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辻監督の現役時代

2018-09-12 22:05:35 | 他スポーツ
今日はサッカーネタもなく、西武ライオンズも敗戦で選手を取り上げるネタもないので、穴埋めネタで西武監督、辻発彦さんの現役時代の記憶を書きます。辻といえば、1984年に社会人野球の日本通運から25歳という年齢で西武入りし、新人の年から背番号5をつける期待を受けていました。

日本通運では4番打者だった辻ですが、プロ入りしたときに「自分のバッティングは(このままでは)プロに通用しない」と判断し、バットを短く持って安打狙いのスイングに改造したことを思い出します。これが当たりました。入団の年に、ベテランになっていた山崎の後継者が必要だったというタイミングの良さもあって、2年目からレギュラーに定着すると、3割近いアベレージを残せるようになります。

1986年から指揮を執った森監督は、辻を9番に置いて、1番石毛とのコンビで点を取ることを狙ってきました。それまでのパリーグでは9番打者は打てない打者が定番でしたが、辻が塁に出れば石毛が送りバントを見せることもあり、それからのパリーグの野球に一つの革命を起こした戦略でした。この打順で、西武は1986年から3年連続で日本一に輝くことになります。

また、今でも伝説に残っている、辻が単打で1塁からホームインしたのもこの頃です。1987年の日本シリーズで、巨人の中堅手クロマティの返球が緩いという弱点を見事に狙った走塁でした。三塁コーチャーだった伊原春樹氏の手腕を語る材料になっていますが、プロで200盗塁以上を記録した辻の足があったからこそできた手です。

1989年に惜しくも優勝を逃した後、チーム改造を進めた森監督は、辻を1番に置き、2番に中日からトレードで獲得した平野を置いて新たなコンビを作ります。この頃の西武は、秋山、清原、デストラーデのクリーンアップが目立ちましたが、辻と平野の1,2番の出塁率が高かった故です。その後、森監督の退任後もプレーしましたが、2億円という高額年俸がネックになってヤクルトにトレードになり、そのヤクルトで現役生活を終えます。

引退後も、当時の黄金時代の西武の選手たちは大抵どこかで監督やコーチになっています。勝つことはそういう意味でも効いてくる例でしょう。監督としても源田を育成するなどの手腕を発揮しており、今季は是非とも優勝を果たして欲しいものです。
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