし、その優勝決定戦で、史上最大のドラマが待っていました。貴乃花が勝つとすれば、立ち合いで組んで上手を引いて投げるしかないと予想できました。当時は四つ相撲も取れるようになっていた武蔵丸なので、組むまでは行きそうと思えます。その通り、四つになった相撲で、貴乃花の渾身の上手投げが土俵中央で決まり、貴乃花の奇跡的な優勝で幕を閉じることになります。
この投げが決まった時に、貴乃花が見せた「鬼の形相」は今でも忘れられません。どちらかと言えば紳士的な相撲を取るタイプの貴乃花が、こんなに感情をむき出しにして相撲を取るのは驚きで、まさに神が宿ったような瞬間でした。
当時、内閣総理大臣杯を渡すために国技館に来ていた、当時の小泉総理が「痛みに耐えてよく頑張った。感動した。」と表彰式で貴乃花を称えるなど、日本中に感動を呼びましたが、この強行出場の代償は大きく、痛めていた半月板が膝をいろんな部分に割れて入り込むという重傷となり、復帰には1年以上の時間を要することになりました。
それでも、未だに貴乃花に対して尊敬する気持ちが残るのはこの相撲が大きいです。相撲は神事と言われますが、本当に神が宿ることもあると、これで感じた一番でした。