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松井稼頭央、現役引退

2018-09-28 22:50:02 | 他スポーツ
今日、西武ライオンズは2位ソフトバンクとの直接対決に勝利し、マジックはついに「1」まで来ました。今日のヒーローは決勝2ランの中村剛也と、14勝目の菊池雄星ですが、彼らは既にネタにしたことがあります。そのため、先日現役引退を発表した、ミスターレオ松井稼頭央選手について取り上げます。

松井はPL学園時代は投手でしたが、西武は3位指名した彼をもともと野手として育てる計画でした。遊びでマウンドに立って投げたら147kmが出たという身体能力を誇る彼にとって、野手も真摯にこなしてくれました。優勝が難しくなった1996年のシーズン終盤、東尾監督はこれまでのレギュラーの田辺(元西武監督)を控えに回して、松井を後半戦で9番遊撃で起用します。

しかし、そこでの成績は2割5分、1本塁打をレギュラーを確約できる成績ではありませんでした。しかし、そのデータを見た東尾監督が、右投手相手の打率が1割台だったことに気づきます。それならば、スイッチヒッターに転向して、右投手相手には足を生かす打撃をすれば、1割台よりはましな成績を残してくれるだろうというのがオフの結論でした。

これが見事に当たりました。松井はキャンプで「特別強化指定選手」に選ばれて猛練習を積み、9番だった打順が1番に上がると、1997年の優勝に大きく貢献してくれました。その年の日米野球で、当時有名だった巨人の松井秀喜と比較され「リトル松井」と呼ばれて全国的な知名度を得ました。足を生かす打撃ですが、四死球を選ぶより思い切って打って出るタイプの1番打者でした。

松井の優れたところは、スイッチヒッターにありがちな「走り打ち」のレベルで満足しなかったことです。左打席でもパワーをつけたいと、試合終了後にも筋トレをこなし、ついには左打席のスイングスピードが右打席にも負けないくらいまで向上させました。その結果、左打席でも本塁打を打てるようになり、3割30本30盗塁のトリプルスリーも達成することができました。

2004年、FAでメジャーリーグのニューヨークメッツに移籍し、その後ロッキーズではワールドシリーズにも出場しました。メジャーで7年プレーしたあと、楽天で日本球界に復帰し、今季西武にコーチ兼任で復帰してきました。彼ほどの偉大な選手が、西武を最後のチームに選んでくれたことに感謝し、できればこのままコーチで残って欲しいと願っています。
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